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太宰治・新釈諸国噺『貧の意地』あらすじと解説【心の貧困!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【心の貧困について】

 経済的には豊かとされている我が国でも、昨今は貧困問題がクローズアップされるようになりました。子供の貧困率で言うと13.9%、7人に1人が貧困に苦しんでいると言われています。

 一方で「心の貧困」問題も囁かれています。
「心の貧困」とは常に満たされない、強欲で利己的、自己中心的な心、または無気力、無関心で他人に思いやりを持てない心のことを言います。

 では、「心の貧困」は何故起こるのか。
経済的な貧困問題と心の貧困問題は一蓮托生と言えます。―――何故なら、貧困は心までも蝕むからです。

 格差社会を野放しにしてきた行政側にこそ問題があるのですが、それはともかくとして、かつては貧しさを誇りとしていた時代がありました。

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太宰治・新釈諸国噺『貧の意地』あらすじと解説【心の貧困!】

新釈諸国噺『貧の意地』は短編集『お伽草紙』(新潮文庫)の中に収められています。

太宰治(だざいおさむ)とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島(つしま)(しゅう)()。(1909~1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。

 青森中学、旧制弘前(ひろさき)高等学校(現・弘前大学)を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。

   井伏鱒二

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 一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。昭和14(1939)年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』駆込(かけこ)(うった)へ』など多くの佳作を書きます。

 戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(享年38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌(おうとうき)が営まれています。
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    太宰治

『新釈諸国噺(しんしゃくしょこくばなし)』とは?

 『新釈諸国噺』とは、12編の短編から成る太宰治の作品集のことで、江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者であった井原西鶴の著作の中から、太宰自身がお気に入りの作品を選んで現代語訳をし、独特の趣向を凝らして描かれた作品集となっています。

 太宰は冒頭の「凡例」で次のように述べています。

 西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのような仕事に依よって、西鶴のその偉さが、さらに深く皆に信用されるようになったら、私のまずしい仕事も無意義ではないと思われる。

 ちなみに『貧の意地』の元になっているのは、(井原西鶴『諸国はなし』巻一の三、大晦日(おほつごもり)はあはぬ算用)です。

井原西鶴(いはら‐さいかく)とは?

 井原西鶴(本名は平山藤五)とは、江戸時代前期の浮世草子・人形浄瑠璃作者・俳人です。(寛永19年(1642年)- 元禄6年(1693))

 大坂の商家に生まれた井原西鶴は、15歳頃から俳諧を学び、矢数(やかず)俳諧(はいかい)でその名を広く世間に轟かせるようになります。その後、浮世草子を手掛けるようになり『好色一代男』を始めとした、数多くの名作を残していきます。

 代表作として他に、『好色五人女』『武道伝来記』『好色一代女」』『武家義理物語』『本朝二十不孝』『日本永代蔵』『世間胸算用」』『西鶴織留』『西鶴置土産」』などがあり、近世文学の代表者の一人とされています。


    井原西鶴

矢数俳諧(やかず‐はいかい)
 〘名〙 俳諧形式の一つ。京都三十三間堂の「通し矢」にならって、一昼夜または一日のあいだに独吟の句数を競った俳諧興行。大句数(おおくかず)。大矢数。矢数。

出典:精選版 日本国語大辞典

『貧の意地』あらすじ(ネタバレ注意!)

 むかし、江戸の品川に、原田内助という髭の濃い、目の血走った中年の大男が住んでいました。この原田内助という男、恐ろしい容貌とは反対に、気は小さく、剣術はめっぽう弱い。しかも、呆れるほどのお人好し者でした。

 生活は極貧で、家の中は荒れ放題です。こんな男ですから、親戚中から持て余されています。けれども、元は武士の出というだけあって、つまらぬ自尊心だけは捨てていません。そんな原田でしたが、年に一度の大晦日だけは知らぬ顔をして過ごすわけにはいきません。

―――掛け取りがやって来るからです。

※掛け取り(かけとり) 掛け売りの代金を取り立てること。また、その人。

 大晦日が近づくにつれて、原田内助、掛け取り相手に気が違ったような芝居をして、気味悪がらせたりします。「来るなら来い」などと、哀れな言葉を(うわ)(ごと)のように呟いては「えへへ」と、笑ったりします。

 そんな亭主の姿を見かねた妻は、自分の兄、半井(なからい)(せい)(あん)という医師の家に駆け込みます。そして泣きながら窮状を訴えます。清庵は呆れながらも小判十枚を紙に包み、妹に手渡してくれました。

 妻から小判十枚を見せられた原田内助は、「このまま使っては、果報負けがして、わしは死ぬかも知れない。」と変な理屈をつけて、友人達を呼んで雪見の宴を催すことにします。招かれたのは、山崎、熊井、宇津木、大竹、磯、月村、そして短慶坊主の七人でした。

 この七人も原田と同じで、その日暮らしの貧しい浪人達でした。七人はそれぞれおかしな出で立ちで現れましたが、誰一人としてお互いの服装を笑ったりする者などいません。年長者の山崎が客を代表して謝辞を述べます。原田内助も「どうか、ごゆるり。」と言い、酒宴が始まりました。

 宴も深まり、程よく酒が回ってきた頃、原田は礼の小判を取り出して見せます。そしてその小判を順々に回します。客の中にはその重さに驚く者あり、また一句浮かぶ者もあり、こうして一巡した小判は原田の膝元に戻ってきます。これを機に、場はお開きとなりました。

 年長者の山崎は座り治して、お礼を述べます。そして、それぞれが席を立とうとしたときでした。原田の顔色がさっと変わります。―――小判が一枚足りないのです。
原田は素知らぬ顔をして、一行を送り出そうとします。

