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前略・紅葉狩りにて(前編)【車椅子の老夫婦との出逢い】

限られた時間の中でのスローライフ
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はじめに【紅葉と黄葉】

 父親の通うデイサービスの廊下に、和歌を書いた短冊が貼られていました。
利用者さんたちが詠んだと思われるのですが、そのなかの一首に、もみじを紅葉ではなく黄葉のほうで書いているものがありました。

 聞くところによると、万葉の時代(飛鳥・奈良)は、黄葉のほうが一般的に使われていたようです。それは万葉集のなかの歌に黄葉の文字が多く出てくることでも分かります。それにしても感心しました。まさにお年寄りは生き字引です。

 高齢者から学ぼう!【昔の常識がいまや専門知識】

 本人の許可なくその和歌を載せるわけにいきせんが、「願うならもう一度若い身体を手に入れて、山の黄葉を見てみたい」。そんな意味の歌でした。

 その短冊を見たときからです。今年こそは紅葉を見に行こう、そう心に決めたのは。

万葉集(「萬葉集」まんようしゅう)とは?
奈良時代末期成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集です。
長歌,短歌,旋頭歌など4536首の歌が収められていて、仁徳天皇の皇后磐姫(いわのひめ)の作といわれる歌から、天平宝字3年(759)大伴家持の歌まで約400年にわたる全国各地、各階層の人の歌が収められています。

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前略・紅葉狩りにて(前編)【車椅子の老夫婦との出逢い】

【実体験エピソード】

 人間の感情には波があるものだ。対人的な要因がないとしても、体調、天候、気圧の変化(など)によって恐ろしいくらいに左右される。ここ最近の父親の感情はと言うと、まさに低気圧真っ只中の荒波であった。

 なにがそんなに気に食わないのか分からない。わたしのすることなすこと全てが気に食わない様子である。「今日も機嫌が悪いな」そう言っても「普通だ」と、返されるだけだ。いかんせん、父親の気性は元来から激しい。

 (漁師の気性とはこんなもんか)と、こんな感じで諦めるざるを得ないことが日常茶飯事であった。一緒にいるだけで息が詰まる。こういった具合でわたし自身もストレスを溜めこむ一方だったから(気晴らしにどこか行きたい)と、常に願っていたものだ。

―――そんなとき、黄葉の短冊を目にした。
「次の土曜か日曜、朝から夕方までデイサービスで過ごしてくれないか?」
この言葉を口にしようとして何度飲み込んだことだろう。

 ところが急転直下、タイミング良く父親が「次の日曜日、知り合いの米寿祝いに行く」と、言い出した。詳しく聞いてみると同じデイサービスの利用者で、介護士さんも何人か参加すると言うのだ。時間はお昼から夕方までの数時間しかないが贅沢は言っていられない。

 それにしても付き合いの苦手な父親が珍しいことだ。と、一抹の不安も覚えたが、わたしの頭の中はすでに、深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)千紫万紅(せんしばんこう)の世界にいる。いつも思うのだが、少し先の未来に小さな楽しみのひとつでもあったら人間は生きていける。そんなものだ。



 ともかく、日曜日がやってきた。
父親もまた、わたしと同じで感情の波が珍しく()いでいた。この日をどれほど心待ちにしていたのだろうか。そして無事、訪問先に父親を届け、わたしは紅葉スポットを目指した。

 わたしに残された時間は五時間弱だった。そのことを考慮し、街から車を利用して一時間足らずで行ける、とある渓谷沿いの遊歩道を散策して見ようと決めた。少し標高が高くなっただけでも風は冷たい。毛穴に突き刺さるとまではいかないが、軽く撫でるような刺激を繰り返してくる。

 紅葉のピークには一週間ほど早かったのかもしれない。人もまばらである。横に渓谷を見下ろしながら、遊歩道を進んでいくと、白い岩肌のひび割れた箇所から、鮮やかな真紅の衣を羽織った楓が突き出ていた。

―――美しい。これを見れただけでも来て良かった。
そんな思いにひとり駆られていたときだった。
 「綺麗ですねぇ」と、わたしに向かって誰かが話しかけてきた。

 見ると、七十歳過ぎくらいの老夫婦である。
旦那さんのほうは車椅子に乗っていて、奥さんが痩せた細い腕でそれを押している。
奥さんの後に「こんにちは」と言った旦那さんの声はどこか弱々しい。



 成り行きと言うべきか、そのときの気持ちは分からないが、わたしは無意識のうちに車椅子のハンドルを手に持っていた。奥さんは申し訳なさそうに「大丈夫です」と拒絶したが、旦那さんのほうは「ありがとうございます。甘えることにしようよ」と、細く掠れた声で奥さんに言った。

 こうして思わぬ同行者を得たわたしは、秋色に染まる渓谷沿いをゆっくり、一歩一歩と、ぬかるみを避けながら、車椅子を押して歩んで行ったのである。後にこの老夫婦から身の上の境遇を聞かされることになるとは露と知らずに。

 遊歩道はなだらかに下っていく。川のせせらぎが近くに聞こえてくる。雲に遮られていた陽射しも時折現れては、秋寒さを拭い去ってくれた。この辺りの景色はまさに黄葉(こうよう)だった。紅く染まるのも(あで)やかでいいが、短冊(たんざく)の和歌を目にしてからは黄色い葉もまた情緒的である。

 老夫婦は()わる()わる遠慮がちに、何度も「すみませんね」「疲れないですか」と、わたしを気使ってくれた。けれども、きっと病気がちなのだろう。やけに軽い。まるで脳梗塞後のわたしの父親のようである。ちなみに父親の体重は48キロだ。

 家庭の事情もあり以前の父親のことは知らないが、かつては60キロ近くあったという。今更だが病気というのは色んなものを奪ってしまうらしい。老夫婦の旦那さんを乗せた車椅子を押していると、どうしても(今頃父親はどうしているのだろうか。周りに迷惑をかけていないだろうか)こんなことばかりが頭を(よぎ)ってしまう。

 はなしを戻そう。この老夫婦は本当に仲が良い。「お父さん、寒くないですか」「大丈夫だよ。お母さんこそ、疲れないかい」意識は常にお互いを向いている。

 わたしという存在が全く気にならないらしい。つい先日、ブログに森鴎外の短編小説『じいさんばあさん』のことを書いたのだが、実はこの老夫婦との出逢いが動機である。

 森鴎外『じいさんばあさん』から学ぶ夫婦の絆!!

 いつの間にかわたし達は水面を真横に見ていた。当初、20メートルもの高さから渓流を眺めていたのだから随分と下ってきたものだ。そう一瞬思ったが、わたしはひとりでそれを打ち消した。川の流れには高低差があるのだから当たり前だ。(ほんと口に出さなくて良かった)

 片道約5キロの遊歩道の半分を過ぎた頃から景観はがらりと変わった。
川底から突き出た無数の大岩が、まるで仁王像の如く立ち塞がって、川の流れを止めようとしているのだ。よって、川の流れは激流へと変わり、それを拒んでいた。

 前略・紅葉狩りにて(後編)【渓谷を眺めながらの告白】へとつづく

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