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安部公房『鞄』【自由――選ぶ道がなければ、迷うこともない!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【フリーダムとリバティーについて】

 フリーダム(freedom)とリバティー(liberty)、どちらも日本語に訳すと「自由」を意味します。ところが、使い方は異なるようです。

 簡単に言うと、フリーダムが「最初から自由な状態であること」に対し、リバティーは「不自由な状態から開放されたこと」を意味します。

 わたしたち日本人は、幸せなことに「自由」な社会に身を置いています。だからといってフリーダムではありません。生まれながらにしてしがらみを与えられ、秩序の中で生活をしています。

 昨今、リベラル(liberal:自由主義)といった言葉も良く耳にするようになってきました。そこで「自由」について考えているうちに、ふと、とある一冊を思い出しました。

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安部公房『鞄』【自由――選ぶ道がなければ、迷うこともない!】

安部公房(あべこうぼう)とは?

 安部公房(本名:公房きみふさ)は、昭和から平成初期にかけて活躍した日本の小説家・劇作家です。(1924-1993)

 安部公房は、大正13(1924)年3月7日、東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区西ケ原)に生まれます。生後8ヶ月で家族と共に満州に渡り、幼少期から少年期にかけて奉天で過ごします。

 昭和15(1940)年、日本に帰国し、旧制成城高等学校 (現:成城大学) 理科乙類に入学します。昭和18(1943)年、東京帝国大学医学部医学科に入学します。奉天帰省時、そこで敗戦を迎えます。

 帰国後の昭和23(1948)年に東京帝国大学医学部を卒業しますが、医師の道は目指さず作家を志します。『終りし道の(しる)べに』で作家としてデビューします。昭和26(1951)年、『壁 - S・カルマ氏の犯罪』で第25回芥川賞を受賞し、以後数々の人気作を発表していきます。

 世界的に評価が高く、昭和43(1968)年にはフランス最優秀外国文学賞を受賞しています。特に東欧において高く評価され、西欧を中心に評価を得ていた三島由紀夫と対極的とみなされていました。

 平成4(1992)年、急性心不全により死去します。ノーベル文学賞に最も近かった作家の急逝でした。(没年齢:68歳)他に代表作として『赤い(まゆ)』『けものたちは故郷をめざす』『石の眼』『砂の女』『箱男』『他人の顔』『榎本武揚』等があります。

   安部公房

安部公房『赤い繭』【社会から受ける疎外感の果てに・・・】

短編小説『鞄』(かばん)【随筆集『笑う月』について】

 『鞄』は、昭和50(1975)年11月に刊行された安部公房の随筆集『笑う月』に収録された短編(小編)小説で、『赤い(まゆ)』や『棒』などとともに、高等学校の教科書に採用されています。

 随筆集『笑う月』は昭和46(1971)年から昭和50(1975)年にかけて、新潮社発行の雑誌『波』に連載された「周辺飛行」から、夢をテーマとした16編を安部自らが選び編集し、新稿「笑う月」を加えて刊行されました。

 夢をテーマとした作品に興味のある方は 夏目漱石『夢十夜』【夢は本当に深層心理と関係があるのか?】 もご覧になって下さい。

『鞄』あらすじ(ネタバレ注意!)

 正直そうな印象の青年が、主人公の「私」の前に現れます。その青年は、半年前に出した求人広告を見て来たと言うのです。「私」は呆れてものも言えません。青年は「やはり、駄目でしたか。」と言い、むしろほっとしたような感じで引き返そうとします。

 はぐらかされた「私」は、そんな青年を引き止めて、事情を聞きます。ちょうど欠員が出て新規に補充を考えていた矢先だったからです。すると青年は「一種の消去法でここに来た。」と、かなり思わせぶりなことを言います。

 「私」が「具体的に言ってごらんよ。」と言うと青年は「この鞄のせいでしょうね。」と、足元に置いた大きな鞄に視線を落とします。さらに青年は「鞄の重さが、僕の行先を決めてしまうのです。」と告げたのでした。

