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芥川龍之介『蜘蛛の糸』と蓮の池散策【お釈迦様真実の教え!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【介護には気分転換が必要!】

 高齢者の面倒を見ている方の多くは、“ 自分の時間を削っている ” といった意識が、頭の片隅のどこかにあるのではないでしょうか。
実際、わたしも介護を始めた頃は、そんな悩みを抱えていました。

 仕事以外の時間を全て費やしているにも関わらず、思い通りにいかないことが多すぎるといったジレンマは次第に心を蝕んでいきます。
第三者は簡単に 「 気分転換でもすれば? 」 と、言います。

 しかし現実問題、心配な部分もあり、遠出とかおいそれと実行に移せません。
つまり、時間のやり繰りを上手にして、限られた時間の中で、趣味を含めた気分転換をはかるしかないのでしょうね。

 ストレスを溜め込むのは、自分自身にも、また介護を受けている一方の人間にも、精神上良くないのは誰もが知っていることです。

 ちなみに、『人間失格おじさん』の趣味は、読書と史跡巡りです。
読書は睡眠前の日課として、読書量はともかくとして現在も続けています。
史跡巡りについては、介護生活が始まる前まで、随分と遠方に足を運んでいたものですが、それは今や夢の如くです。

 長々とした御託はさておき、
―――気分転換のために近場での散策を初めてみました。

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芥川龍之介『蜘蛛の糸』と蓮の池散策【お釈迦様真実の教え!】

蓮の池散策【芥川龍之介『蜘蛛の糸』を思い出して】

 とある休日、創健が平安時代までも遡るといった由緒正しい神社に、ふと思いつき、散策に出かけることにした。

 境内には大きな池がふたつ、仲良く寄り添うように並んでいる。
一見、小さな湖かと見間違うような広さの池だ。

 ふたつの池からは水面が消えていた。
池を覆いつくすように、びっしりと蓮の葉が群れて生息していたからだ。

 鮮やかな新緑の葉のところどころから、蓮の花が恥ずかしそうに顔を覗かせている。
花びらが淡いピンク色に染まっているから、そう見えるのだろうか。

 小一時間くらいか、その景色を眺めているうちに、芥川龍之介の短編小説、『 蜘蛛くもの糸 』 を思い返していた。有名すぎる作品であるから内容は話すまでもないとも思ったが、一応軽く触れておく。

芥川龍之介とは?

 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892-1927)
東京市京橋区(現:東京都中央区)に生まれ、東京帝大英文科在学中から創作を始めます。短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛され、本格的に作家の道を歩き出します。

 その後今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。

 1921(大正10)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていき、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。1927年7月24日、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。享年35歳。


  芥川龍之介

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『 蜘蛛の糸 』あらすじ(ネタバレ注意)

 極楽の蓮池のふちを散歩していた御釈迦(おしゃか)(さま)が池の底をのぞきこむと、極楽の下にある地獄の様子が見えます。そこには、殺人や放火の罪を犯した大泥棒の犍陀(かんだ)()という男がいました。

 犍陀多が生前に行った唯一の良いこと、それは蜘蛛(くも)の命を救ったことでした。
そのことを思い出した御釈迦様は、犍陀多を救ってやろうと極楽から地獄の底へ、蜘蛛の糸を垂らしてあげます。

 地獄から逃れようと犍陀多は蜘蛛の糸をよじ登りますが、ふと下を見てみると、大勢の罪人たちが犍陀多と同じように蜘蛛の糸を登ってくるのが見えます。

 糸の切れることを恐れた犍陀多が彼らに向かって、糸は自分だけのものであるから下りろと叫んだ途端、糸は切れて犍陀多は地獄の底へ落ちてしまいました。

御釈迦様は悲しそうな顔をして、また極楽の蓮池のふちを歩いて行きます。

お釈迦様(おしゃかさま)とは?


サールナート考古博物館のブッダ像

 仏教という宗教は、インドのお釈迦様(ブッダ)が創始したものです。お釈迦様は紀元前463年頃に、北インドのシャーキャ(釈迦)族の王子として生まれました。(この頃の名前はゴータマ・シッダールタ)

 驚くことに、イエス・キリストより500年も古い時代です。そのゴータマ・シッダールタが、あるとき妻子を捨てて出家をします。その後、色々な修行の末に、35歳の頃、ブッダガヤーの菩提樹の下で悟り(覚りとも書く)を開いてブッダとなります。

 以後、80歳で没するまで,ガンジス川流域の中インド各地を周遊して人々を教化しました。ちなみにブッダとは、「悟りを開いた人(覚者(かくしゃ))」という意味の言葉です。これが中国で漢字に直されて「仏陀」となり、それを略して「仏」といいます。

『終活』するなら「仏教」を学ぼう!【仏教の宗派と歴史】


青空文庫 『 蜘蛛の糸 』 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html

蓮の池散策(つづき)【とある住職の法話】

 思い返すと言っても、本文の内容からは少し逸れる。
以前に史跡巡りで訪れた、ある禅宗寺院の住職が、法話で 『 蜘蛛の糸 』 のその後を勝手に創作し、話していたのを思い返していたのだ。



 小説の結末は、あらすじにも書いたが、主人公の犍陀多が、自分ひとりだけ地獄から抜け出そうとしていたのを見た御釈迦様が、もとの地獄へと落としてしまうというものだ。

 住職の法話の内容はこうである。

「御釈迦様は決して救いの手を一度きりで終わらせたりはしません。仏教の教えにおいて “ 慈悲じひ ”とは、最も尊い教えのひとつです。犍陀多にいずれ憐憫れんびんの心が備わるとき、御釈迦様はきっと再び、蜘蛛の糸を垂らすことでしょう。」

 (わたしにも、いずれ蜘蛛の糸のような幸運が舞い込んでくるのだろうか?)
そんな空想に耽っていたとき、一輪の蓮の花が風になびいた。

 それはまるで、首を横に振っているかのように。


おわり

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