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安部公房『洪水』あらすじと解説【堕落した人類の結末!!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【「ノアの方舟」について】

 「ノアの方舟(はこぶね)」は旧約聖書の『創世記』(6章~9章)に登場する物語です。その内容は、地上に増えた人類の堕落を見た主(神)は、これを洪水で滅ぼそうと「主と共に歩んだ正しい人」であったノア一家を逃がすため、ノア(当時500~600歳)に方舟の建設を命じます。

 方舟は木造で長さは130メートルもありました。ノアが方舟を完成させると、主はノアの妻と三人の息子、そして息子のそれぞれの妻、食料と全ての動物のつがいを乗せることを命じます。洪水は40日続き、地上に生きているものを滅ぼし尽くします。

 全ての水が乾くと、主はノアに、方舟から出て良いと命じます。ノアはそこに祭壇を築いて、捧げ物を主に捧げます。主はノアとその息子たちを祝福し、全ての生物を絶滅させてしまうような大洪水は二度と起こさない事を約束します。主はその(あかし)として空に虹をかけたのでした。

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安部公房『洪水』あらすじと解説【堕落した人類の結末!!】

『洪水』は短編集『壁』(新潮文庫)に収められています。

安部公房(あべこうぼう)とは?

 安部公房(本名・公房きみふさ)は、昭和から平成初期にかけて活躍した日本の小説家・劇作家です。(1924~1993)

 安部公房は、大正13(1924)年3月7日、東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ケ原)に生まれます。生後8ヶ月で家族と共に満州に渡り、幼少期から少年期にかけて奉天で過ごします。

 昭和15(1940)年、日本に帰国し、旧制成城高等学校 (現・成城大学) 理科乙類に入学します。昭和18(1943)年、東京帝国大学医学部医学科に入学します。奉天帰省時、そこで敗戦を迎えます。

 帰国後の昭和23(1948)年に東京帝国大学医学部を卒業しますが、医師の道は目指さず作家を志します。『終りし道の(しる)べに』で作家としてデビューします。昭和26(1951)年、『壁 - S・カルマ氏の犯罪』で第25回芥川賞を受賞し、以後数々の人気作を発表していきます。

 世界的に評価が高く、昭和43(1968)年にはフランス最優秀外国文学賞を受賞しています。特に東欧において高く評価され、西欧を中心に評価を得ていた三島由紀夫と対極的とみなされていました。

 平成4(1992)年、急性心不全により死去します。ノーベル文学賞に最も近かった作家の急逝でした。(没年齢・68歳)他に代表作として『けものたちは故郷をめざす』『石の眼』『砂の女』『箱男』『他人の顔』『榎本武揚』等があります。

   安部公房

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短編小説『洪水』について

 短編小説『洪水』は、昭和25(1950)年12月、文芸誌『人間』(同年廃刊)に『赤い繭』『魔法のチョーク』とともに「三つの寓話」の総題で発表されます。昭和26(1951)年5月、月曜書房より刊行された作品集『壁』に収録されます。

『洪水』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある哲学者が宇宙の法則をさぐるため、屋上から望遠鏡で天体を覗いていました。しかし新たな発見などもなく、何気なく望遠鏡を地上に向けます。街路に一人の労働者の姿が見えました。哲学者は労働者の動きを追います。なぜなら労働者は、疲労のほかに頭の中がからっぽに見えたからです。

 すると労働者は突然、足のほうからとろけ、粘膜(ねんまく)のかたまりとなって最後には完全な液体へと変わったのでした。液化した労働者は流れて行き、塀にぶつかると、まるで被膜(ひまく)をもった生物のように()い上がり、塀を乗り越えたのでした。翌日哲学者は大洪水の到来を予言します。

※被膜(ひまく) 覆い包んでいる膜。

 事実世界中で、労働者や貧しいものたちの液化が始まっていました。大きな工場では労働者たちの集団的な液化が多発します。刑務所では囚人たちの集団液化による逃亡事件や、村の農民全部の液化による小洪水などが、相次いで新聞紙上に伝えられました。

 人間の液化は様々な面での混乱を引き起こします。液化による完全犯罪が増加し、治安は乱れました。物理学者たちは水の性質の究明にあたります。しかしその液体は完全に流体の科学的法則を無視していて、いたずらに科学者たちを混乱に(おとしい)れるだけでした。

※流体(りゅうたい) 空気や水などのように一定の形を持たず、力を加えると自由に変形して流れる物質のこと。大まかには「気体」と「液体」のことを総称して流体と呼ぶ。

 液体人間はまた凍結したり蒸発することもできました。ですから厚い氷が突然溶けて人間が()み込まれたり、真夏のプールが急に凍って、泳いでいた人間たちを氷の中に閉じ込めてしまうこともありました。

