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太宰治『水仙』【二十一世紀に芸術家や天才は存在するの?】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【芸術音痴な自分】

 白状しますが、わたしは芸術というものが分かりません。
分かろうとして美術館に足を運んでいた時期もありましたが諦めてしまいました。きっとわたしは芸術音痴なのです。

 絵画を見て上手い下手はなんとなく分かります。けれども抽象画を見ているとまた分からなくなります。現代美術なんか特にそうです。とある(自称・芸術の分かる男)がわたしにこう言いました。「見るものではなく感じるものだ」と。

 ところがいかんせん感じることができないのです。
ある程度の年齢に達すると(自称・芸術の分かる人間)に接することが多くなります。そのたびに惨めな気持ちになってしまいます。

 小説なんかも同じで、芸術といった観点から読んだことがありません。ひとつの娯楽として読んでいるだけなのです。―――ところで、芸術って何なのでしょうね。

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太宰治『水仙』【二十一世紀に芸術家や天才は存在するの?】

『水仙』は短編集『きりぎりす』の中に収められています。

太宰治(だざいおさむ)とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島修治。(1909-1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。

 青森中学、弘前(ひろさき)高校を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。

   井伏鱒二

井伏鱒二『山椒魚』【時代に取り残された者の悲鳴!】

 一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』『駆込(かけこ)(うった)へ』など多くの佳作を書きます。

 戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(享年38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌(おうとうき)が営まれています。

    太宰治

短編小説『水仙』(すいせん)について

 『水仙』は太宰治の短編小説で、昭和17(1942)年5月、雑誌『改造』に発表されます。その後、昭和19(1944)年8月、短編集『佳日』に収録されます。

 物語に登場する草田静子のモデルは秋田富子(洋画家・(はやし)(しず)()の夫人だった人)で、彼女が太宰に送った手紙をヒントに創作したといわれています。

「雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。」
(富子が太宰に送った手紙の一部分)

 戦後、太宰の担当編集者(当時新潮社)の一人だった野原一夫は、『水仙』と『メリイクリスマス』は、秋田富子への「清潔な愛情が生んだ作品である」と述べています。

秋田富子とは?

 秋田富子は、洋画家・林倭衛の元夫人で、太宰治が三鷹に住んでいた頃に深く親交していました。(1909-1948)

 ちなみに林倭衛の家は旧士族で二人のあいだには聖子という娘がいて、この林聖子が太宰の短編小説『メリークリスマス』のモデルとなっています。

『水仙』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の「僕」は、二十年ほど前に読んだ小説、菊池寛の『忠直卿行状記』のことを思い出します。この物語の内容は、剣術の上手な若い殿様が、突如暴君へと変わり、ついにはお家も断絶となり、その身も監禁させられるというものです。

 暴君となったきっかけは、家来たちの噂話を耳にしたからでした。それは “ わざと試合に負けている ” といった噂話です。それを聞いた殿様は、家来たちに次々と真剣勝負を挑んでいきます。けれども家来たちは本気で戦わずに死んでいきます。こうして若い殿様は狂っていったのでした。

 「僕」は(その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。)と考え、夜も眠られないほどの不安を覚えます。何故かと言うと、似たような出来事が「僕」の周りで起こったからでした。「僕」にとつての殿様は、草田惣兵衛の夫人、草田静子です。

 草田家は名家で、しかも資産家でした。「僕」の家と草田家は先々代あたりから親しく交際をしていました。けれども、その関係性はというとまるで殿様と家来のようです。草田惣兵衛は一流の紳士で静子夫人も後に没落しましたが名家の出です。

 ひがみ根性が強く、極貧生活をしていた「僕」は、(金持はいやだ)という単純な思想で草田家を避けてきました。ところが三年前、静子から突然「僕」宛に招待状が届きます。「僕」は、その末尾に記された「主人も私も、あなたの小説の読者です。」という一文に有頂天になってしまいます。

 こうして久しぶりに草田家を訪問し “ 流行作家 ” として紹介された「僕」でしたが、そこでひどく侮辱されたように感じます。しじみ汁の貝の実を食べていた「僕」に対し、静子が「そんなもの食べて、なんともありません?」と、質問してきたからでした。

(貧しい者にとっては、貝の実はおいしいものだ。が、上流の人たちは、実を汚いものとして捨てるのだ。)そう思った「僕」は、二度と草田家のみならず、金持ちの家には行かないと心に決めたのでした。

 それから二年半が経過した九月のことです。意外にも草田惣兵衛が「僕」の家を訪ねて来ました。―――静子夫人が突然、家出をしたと言うのです。

 惣兵衛の語るところによると、静子の実家が数年前に破産し、そのことを非常な恥辱と考えた静子は、それ以来冷たく取りすますようになったと・・・。そんな静子に惣兵衛は慰める一手段として中泉画伯の元で洋画を習わせます。

 そこで周囲から天才だと褒めちぎられた静子は、「あたしは天才だ」という言葉を残して家出したのだと言うのです。しかも大金を持って出たとのことでした。

 「僕」は惣兵衛に「いったい、どんな画をかくんです?」と聞くと、意外にも「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」と答えます。「僕」は馬鹿な夫婦だと思って呆れます。

 三日後のことです。静子は「僕」に自分の描いた絵を見せにやって来ます。けれどもかつて受けた侮辱を忘れられない「僕」は、「二十世紀には、芸術家も天才もないんです。」と言い、突き放したのでした。

