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芥川龍之介『おしの』あらすじと解説【宗教的価値観の相違!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【芥川の「切支丹物」について】

 以前、芥川龍之介の短編小説『おぎん』をブログに載せました。いわゆる切支丹物と呼ばれている作品です。芥川は生涯で十五篇の切支丹物を書いています。

 古い作品からあげると、『煙草と悪魔』『尾形了斎覚え書』『さまよへる(ユダ)太人(ヤじん)』『奉教人の死』『るしへる』『邪宗門』『きりしとほろ上人伝』『じゆりあの・吉助』『黒衣聖母』『南京の基督』『神々の微笑』『報恩記』『おぎん』『おしの』『糸女覚え書』の十五篇です。

 今回はこの中から、『おしの』をご紹介したいと思います。

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芥川龍之介『おしの』あらすじと解説【宗教的価値観の相違!】

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)とは?

 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892~1927)
芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現・東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生まれます。

 しかし生後間もなく、母・ふくの精神の病のために、母の実家芥川家で育てられます。(後に養子となる)学業成績は優秀で、第一高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学英文科に進みます。

 東京帝大英文科在学中から創作を始め、短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛されます。今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。

   夏目漱石

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 本格的な作家活動に入るのは、大正7(1918)年に大阪毎日新聞の社員になってからで、この頃に塚本文子と結婚し新居を構えます。その後、大正10(1921)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていきます。

 また、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。昭和2(1927)年7月24日未明、遺書といくつかの作品を残し、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。(享年・35歳)

   芥川龍之介

短編小説『おしの』について

 短編小説『おしの』は、大正12(1923)年4月、『中央公論』に掲載されます。翌年の大正13(1924)年7月、芥川龍之介作品集『黄雀風(こうじゃくふう)』に収められ、同年の10月には短編集『報恩記』に収録されます。

『おしの』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある梅雨(つゆ)(ぐも)りの日です。南蛮寺(なんばんじ)の堂内で紅毛人(こうもうじん)の神父が一人、祈祷を捧げていました。神父は四十五歳くらいで頬に髭をたくわえています。参詣人(さんけいにん)は一人もいなく堂内はひっそりと静まりかえっていました。

 そこへ武家の女房らしい三十代の女が一人、堂内に入って来ます。女は珍しそうに堂内を見ながら奥へと進みます。すると薄暗い聖壇の前に神父が一人(ひざまず)いています。女はそこで足を止め、黙って神父を眺めていました。

 祈祷をやめた神父に女は、一番ヶ瀬(いちばんがせ)半兵衛(はんべえ)の後家「しの」と名乗ります。そして十五歳になる息子「新之丞(しんのじょう)」の病気を治してほしいと訴え出たのでした。新之丞は春から(わずら)い、医者に見せたり、薬を与えたりしたのですが一向によくならず、衰弱する一方なのだと言います。

 さらに経済的にも困窮するようになり、思うように治療することもできず、南蛮寺の神父の医法は当時不治の病と言われていた「白癩(びゃくらい)」をも治すことができるという噂を聞きつけ、思いあまって南蛮寺を訪ねてきたと言うのでした。

 「しの」は息子を見舞ってほしいと神父に頼みます。神父は、(女は霊魂(れいこん)の助かりを求めに来たのではない。肉体の助かりを求めに来たのだ……)と思いますが、訪問する約束をします。いずれ「肉体の救い」から「魂の救い」へ導くことができると思ったからでした。

 神父は「しの」に、「御安心なさい。とにかく出来るだけのことはして見ましょう。」と優しく語りかけます。「しの」は穏やかに神父に言いました。「一度お見舞い下されば、心残りはございません。その上は清水寺の観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)の御冥加(みょうが)にお(すが)り申すばかりでございます。」

 観世音菩薩!―――この言葉を聞いたとたん、神父の表情は腹立たしい色を(みなぎ)らせます。そして、「あなたがたが(あが)めるのは偶像です。まことの神、まことの天主はただ一人デウスしか()られません。」と、一気にキリスト教の教えを「しの」に説いたのでした。

 そして神父は、「ジェズスは我々を救うために、(はり)()にさえおん身をおかけになりました。御覧なさい。あのおん姿を?」と、ステンドグラスに描き出されたイエスの十字架の磔刑(はりつけけい)の絵を指さします。

 「しの」は、窓をふり仰ぎながら、「あれが噂の南蛮の如来(にょらい)でございますか?倅の命さえ助かりますれば、わたしはあの磔仏に一生仕えてもかまいません。」と、言いました。神父は勝ち誇ったように、前よりも雄弁にイエスの生涯を語ります。

 「しの」は、眼を輝かせ、神父の声に聞き入っていました。そして苦難の十字架でのイエスの言葉、「エリ、エリ、レマサバクタニ(わが神、わが神、何ぞ我を捨て給うや?)」と、イエスの生涯の語りも最高潮に達したところで、神父は思わず口を閉ざしてしまいます。