 液体人間は山を這い上がり、川にまぎれこみ、海を渡り、蒸発して雲になり、雨になって降ります。ですから混乱は世界中に広がり、いかなる生物学でも計りがたい変化や死滅が始まっていました。特に液化していない富める人たちへの作用は大きかったのです。

 たった一杯のコーヒーやウィスキーに(おぼ)れたり、ひどい例は一滴の目薬に溺れるということもありました。このことが報道されると富める多くの人たちは恐水病にかかります。水を見ただけで気を失う人もいたるところに見受けられました。

 世界中で大洪水到来の噂が広がります。新聞は最初その風説をしきりに否定しようとしていました。けれども洪水はすでに始まっていたのです。それはただの洪水でないことは誰の目にも明らかでした。やがて新聞も洪水の事実を認めざるを得なくなっていきます。

 洪水は日増しに広がり、いくつもの村や町が水底に(ぼっ)し、いくつもの平野や丘が液体人間に(おお)われました。地位のある人や富める人々は高原へ、山岳地帯へと、先を争って避難し始めます。塀をさえ這い上がる液体人間に対して、そんなことは無駄だと知りながらも・・・。

 国王や元首たちは、人類をこの洪水による滅亡から救うために、大堤防の建設を急がせました。そのために何十万人という労働者が強制労働にかり出されます。しかし液体人間に対する堤防など何の効果もないばかりか、堤防建設の労働者たちが液化していきました。

 不安と苦悩が世界を覆います。その中で一人平然として楽しんでいる者がありました。―――ノアです。ノアは前の大洪水の経験から、着々と方舟(はこぶね)の製作にいそしんでいました。やがて彼の住まいの近くまで洪水がせまったとき、ノアは家族と家畜を引きつれて方舟に乗り込みます。

 するとたちまち液体人間が船の上に這い上がろうとしました。ノアは大声で叱咤(しった)します。「これはノアの方舟だ。出て行ってくれ!」しかし次の瞬間、方舟は液体で満たされ、生物たちは溺死(できし)していたのでした。

 こうして第二の洪水で人類は絶滅します。しかしすでに静まった水底の町や村を覗き込んで見ると、何やらきらめく物質が結晶し始めていました。液体人間たちの中の目に見えない心臓を中心にして。

『洪水』が書かれた社会背景【プレスコードとレッドパージ】

 敗戦直後の昭和20(1945)年9月、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、プレスコード(Press Code:新聞・出版活動を規制するために発した規則)を発し、厳しい言論統制を行います。この規則は昭和27年、講和条約が発効されるまで続けられました。

 昭和25(1950)年、朝鮮戦争(1950~1953)が勃発します。この前後の時期、GHQは共産主義の思想・運動・政党に関係している者を公職や企業から追放するよう指示します。この一連の出来事をレッドパージ(Red purge:赤狩り)といい、約1万3千人が強制的に職場を解雇されました。

 このような状況下で昭和25(1950)年、安部公房は『洪水』を執筆します。

『洪水』【解説と個人的な解釈】

 労働者を皮切りに、刑務所の囚人たち、農民などが相次いで液化し、水に関わる様々な異常現象や洪水を引き起こします。人々の液化は止まらず、液化しなかった人々を溺死させていきます。

 液化した液体人間の洪水から逃れた「富める人たち」は、労働者を動員して堤防を建設しますが、液化と洪水は止まることがなく人類は滅亡してしまいます。まとめるとこんな内容の物語ですが、前述した当時の社会背景が作品に影響を及ぼしていると言えるでしょう。

 作品が発表された昭和25(1950)年と言えば、安部公房が共産党に入党した年です。(昭和36年除名)作者は、共産主義思想の激しい取り締まりの中、物語をデフォルメさせて自らのメッセージを込めます。

 つまり、労働者や貧しい者たちが共産主義者となり、共産運動のエネルギーが洪水のような力となって、やがて「富めるもの」(資本主義)を呑み込むといった意味のように個人的には解釈しています。

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あとがき【『洪水』の感想を交えて】

 個人的にあくまで共産主義には否定的な立場ですが、安部公房が作家として活躍していた戦後の政治情勢を鑑みなければいけないでしょう。敗戦後、日本人が直面したのは深刻な食糧難とインフレによる生活難でした。

 GHQの占領目的は、日本の非軍事化と民主化でしたが、食うや食わずの生活に人々が、貧富の差を無くす共産主義思想へと傾倒していくのも理解できます。とりわけ知識階層とも言える小説家たちが食いつくのも頷けます。

 戦後80年も経とうとしているのに格差問題の解決策は見出せていません。『洪水』を読むたびに思うのですが、革命ではなく、人々の意識改革でこの問題を解決できないものかと。かく言うわたし自身、液化していく人間の部類なのですが・・・。

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