 「僕」は、その後の静子の様子を、草田惣兵衛の手紙から知ることになります。静子は赤坂にアパートを借りて、そこに中泉画伯のところの若い研究生たちを集め、お世辞に酔っては毎晩、馬鹿騒ぎをしているとのことでした。惣兵衛も大変困り切っています。

 十一月のはじめ、「僕」は静子から一通の手紙を受け取ります。そこには、「耳が聞こえなくなった。」と書かれていて「雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。」と、苦悩が綴られていました。

 また、「いままでかいた絵は、みんな破って棄てました。」と、「僕」に面罵(めんば)されて気づいた自身の愚かさや、芸術家として生きる「僕」のあり方に対する憧れなども、添えられていました。

 いたたまれなくなった「僕」は、静子のアパートを訪ねます。そして、静子と筆談をします。その中で「僕」は、彼女を真の天才ではないかと思い始めてきます。けれども彼女は「僕」のそのような言葉を受け入れようとはしません。

 彼女の絵を無性に見たくなった「僕」は、その夜に中泉画伯のアトリエを訪ねます。そこでただ一枚残っていたデッサンを見せてもらいます。それは、すばらしい水仙の絵でした。けれども「僕」は、一目見るなりその絵を引き裂いてしまいます。

 その後、静子は惣兵衛のもとに戻ります。が、―――その年の暮れに自殺してしまいました。それ以降、「僕」は不安の襲われるようになります。ある夜ふと(忠直卿も事実素晴らしい剣術の達人だったのではあるまいか)と、奇妙な疑念にもとらわれるようになります。

 そして、(二十世紀にも芸術の天才が生きているかも知れぬ)と、思うのでした。

青空文庫 『水仙』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2272_20058.html


『水仙』【解説と個人的な解釈】

 主人公の「僕」は、極貧に近いその日暮しを送りながらも “ 芸術 ” を生業(なりわい)にしています。一方、草田静子はお金持ちで “ 芸術家 ” というものに憧れを抱いています。一見対極にいるような二人ですが “ コンプレックス ” といった点では類似性が見られます。

 金持ちに対しての嫌悪感という、言うなれば貧乏人のコンプレックスを持つ「僕」と同様に、静子も実家の破産といったコンプレックスを抱えています。物語の中で夫の惣兵衛氏は好人物として描かれていますが、静子が肩身の狭い思いをしていたのは確かでしょう。

 もしかしたら静子は、別の生き方を模索していたのかもしれません。そんなとき惣兵衛氏の紹介で始めた洋画(芸術)に一縷の希望を見いだします。そして、小説家として “ 芸術 ” の道を歩んでいた「僕」の生き方に共鳴します。

 その挙句、「天才」と煽てられ、破滅へと突き進んでいく静子でしたが、そんな静子に「僕」は「二十世紀には、芸術家も天才もない」等と、痛烈な皮肉を浴びせます。何故なら「僕」は芸術家ではなく、小説を生業とする流行作家だったからです。

 いや、かつては “ 芸術家 ” だったのかもしれません。けれども生活のためにその意識は捨てざるを得なかったのでしょう。物語の結末で「僕」は、静子の最後のデッサンを破り捨てますが、それは金や権威とは無縁の本来あるべき芸術の姿を見たからなのかも知れません。

 そして「僕」は、「二十世紀にも芸術の天才が生きているかも知れぬ。」と思います。と、同時に「僕」自身もいつしか芸術の亡霊に取り憑かれ、静子と同じ道を辿るかも知れぬという一抹の不安に襲われるのです。

 ちなみに太宰は『芸術ぎらい』という随筆を残しています。書かれたのは昭和19(1944)年ですから『水仙』創作の二年後になります。そこに太宰の芸術観の一端を垣間見ることができます。

〈芸術的〉という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。生きる事は、芸術でありません。自然も、芸術でありません。さらに極言すれば、小説も芸術でありません。小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が胚胎(はいたい)していたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。

創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、〈正確を期する事〉であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。

風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ〈芸術的〉でないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っている馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。

(太宰治『芸術ぎらい』)

青空文庫 『芸術ぎらい』 太宰治
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あとがき【『水仙』の感想を交えて】

 冒頭でわたし自身、芸術音痴と書きましたが、それは価値基準が分からないからだと言えるでしょう。(こんな美術品が何故こんな値段で取引されているのか?)常にこのような思考を巡らせてしまうからです。そこがわたしの至らぬところかもしれません。芸術を金銭で測っているのですから・・・。

 さて、『水仙』が発表された時期は戦時下と重なります。言論統制の敷かれたこの時代、太宰は現実社会から題材をとらず、古典や伝承、そして日記や手紙に題材を求め、一貫して戦争を無視し続け、読者を楽しませることだけに重きを置いています。

 物語のなかで「僕」が流行作家(通俗作家)として描かれているのは、当時の太宰自身の姿、つまり貧乏人根性を持ちつつ、生活の為に小説を書いている己の姿を投影させたからでしょう。そして静子のような金とは無縁の “ 芸術 ” が羨ましくもあった筈です。

 『水仙』という作品は、太宰自身が芸術と生活の狭間で揺れ動いている自分に向けて「今のあなたは芸術家ですか?」といった問いを投げかけているような気がします。と、同時に未来の自分を暗示しているかのようです。

 なにはともあれ、わたし自身いつの日か、芸術の分かるときがくるのでしょうか。いやはや・・・。

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