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リハビリ施設からの逃走劇!【老人の苦悩と介護者の葛藤】修正版

老人介護をしながらでも楽しく暮らす方法
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はじめに【高齢者のリハビリ問題について】

 年齢に関係なく、リハビリ生活とは本当に苦しいものです。
わたしも、怪我と病気で二度の入院、そしてリハビリ生活を経験したことがあります。目標や目的意識がないと中々モチベーションが保てないものですよね。

 ましてや老齢の場合はどうでしょう?どうしても、諦めが先に立つのではないでしょうか。見通しのつかない現実。まるで暗い闇夜を彷徨い続けているかのようです。

 果たして解決策はあるのでしょうか? わたしの場合、(最悪、このままの身体でも仕方がない)そんな、諦めの境地を受け入れることから初めてみました。

 介護問題について思うこと【介護電話相談窓口】

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リハビリ施設からの逃走劇

(前編)【介護士の苦悩】

【実体験エピソード】

 父親は、週に二度、リハビリ施設に通っていた。タクシーを利用しての通院である。
しかし、脳卒中の後遺症は思いのほか重く、左半身の麻痺は、一向に回復の兆しを見せなかった。

 (利き腕の右じゃないだけでも良かった)と、わたしも思い込むようにし、父親にもよくそう言って慰めていたものだ。

 その日、たまたま仕事が早く終わったのもあり、職場の了承を得て、リハビリ施設に迎えに行った。 タクシー代金の節約は勿論、リハビリの進行状況を確認したかったのもあったからだ。

 ところが、「○○さんは先月から来られてないですが?」施設の職員からそう言われた。タクシーを呼んで乗り込む父親の姿をいつも見届けていたわたしは唖然あぜんとするしかなかった。
(どこに行っているのだろうか?)

 携帯電話に何度電話をしてみても留守電のままだった。
父親の交友関係も知らぬわたしは、家に戻り、不安げなときを過ごしながら帰りを待った。

 家の前にタクシーの停まる音が聞こえた。
 「なんだ、来ていたのか……」
玄関の戸を開けた父親は、右手に持った杖をわたしに向けて、開口一番そう言った。

 「どこに行ってたんだよ?」
 「リハビリ、リハビリ」
 「さっき施設の職員に聞いたけど、全然リハビリに行ってないそうじゃないか!」
 「先生にもう来なくていいと言われた」
 「嘘、つけ!」

 その日父親は、ふてくされて、夕食にも手を付けないで、布団にもぐりこんだ。

 後日、父親を乗せたタクシーを追ってみた。行き先は
―――パチンコ店である。
そのときのわたしの怒りと言ったら例えようがない。



 杖でどうにか平衡へいこうを保てる斜めになった身体を、亀のようにのろのろと引きずり、歩いているその姿を目の当たりにしたものだから。

 わたしは、その場で父親を自分の車に押し込んだ。
そして、嫌がるのも無視して、無理矢理リハビリ施設へと連れて行った。

 リハビリ担当者は二十代の大柄な、いかにも体育会系といった感じの元気のいい青年だった。その青年を前にしたときだ。父親はわたしの手を振りほどいた。
これが、(入院生活でやせ細った老人の力か?)と、思うほどの強い力だった。

 そのまま父親は後退りをし、「このままでいい、治らなくてもいい」と、小声でつぶやきながら、一目散に逃げようした。ところが、自由の効かない身体である。バランスを崩して廊下の壁にぶつかった。

 その後、数人の職員さんを交えて、今後どうするかを相談しているときも、目を離すとどこかに行こうとした。

 「実は以前にも、リハビリの最中に何度か急に居なくなったことがありまして……。」

 リハビリ担当の青年は、大きな身体をすくめ、首から垂らした水色のタオルで、滝のように流れ落ちる汗を拭き拭きしながら、申し訳なさそうにそう言った。
(まだ父親が内縁の妻と一緒に暮らしていた頃のことだった)

 後から分かったことだが、リハビリ担当の青年は作業療法士といった立派な資格の持ち主であった。

 「失礼ながら、お父様にはそもそも回復の意思が無いように見受けられました。奥様が無理矢理連れて来て、ときには激しい言い争いまでしていましたから。いまだに病気のショックから立ち直れていないのかも知れませんね。」

(後編)【衰えてく老人の筋肉】

【実体験エピソード】つづき

 「リハビリに行かないなら、ゆっくりでも歩く練習したり、左腕を動かそうとしないとダメじゃないか!」
 「うるせー!」

 実際にわたしの耳に聞こえてくる父親の言い回しは、「うるせー!」ではなく、「ふるふぇ~!」である。顔面にも後遺症が残っているせいだが、第三者にも分かるよう、以降も普通の言い回しで伝えることを了承されたい。