 しかし、その様子を見ていた年長者の山崎が「小判が一枚足りませんな。」と言います。原田は「最初から九両だった」と言い張りますが、客人は揃って「たしかに十枚あった筈」と言い、皆で部屋の隅々までを探しますがどこにも落ちていません。

 年長者の山崎は真っ裸になって身の潔白を証明します。すると他の一同も殺気立ち、同じように真っ裸になり、己の身の潔白を証明していきます。ところが、短慶という坊主が間の悪いことに一両を持っていました。



 短慶坊主は「思いも寄らぬ災難。言い開きも、めめしい。ここで命を。」そう言って脇差しに手を掛けます。一同は駆け寄ってそれを止めようとしますが、頑なに腹を切って身の潔白を証明すると言って譲りません。

 そうこうしているとき、「おや?」と、原田が叫びます。見ると行燈の下に小判が一枚、きらりと光っています。一同は安堵し、笑い崩れました。すると今度は「あれ!」と妻の驚く声が聞こえます。なんと、重箱の下から小判がもう一枚出てきたのです。

―――小判が十一枚。
 皆は、怪訝な面持ちで、ただ顔を見合わせているだけでした。年長者の山崎は「いや、これも、あやかりもの。」と、滅茶苦茶な言葉を発します。しかし、この場合は原田に収めて貰うのが無難と客の誰もが考えていたのでしょう。無理矢理、原田に押し付けて帰ろうとします。

 けれども、収まらないのは原田です。原田は「貧なりといえども武士のはしくれ、この一両のみならず、こちらの十両も、みなさんお持ち帰り下さい。」と、変な怒り方をします。挙句の果てには「一両を出した方が名乗り出なければ腹を切る。」と言い出す始末です。

 そうは言っても申し出る者はいません。そこで原田は珍しく名案を思い付きます。それは重箱の蓋に小判を載せて玄関に置き、小判の主は黙って持ち帰るというものでした。客は一人ずつ順番に帰って行きます。あとで妻が玄関に出てみると小判はありません。

―以下原文通り―
 「どなたでしょうね。」と夫に聞いた。
原田は眠そうな顔をして、「わからん。お酒はもう無いか。」と言った。

 落ちぶれても、武士はさすがに違うものだと、女房は可憐に緊張して勝手元へ行き、お酒の燗に取りかかる。

青空文庫 『新釈諸国噺』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2269_15103.html

『貧の意地』【解説と個人的な解釈】

 主人公の原田内助は、恐ろしい容貌に反して、剣術は弱く、呆れるほどのお人好し者です。しかも極貧で、親戚中から相手にされません。そんな男ですが、妻の内助の功に助けられます。年末の掛け取りの際に、兄から十両という大金を借りてきてくれたのです。

 原田はその金で、七人の貧しい浪人仲間たちを招いて宴を開きます。ところがそんな中、十両あったはずの小判が一枚足りなくなるといった事件が起きます。めいめいが自分の疑いを晴らそうとしましたが、そのうちの一人、短慶坊主がタイミング悪く小判を一両持っていました。

 短慶は切腹して、自身の潔白を証明しようとします。周りの者は慌てて止めようとします。すると小判が一枚出てきます。さらに続けてもう一枚出てきました。なんと小判は十一枚になったのです。この一枚の持ち主を巡って場は紛糾します。

 結局小判一枚を玄関に置いて、持ち主は持ち帰るといった方法で場を収めます。あとから見てみると小判は無くなっていて、「落ちぶれても、武士はさすがに違うものだ」と、妻の言う台詞で結末を迎えます。

 『貧の意地』は、元武士のプライドの高さを、滑稽に描いた作品です。けれどもその中に、武士という人種の潔さ、人を哀れむ心、または良心がふんだんに盛り込まれています。原田自身も身の程に合わない大金を借りたことを悔やんだに違いありません。

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あとがき【『貧の意地』の感想を交えて】

 “ 武士は食わねど高楊枝(たかようじ)ということわざがあります。
武士の清貧さや体面を重んじる気風のことですが、『貧の意地』を読んでいると、どうしてもこのことわざを思い浮かべてしまいます。

 主人公の原田内助しかり、招かれた客人達、揃いも揃って極貧生活を強いられています。誰もが年末の支払いに窮していることでしょう。喉から手が出るほどお金は欲しいに決まっています。それでも武士の面目、自尊心だけは決して捨てていません。

 武士のプライドを滑稽に描いた井原西鶴、それを独特なユーモアを加えて再度世に出した太宰治、いずれにしても現代に生きるわたし達に、さも「心だけは貧しくなるな!」と、問いかけているかのようです。

 さて、冒頭で述べた「心の貧困」問題についてですが、わたし達を取り巻く社会全体の問題であると認識するべきでしょう。お金の有る無し、地位の有る無しで、その人の価値を決めていることが問題なのです。

 日本という国には、“ 貧しさを恥としない” 美の倫理が、確かに存在しています。
それは、災害時に暴動や略奪が起きないことからでも証明できます。日本人には「火事場泥棒ほど恥ずかしいことはない」といった倫理が定着しているからです。

 こういった日本人の美しい倫理観が平常時の社会にもたらされるようになったとき、そして人間の価値が “ お金よりも心 ” へと比重が置かれるようになったとき、始めて「心の貧困」問題は解決できるものと、わたしは考えます。

武士は食わねど高楊枝
 武士は、たとえ貧しく物が食えなくても、食べたようなふりをして楊枝を使うの意で、武士は貧しても不義を行なわない、また、矜持の高いことをたとえていう。

 ※歌舞伎・樟紀流花見幕張(慶安太平記)(1870)大詰「諺に申す武士は喰はねど高楊枝」

出典:精選版 日本国語大辞典

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