はじめに【良寛和尚の言葉】
前回書いた、 言挙げしない国、空気を読む習慣【日本人の言葉について】 の続きです。
「地震は信に大変に候。野僧(※良寛のこと)草庵何事もなく候。親類中、死人もなくめでたく存じ候。うちつけに死なば死なずて存へて、かかる憂き目を見るがわびしさ、しかし災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」―――良寛
文政11年(1828年)越後の国(今の新潟県)は大きな地震に襲われます。
それは死者1,559人、けが人2,666人、家屋の被害においては全壊、半壊、焼失を含めると20,000軒を超えるいった悲惨なものでした。
上記に挙げた言葉はこのとき良寛和尚が、子を失い、打ち拉がれている友人に送った手紙に書かれているものです。
毎年のように我が国を襲う自然災害を見る度、そして年々衰えていく我が父親の姿を目の当たりにする度、どうしても『死』について考えてしまいます。そんなとき、わたしがいつも何気に思い浮かべてしまうのが、先程の良寛和尚の言葉でした。
そんな良寛和尚ですが、日本人の言葉を考えるうえで、『九十戒』という、言葉に関する「戒め」も残しています。
良寛和尚の『九十戒語』から日本人の言葉を今一度考える!
良寛とは?
良寛(俗名:山本栄蔵または文孝、号:大愚、1757/58-1831)とは江戸時代後期、曹洞宗の僧侶(歌人・漢詩人・書家)です。
良寛は越後出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町)で代々名主を務める家の長男として生まれます。良寛は跡を継ぐために名主見習いをしていましたが、見習いを始めて2年目の18歳の時、家督を継がず突如出家してしまいます。
出家した良寛は、備中玉島(岡山県倉敷市)円通寺(曹洞宗)の国仙和尚のもとで20年近く修行します。
良寛33歳のとき、印可(修行を終えた者が一人前の僧としての証明)を賜り、翌年から吉野・高野山・伊勢など、諸国を行脚します。その後、40歳のとき故郷越後に帰り、国上山の山腹の小さな草庵に住んで、子供らと遊び、詩歌を作り、書を書き、日々托鉢して暮らします。
良寛は74歳で逝去するまで生涯寺をもたず、粗末な庵に住み、名利にとらわれず、しかも人に仏法を説くこともしませんでした。けれども人々に親しまれ、人々の記憶に深く刻み込まれていきます。特に村の子供たちとよく遊んだやさしい良寛の姿は、現代にも伝えられています。
良寛禅師戒語『九十戒』
- 一、 言葉の多き
- 一、 物言いのきわどき
- 一、 話の長き
- 一、 講釈の長き
- 一、 差し出口
- 一、 手柄話
- 一、 自慢話
- 一、 公事(訴訟)の話
- 一、 諍(いさか)い話
- 一、 不思議話
- 一、 物言いの果てしなき
- 一、 へらず口
- 一、 人の物言いきらぬうちに物言う
- 一、 子供をたらす
- 一、 言葉の違う
- 一、 たやすく約束する
- 一、 よく心得ぬことを人に教える
- 一、 事々しく物言う
- 一、 引き事(見聞きした事や本で読んだ事)の多き
- 一、 ことわり(理)の過ぎたる
- 一、 あの人に言いて良き事をこの人に言う
- 一、 その事の果たさぬ内にこの事を言う
- 一、 へつらう事
- 一、 人の話の邪魔する
- 一、 侮ること
- 一、 しめやかなる座にて心無く物言う
- 一、 人の隠す事をあからさまに言う
- 一、 酒に酔いて理(ことわり)言う
- 一、 腹立てるとき理(ことわり)言う
- 一、 親切らしく物言う
- 一、 己が氏素姓の高きを人に語る
- 一、 人の事聞き取らず挨拶する
- 一、 推し量りの事を真事になして言う
- 一、 悪しきと知りながら言い通す
- 一、 言葉咎め
- 一、 物知り顔に言う
- 一、 見る事聞く事一つ一つ言う
- 一、 説法の上手下手
- 一、 役人の良し悪し
- 一、 よく物の講釈をしたがる
- 一、 子供の小癪なる
- 一、 老人のくどき
- 一、 若い者の無駄話
- 一、 引き事の違う
- 一、 押しの強き
- 一、 珍しき話の重なる
- 一、 好んで唐言葉を使う
- 一、 人の理(ことわり)を聞き取らずして己が理を言い通す
- 一、 都言葉など覚えてしたり顔に言う
- 一、 よく知らぬ事を憚りなく言う
- 一、 聞き取り話
- 一、 人に会って都合よく取り繕って言う
- 一、 わざと無造作げに言う
- 一、 悟り臭き話
- 一、 学者臭き話
- 一、 茶人臭き話
- 一、 風雅臭き話
- 一、 さしても無き事を論ずる
- 一、 人の器量のある無し
- 一、 あくびとともに念仏
- 一、 人に物くれぬ先に何々やろうと言う
- 一、 くれて後人にその事を語る
- 一、 ああ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる
- 一、 俺がこうした、こうした
- 一、 鼻であしらう
(以上九十ヶ条、一部省略)
あとがき【九十の戒めを振り返り!】
この戒めに触れるたびに、わたしは赤面してしまいます。
普段から気を付けているつもりでも後から考えると、そう言えばあのときこんな言動をしてしまった・・・。とか、あれは言わなくてもよかったものを・・・。みたいな感じで、後悔ばかりが残ってしまうからです。
勿論、仏道修行を極めた良寛和尚と、わたし達一般人を一概に並べて考えることはできませんが、せめてわたしだけではなく、この国に暮らす全ての人が、良寛和尚の戒めをこころのどこかに置いておくだけでも、人々の繋がりが豊かになるものと考えます。
最後に良寛和尚の辞世の句を紹介して本稿を閉じたいと思います。
「形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」
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