 さて、父親のリハビリだが、気が向いたときにだけ通うということにした。
リハビリに行くふりをして、パチンコ店に行っていたことにも、少しは負い目を感じていたのだろうか。

 「息抜き程度なら行ってもいいから、連絡だけでもしてくれ?」
と言う、わたしの言葉にも素直に従った。

 だからと言って、何の問題解決にも至らず、ただ季節だけが移り変わっていく。
ちょうど真夏の時期だったこともあり、蝉の抜け殻を見るたびに父親を連想した。そう、まるで抜け殻そのものだった。一日の大半が心ここにあらずである。

 「ずっとこのままの身体で良いの?」
 「どうせ、もう直ぐ○ぬんだから……。」
 「そんなこと、口にするなよ!」
 「お前もそのほうがいいと思っているだろ!」
 「………………。」

 父親のその言葉が、ぐさりと、深く深く、えぐるようにわたしの胸に突き刺さった。
―――図星だった。
正直、幾度となく、私の脳裏をよぎっていた感情である。
(父親はそのことを感じ取っていたのだ……。)

 わたしは、リハビリのことを口にするのをやめた。
(本当に父親のことを親身になって考えていたのか?リハビリを勧めるのは、わたし自身が少しでも楽になりたいが為ではなかろうか……。)

 先ずは本人が生きる希望を持たなければならない。
内縁の妻との別れを引きずっているままでは、どうしようもないだろう。

 結局は、流れゆくときに身を委ねるしかないのだ。
そして、(最悪、不自由な身体のままだとしても、それを受け入れよう)と、考えた。

 それから、半年くらい経っても、父親は相変わらずだった。だからといって、わたしは以前のように小言を言わない。喧嘩をしないようにするには、会話は必要最低限が最良のように思えたからだ。あくまでこれは、わたしと父親の関係性の場合である。

 「趣味はパチンコだけなのか?」
 「そう言えば、押し入れの中に釣り竿があったな?」
 「捨てろ!」
父親に趣味のひとつでもあれば、違っていただろう。が、そんなことを思っても虚しいだけであった。

 父親の筋肉はみるみるうちに衰えていった。
このままでは、(近いうち、寝たきり状態になるだろう……)と、覚悟を決めていたそんなとき、父親の携帯が鳴った。



 電話に出た瞬間、父親は見たことのない、驚きの表情を浮かべた。そして、電話の内容をわたしに聞かせぬよう、布団に潜り込んだ。(誰からの電話なのだろう?)

 あくる日、父親は「リハビリに行く」と、わたしに伝えた。
なんにせよ、それは良いことだが、(またパチンコ店かも?)といった一抹の不安がよぎり、夕方、施設に迎えに行った。結果、わたしの取り越し苦労である。

 そこには、大柄な青年の指示に従い、不自由な左手をプルプルと震わしながら、ゆっくりと積み木を重ねていく父親の姿があった。

 「どうしたの、急に?」わたしも意地悪である。
 「気が向いただけだ」父親もまた偏屈である。

 誰からの、一体全体、どんな内容の電話だったのか気になって仕方がなかったが、それは後日知ることとなった。リハビリ施設に行くと、見知らぬおばあさんが、父親と一緒にベンチに腰掛けていたからだ。

 「昔の友達だ……」父親はぶっきらぼうに言った。
 「初めまして、○○です。お父さんの山菜採り仲間です。何年もお父さんを見ないから、同じ山菜採りの仲間に聞いて、本当にびっくりして、直ぐに電話したら、リハビリ頑張っていると、それで安心した次第です。」

 父親に視線を移したら、当の本人は、いかにもばつが悪そうに脇を向いていた。
(くそ親父め……)わたしは、心の中で悪態をつくしかなかった。

 その帰り道、車の中でこんな会話をした。
 「もう、○○さんのことは忘れたのか?」
 「誰だ?知らねえ名前だなあ」

 何はともあれ、いつの日か、父親の採ってきた山菜を食べたいものだ。
わたしは、そう願った。

おわり

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あとがき【介護生活を送るうえでの提案!】

 高齢者の面倒を見ていると、どうしてもついつい、頑張り過ぎてしまうところがあります。それがいつの間にか、お互いのストレスとなり、積り重なっていけば、思わぬところで爆発することもあるでしょう。

 『諦めは心の養生』といったことわざがあります。
私の場合、確かにきっぱりと諦めることで、精神状態を正常に持っていったのかも知れません。

 しかし、諦めることは、言うほど簡単なことではありませんよね。
現実を受け入れることもまた、容易くはありません。

 誰もが、少しでも良い方向に向かうように、ジタバタするものです。
わたしも、日夜もがいていたひとりです。

 だからこそ、提案したいと思います。
      先ずは、小さなことから諦めてみましょう

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