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若き日キャンプ場にて(後編)【老人の旅の目的とは?】

限られた時間の中でのスローライフ
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若き日キャンプ場にて(後編)【老人の旅の目的とは?】

 若き日キャンプ場にて(前編)【軽ワゴン車で旅する老人】のつづきです。 

 焚火は燃え盛っていた。いつもなら酒に酔い、騒げや歌えやの真っ最中であろう。
ビールや焼酎を飲んで、みんな酔っていた筈だが、漆黒しっこくの闇と夜のしじまの中で、四人の若者は、炎の飛び散る音と、まきの崩れる音、そしてAさんの昔語りに夢中で耳を傾けていた。

 「わたしが自衛隊に入隊したのは、警察予備隊が自衛隊と名を変えた間もなくの頃でした。わたしは高知の山村で生まれ育ったのですが、戦後といったこともあり、それはもう家は貧しくて……。南方に従軍じゅうぐんして無事生きて帰って来た親戚がいましたから、わたしが自衛隊に入ると言ったときは殴り飛ばされたものです。それでも家族を養うためです。最後にはその親戚も “ 死ぬなよ ”と、言って許してくれました。」

 Aさんは、高知のさんと言うだけあって酒にめっぽう強い。
毎日の寝酒だと言うウイスキーをストレートで飲んでいるが、顔色ひとつ変わらないどころか、言動に少しの乱れも見られない。

 「あっ、わたしは潜水艦乗りだったんですよ。海の中では最低限の会話しか許されませんから、こうして陸に上がると饒舌じょうぜつになる癖ができたようですね。二十数年間、潜水艦に乗っていました。それから、潜水調査船……と、言っても分かりませんよね。約2000メートルの深海まで潜る調査船のことです。そこの乗組員になりました。」



 仲間のひとりがAさんに、至って普通な質問をした。
 「ずっと海の中って怖くないですか?」
すかさずAさんは「そりゃあ、怖いですよ。」と、答えた。

 「でも潜水艦のときは仲間の乗組員が大勢いましたし、次第に慣れてくるものです。“ 死ぬときはひとりじゃない ” といった感覚は案外、人を勇気づけるものです。比べて、調査船のほうは三名しか乗れないものですから、心細さはありました。ましてや、経験の無い深海に潜るのですからね。ところが不思議なもので、海底の奥に沈んでいくと、そんな恐怖心すら薄らいでいきます。海のことを母胎ぼたいに例える人がいますが、あながち間違いじゃないです。深海に潜ると安らぎさえ覚えましたから。」

 ふたりは大学生、わたしを含めた残りのふたりは働いているとは言っても、地に足の着いていない未熟な若者だ。Aさんの昔語りはそんな若者たちの心に、溶けるように染み入った。

 「海が本当に好きでした……。」そう言うと、Aさんは焚火から、半ば炭化たんかした木を一本、手に持った棒で手繰たぐり寄せ、それで煙草に火をつけた。

 わたしは、(好きでした……)と、言った、過去形の言葉が気になった。
多分、他の仲間達も同様の気持ちであろう。

 しかし、Aさんは中々続きを語ろうとしなかった。
言おうか言うまいか悩んでいるようにも見える。仲間のひとりが、そんなAさんの気持ちを察したのか、「俺は海が苦手だ。泳げないもん」と、おどけて見せた。
Aさんもつられて、「そこの川で訓練してやろうか」と、笑顔で合いの手を入れた。

 そして、続きを話し始めた。
「海が好きでした。と、言うのは語弊ごへいがあるかも知れませんね。今も好きですよ。旅の途中、あの大海原おおうなばらを見るといつもわくわくします。でも昔ほどといった意味です。人生のほとんどを海で生活をし、わたしの時間を捧げてきたのですから。あの頃のわたしは仕事人間でした。家族もかえりみなかったです。家族と言っても妻と娘がひとりだけでしたが……。」

 再びAさんが言葉を詰まらせた。と、同時に、雲の隙間から下弦の月が現れた。
わたし達はそのとき、Aさんの瞳が薄っすら濡れているのを確認した。

 「わたしがこれから君たちに伝えることは、どうか反面教師だと思って聞いて下さい。さっき家族を顧みなかったと言いましたね。本当なのです。子供のことは妻に任せっきりでした。わたしや妻の故郷ふるさとへの帰省以外で、一緒に旅行に行った記憶もありません。娘に良く言われたものです。“ たまにはお母さんをどこかに連れて行ってあげて ” と。わたしはそんな娘に、“ お父さんは忙しいんだ ” と、自分に都合のいい台詞を返すだけでした。」