 問答を続けているうちに「私」は、その鞄のことが気になっていきます。「なかみは何なの?」と「私」が訊ねると青年は「大したものじゃありません。つまらない物ばかりです。」と返します。

 結局「私」は青年を採用することにし、下宿を紹介してあげます。青年が下宿の下見に行くと、そこには例の鞄が取り残されていました。「私」は何気なくその鞄を持ち上げて歩いてみます。

 気がつくと「私」は事務所を出て、急な上り坂にさしかかっていました。事務所に引き返すつもりでしたが、どうもうまくいきません。普段は意識していなかった坂や石段に遮られてしまうのです。

 「私」は、やむを得ず、歩ける方向へと歩いて行きます。別に不安など感じませんでした。鞄が導いてくれるのです。「私」はただ歩き続けていれば良いのです。

―以下原文通り―

選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。


『鞄』【解説と解釈】

 登場人物は「私」と「青年」の二人だけです。物語の舞台も事務所の中と外といった至ってシンプルな設定です。ところが、求人広告を見てやって来た「青年」と、そして彼が手に持っていた大きな “ 鞄 ” を中心に物語は混沌としていきます。

 「青年」は「私」に対し、あたかも鞄には重大な秘密が隠されているかのような態度を取り続けます。それはまるで誘惑でもしているかのようです。「私」はしだいに鞄の中味が気になっていきます。

 けれども「青年」は鞄の中味が貴重品ではないと「私」に告げます。結局、採用を決める「私」ですが、それは「青年」よりも鞄に対する興味に他なりません。下宿の下見に行った「青年」は肌身離さずにいた鞄を事務所に置いて行きます。

 それは暗に(持ってみろ)とでも誘っているかのようです。誘惑に負けた「私」は鞄を持ってみます。この瞬間、鞄に縛られていた「青年」は鞄から解放され、今度は「私」が鞄に縛られます。

 鞄に導かれるまま「私」は歩き続け「嫌になるほどの自由」を手に入れます。鞄に縛られながらも自由とはどういうことでしょうか。それはきっと “ 選択する苦悩から逃れた自由 ” なのでしょう。

 一方、「青年」は鞄から解放され、選択する自由を手にします。人生において選択するということは同時に悩むことを意味します。自由と同時に “ 選択する悩み ” も手にするのです。そのどちらが自由であるかを、本作品は考えさせてくれます。

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あとがき【『鞄』の感想を交えて】

 安部公房は、シュールレアリスム(超現実主義的)な作品が多く、その独特な世界観は、まるでわたしたちを、迷宮の中へと誘いこんでいるかのようです。そして一度足を踏み入れたら最後、読者は永遠の囚われの身になってしまいます。

 つまりは、解釈という難題に突き当たってしまうのです。個人的にはそもそも解釈すること自体が無意味に感じることさえありますが・・・。ともかくとして、『鞄』もまたそんな作品です。

 小説『鞄』は、鞄の重さに従い道を選ぶという内容になっています。それは人生そのものと言っても良いでしょう。その人間の抱えているものの重さで、人生の選択は変わっていくのですから。

 さて、冒頭部分でフリーダムとリバティー、ふたつの「自由」についての違いを述べましたが、現在わたしたちの置かれている「自由」とは、どちらでしょうか。―――それは先人たちの犠牲の上に成り立ったリバティーです。

 わたしたちは幸運にも、先人たちが敷いた「自由」というレールの上を歩いています。それでも「不自由」だと声を上げる人がいます。けれども忘れてはいけません。この世の中には選択することさえできない人たちが存在していることを。

シュールレアリスム(surréalisme)

理性の支配を脱して、非合理なものや意識下の世界を好んで表現する絵画、詩などの芸術革新運動。第一次世界大戦後のフランスで、ダダイズムにつづいて起こり、フロイトの潜在意識とリビドーの理論、未開の心理、精神病者の知覚などをとり入れている。

詩人ではフランスのブルトン、アラゴン、エリュアール、画家ではアルプ、エルンスト、キリコ、ダリなどの作品に代表される。超現実主義。

出典:精選版 日本国語大辞典

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