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居酒屋OL夜行物語【それってパワハラ?セクハラ?】

限られた時間の中でのスローライフ
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はじめに【夜の繁華街への外出自粛要請】

 最近また “ 流行り病 ”の感染拡大が懸念され、各自治体は多方面に向けて、自粛を促しています。特に夜の繁華街への外出自粛要請は、そこで働く人々のことを考えたら、他業種のわたしでさえ胸が痛みます。

 社会の喧騒けんそうから逃れ、馴染なじみの居酒屋でゆったりとした時間を過ごすのも、また、ひとつのスローライフの形ではないかと、わたしは思っています。
このところは、随分と長い期間行けていませんが・・・。

 そこで、ちょっと居酒屋について触れてみようかと思いました。

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居酒屋の歴史について

 居酒屋の由来ゆらいは、江戸時代中期から後期にかけての江戸や大阪、京都などの大都市に、そのみなもとがあると伝えられています。

 そこには、二つの流れがあるようです。
一つは、酒屋の店先で酒を飲む「居酒いざか」客に、味噌など簡単なつまみを出したのが居酒屋に発展したものです。
 もう一つは、魚や野菜などを煮たおかずを売っていた煮売屋が、その場で「居酒」をさせ、居酒屋に転じたスタイルです。

 そもそも、酒の原料となる米は、いまの税金に当たる大切な年貢のことです。ですから、凶作に備えるため、簡単に酒を造ることは許されていませんでした。

 ですが、1754年(宝暦4年)に江戸幕府は酒造を奨励しょうれいする「勝手造かってつくり令」を公布こうふし、一気に酒の流通が拡大していきます。

 当時の江戸の町には、参勤交代で国元に妻を残してきた武士や、火事が多かったため大工やとびなどの作業員も多く、市の中には一人暮らしの男性があふれていました。
 そんな理由から、仕事帰りに立ち寄っては、ニシンの棒煮ぼうになどを肴に一杯やるという習慣が定着していったようです。

 明治になると、薩長さっちょうなどの地方から、官僚や軍人となる人々が東京に集まり、仕事相手や同郷の人たちとのコミュニケーション手段として、つき合い酒の機会が増えました。
 1897年(明治30年)の統計上、カウントされただけでも都内の飲食店は4470軒を超えていたようです。

 明治から大正、昭和にかけて、居酒屋は縄のれんや赤ちょうちんと呼ばれたりしました。店の様子は、土間にカウンターやテーブルが置かれ、チロリというすず製の容器に酒を入れてかんをするスタイルが主流でした。客の大半は中高年の男性で、まだまだ女性や家族連れが気軽に入れる雰囲気ではなかったようです

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居酒屋OL夜行物語【それってパワハラ?セクハラ?】

 「はい、いらっしゃい!おっ、久しぶりだな!」
父親の面倒を見る前までのわたしは、高校時代の同級生が店主を務める居酒屋に良く通っていたものだ。

 「ごめんごめん。最近ちょっと忙しくて」
店内は狭苦せまくるしい。五人程度が肩を並べるだけで圧迫感を感じるカウンター席と、四人用のテーブル席がふたつあるだけで、通路を歩くと必ず誰かの足を踏んだ。

 始めて来店する客は「ここはなんだ?」そう言って戸惑とまどいを覚えるらしい。
居酒屋とは到底思えない内装なのである。壁中に洋楽ミュージシャンのLPレコードやら、ポスターやら、バンダナ、タオルなどが重なるようにして貼られているからだ。

 店主いわく、ハードロックカフェならぬ、ハードロック居酒屋。なのだそうである。流れる音楽も当然の如く、想像どおりだ。
そんな奇妙な居酒屋ではあったが、わたしにとっては居心地の良い空間であった。

 気の知れた人間が店主ってこともあったが、他の居酒屋とは違い、音楽のボリュームが高いおかげで、ひとりで誰とも会話を交わさず飲めるというのが、何よりも幸せだった。

 しかし、この日は違った。
 「ちょっとマスター!音楽がうるさくて会話ができないんですけど~!」

 その声は、カウンター席に座るわたしの背中を飛び越えて、店主に伝わった。
 「あっ、すみません。じゃあ、少し下げますね」
 「少しじゃなくて、こんな音楽必要ないんですけど~!」

 店主は一瞬眉間みけんにシワを寄せたが、わたしと、そしてカウンター席に座るほかの二人組に目配りをして、申し訳なさそうに無言のまま頭を下げた。
カウンター席の面々も無言でうなずいた。

 音楽が消えたと同時に「むかつくんですけど~」「それ、やっばい!」といった甲高かんだかい声が、この居酒屋の絶対的君主であるかのように、居心地が良かった筈の空間を支配した。

 思わず振り返ってみると、二十代前半の女性三人組だ。
わたしの想像を裏切ったのは、その身なりである。
いかにも大企業に勤めていますよ。と、言わんばかりのブランド品らしき高そうなスーツに、三人揃って身を固めているのだ。

 カウンター席にいた筈の二人組はいつの間にか消えていた。
わたしも帰ろうかと思い、席を立ちかけたが、店主が「頼むから、帰らないでくれ」と、目で訴えてきた。やれやれである。

 それからが大変だった。
対岸の火事とばかりに、言わば野次馬のひとりだったわたしに、火の粉が降り注いできたからだ。

 最初は、「ちょっと、マスターってば~、聞いてる~?」てな具合で店主が火除けになっていたが、次第に「そこのおじさ~ん、飲んでる~!」と、きたものだ。

 当時三十代後半だったわたしは、多少の苛立ちを覚えたが、おじさんに違いはない。ともかく愛想笑いで苛立ちを覆い隠した。

 そのうち、三人組のひとりが大声で演説を始めた。

「大体にして、偉そうにふんぞり返っているだけのおじさ~んは必要無いんですけど~。いつもジロジロと、私の身体を舐め回すようにして見てきて、気持ち悪いのを通りこして、マジ恐怖しか無いんですけど~。そうそう、課長の○○ときたら、わたしに飲みに行こうってさ。それってパワハラじゃな~い?絶対に下心あるよね~。だったらセクハラか~。マジでキモいんですが~。なんであいつらが偉くなったのか理解出来ませ~ん。ねえ、マスター、ねえねえ、おじさ~ん、どう思う~?」

 ふたりのおじさん相手に、“ おじさん問題 ” を問う無神経さこそどうかと思うが、その後三人が酔いつぶれてタクシーで帰るまで、肩身を狭くして飲み続けた。
翌日、二日酔いだったのは言うまでもない。


おわり

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あとがき【願い・・・】

 明治から大正、昭和にかけて、まだまだ女性や家族連れが気軽に入れる雰囲気では無かった居酒屋が、平成、そして令和にかけて、人を選ばず、誰もが楽しめる場所に変わりました。

 少しでも早く、そんな居酒屋にリスクを考えず行ける平穏な日々が戻ることを切に願いたいです。

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