 仲間たちは思い思いに、自分の育ってきた家庭と照らし合わせているようだった。

 「娘が高校生のときです。家出を繰り返すようになったのは……。わたしは妻に対し “ お前の育て方が良くない!” と、家に帰る度、激しく責め立てました。当時のわたしは家庭よりも世間体のほうが大事だったんです。妻はわたしの理不尽な要求にも黙って従うような、そんなタイプの女性でした。いや、わたしがそのような女性にしたんです。口答えなど言語道断ごんごどうだん、黙って俺に着いて来い、みたいな感じで典型的な亭主関白でしたから・・・。」

 Aさんは、自分の咥えた煙草がすでに根元まで吸い尽くされ、フィルターだけが残されているのも気付かない様子だった。

 「航海に出てしまうと、頭の中から家族のことが、すっぽりと抜け落ちてしまうのです。そう、あれは太平洋のど真ん中を航海中のことです。娘を乗せた乗用車が対向車と正面衝突を起こしたとの知らせが入ったのは……。運転をしていた若者、そして助手席に座っていた娘、ともに即死でした。」

 わたし達は合わせたかのように、酒を飲む手を止めた。

 Aさんはわたし達ひとりひとりの顔を見ながら、
 「君たちも十二分に車の運転だけは気を付けて下さい。」と、言って「家出中のことでした。」と、本筋に戻っていった。



 「娘が死んだと聞いても海の上ですから、おいそれと戻ることができません。娘とやっと会えたのはおこつになってからでした。そのときもわたしは妻を、責めに責め続けました。どんな罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせたかは記憶にありません。が、相当酷いことを言ったのでしょう。それから妻は、見る見るうちに痩せていったのですから。そうです、心を病んでいったのです。わたしと会話も交わさなくなりました。薬を服用していたのも知っています。でもわたしは、見て見ぬふりをしていました。娘の三回忌を終えた頃からです。妻は心だけじゃなく身体も病に侵されていったのです。大腸癌だいちょうがんでした。それからと言うもの、十年近くも入退院を繰り返しました。そして、ちょうど一年後に退職を控えていたときです。再び船上で、妻の緊急搬送の知らせを受けました。ですが、そのときも、間に合わなかったんです……。わたしが妻を追い詰めたんです……娘のことだって、決して妻ひとりが悪いわけじゃないのを知っていた筈なのに。いや、娘の死もわたしが原因でした。ちゃんと向き合ってしかってあげられていたら、あんな結末にならなかったんです。」

 こらえきれず、仲間のひとりが嗚咽を漏らした。

 「ごめんなさいね。わたしも酔ってきたのか、喋り過ぎました。でも、君たちにも知っていて欲しいんです。男にとって仕事は大切です。しかし、家族を犠牲にして後から得るものは、名誉と誇り、そして少ない金だけです。退職してからわたしは、その重さを比べて、唖然あぜんとしました。そんなとき、娘の言葉を思い出したのです。“ たまにはお母さんをどこかに連れて行ってあげて ”

 わたし達全員、今まで受けたどんな授業よりも、真剣に耳を傾けていたに違いない。

 「そんな理由で、退職後、アルバイトをしながら、毎年、妻と娘を連れて旅をしているって感じです。目標は日本一周です。」そう言ってAさんは昔語りを結んだ。

 翌朝、わたし達が起きたときには既に、Aさんは旅立っていた。
紙に包んだハムとチーズを、炭になった焚火のそばに置いて。


おわり

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あとがき【たまには「便利さ」を捨ててみよう!】

 冒頭で、金・時間・そして心の余裕が無いと、旅は難しいと言いました。
が、それを撤回します。

 旅に豊かさを求めたらきりがありません。
かつて出会ったAさんのように、軽ワゴン車に寝泊まりをし、自炊しながらの旅なら、わたしでも実現できそうです。

 日々の暮らしの中で、わたし達は “ 恵まれている ” ということを、どうしても忘れてしまいがちです。

 それを思い出すために、

   たまには “ 便利さを捨ててみる ” のも悪くないかも知れませんね。 

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