―――「しの」が軽蔑と憎悪のまなざしを神父に向けていたからです。

 「しの」は口を開きます。
「南蛮の如来とはそういうものでございますか?わたくしの夫、一番ヶ瀬半兵衛は佐々木家の浪人でございます。しかし一度も敵の前に後ろを見せたことはございません。」

 さらに「しの」は言葉を続けます。
「天主ともあろうに、たとえ(はり)()にかけられたにせよ、かごとがましい声を出すとは見下げ果てたやつでございます。そういう臆病ものを(あが)める宗旨(しゅうし)に何の取柄がございましょう?倅も臆病ものの薬を飲まされるよりは腹を切るというでございましょう。」

 「知っていれば、わざわざここまでは来なものを、――それだけは口惜(くちお)しゅうございます。」
「しの」はそう言い残すと、あっけとられた神父に背を向けて、さっさと外に出て行ってしまったのでした。

青空文庫 『おしの』 芥川龍之介
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芥川龍之介のキリスト教観

 芥川龍之介は十五篇の切支丹物の作品を残しています。芥川は年少の頃から、キリスト教にかなりの興味を持っていました。

僕は年少の時、硝子画の窓や振り香艫やコンタスの為に基督教を愛した。その後僕の心を捉へたものは聖人や描音の伝記だった。僕は彼等の捨命の事蹟に心理的或は戯曲的興味を感じ、その為に又基督教を愛した。即ち僕は基督教を愛しながら、基督教的儒仰には徹頭徹尾冷淡だった。
(『ある鞭』全集第十九巻)

 このように、キリスト教に肯定的な立場に立っていた芥川でしたが、晩年に至るに従って否定の方向へと変わっていきます。それは芥川が切支丹関係の書物を読破していったことが理由と考えられています。

 要するに、芥川のキリスト教への関心は、「殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興味を与へたのである。」と述べていることからも分かるように、あくまでも第三者的な視点に立った興味であり、自らが信仰するに至らなかったものであったと考えられます。

 しかし、芥川の死の枕元には聖書が置かれていたといいます。それが何を意味するのかは、芥川本人じゃなければ分かりません。それでも、死の直前までキリスト教への関心は薄れていなかったということだけは察することができます。

『おしの』【解説と個人的な解釈】

 短編小説『おしの』は、佐々木家の浪人一番ヶ瀬半兵衛の未亡人「しの」が、その息子「新之丞」の病を治してほしいと南蛮寺の紅毛人神父を訪ねるといった内容の物語です。

 オランダからはるばる布教のために来日した神父は、当然ながら信者を増やす良い機会と捉えます。けれども「しの」の望みは、「魂の救い」ではなく「肉体の救い」、ただその一点です。

 神父は、彼の信じる「唯一の神・キリスト」を一生懸命説きます。ところが、キリスト教について少しの知識も持っていない「しの」にとっては、清水寺も南蛮寺も、観世音菩薩もイエスも同じ意味を持っています。

 そんな「しの」に、イエス・キリストの生涯を説いたとしても到底理解できるはずがありません。繰り返しますが「しの」の望みはただ一点、息子の「肉体の救い」だけなのです。

 物語の結末で神父は、十字架でのイエスの言葉、「エリ、エリ、レマサバクタニ(わが神、わが神、何ぞ我を捨て給うや?)」と説きます。神父にとっては感動の名場面です。ところが「しの」の反応は冷ややかなものでした。

 我が息子の「肉体の救い」よりも、「しの」にはもっと大事な価値観が存在していたということです。それは「強さ」や「潔さ」といった武士ならではの価値観と言えるでしょう。その妻の価値観もまた然りです。

 つまり短編小説『おしの』は、西洋的価値観と日本人的(武士的)価値観の相違、または、芥川がこの小説を書いた大正13(1924)年当時、先進国と呼ばれていた欧米列強諸国の傲慢さを、キリスト教を通して皮肉ったものと個人的には解釈しています。

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あとがき【『おしの』の感想を交えて】

 グローバル化、そしてインバウンドの回復もあり、さまざまな国の人間と交流する機会が増えてきました。そこでわたしたち日本人が真っ先に考えなければいけないのは、文化や宗教の違う人たちだということを認識することです。これは差別ではありません。価値観が違う人間なのだと認識するという意味です。

 「郷に入っては郷に従え」という言葉がありますが、それは日本人だけのものではありません。イタリアにも「「When in Rome do as the Romans do(ローマではローマ人のするようにせよ)」という言葉があります。とは言え、この考えが理解できない人たちも現実にいるのです。

 『おしの』を読むと、ふと、こんなことを考えてしまいます。日常生活において、自分の価値観を他人に押し付けていたりしていないか?と……。自分が正しいと思っていることでも、別の角度から別の人間が見たら、それは間違いだったりします。

 ともかくとして、一人一人が他者の価値観を尊重することが、もっとも大切なことのように、『おしの』を読むと特に身にしみて感じます。

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