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芥川龍之介『捨児』【たとえ血が繋がっていなくとも!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【「赤ちゃんポスト」の現在】

 十年一昔といいますが―――2007年、熊本県の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」、いわゆる「赤ちゃんポスト」が設置され、大きな議論を巻き起こしたことは、わたし的には昔のことならず、現在進行形の関心事です。

 それはわたし自身も、両親との縁が薄く祖父母に育てられるといった経験を経ているからです。定期的に “ 児童虐待 ” のニュースが目に飛び込んできます。その瞬間いつも思うのは「赤ちゃんポスト」のことでした。

 わたしには幸い、育ててくれる祖父母がいました。けれども “ 捨てられていた ” 可能性だってあったわけです。昨今、格差社会による「子供の貧困問題」も大きくなりつつあります。

 つまりは社会全体の問題で、たまたま恵まれた環境にいる人こそ、目を向けるべきことなのです。ちなみに慈恵病院の「赤ちゃんポスト」は現在も設置され続けています。2020年度にも4人の赤ちゃんが預けられました。

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芥川龍之介『捨児』【たとえ血が繋がっていなくとも!】

芥川龍之介とは?

 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892-1927)
芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現:東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生まれます。

 しかし生後間もなく、母ふくの精神の病のために、母の実家芥川家で育てられます。(後に養子となる)学業成績は優秀で、第一高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学英文科に進みます。

 東京帝大英文科在学中から創作を始め、短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛されます。今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。


  夏目漱石

 本格的な作家活動に入るのは、大正7(1918)年に大阪毎日新聞の社員になってからで、この頃に塚本文子と結婚し新居を構えます。その後、大正10(1921)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていきます。

 また、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。昭和2(1927)年7月24日未明、遺書といくつかの作品を残し、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。(享年35歳)


  芥川龍之介

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『捨児(すてご)』あらすじ(ネタバレ注意!)

 浅草の永住(ながすみ)(ちょう)(しん)行寺(ぎょうじ)という小さな寺があります。明治二十二年の秋、その寺の門前に、男の子が一人捨てられていました。当時、信行寺の住職は、日錚(にっそう)という老人でした。

 日錚和尚はこの捨児に勇之(ゆうの)(すけ)という名前をつけて、我が子のように育て始めました。けれども、お勤めをしながらですから、育てるといっても容易ではありません。勇之助が風邪を引いたときは、抱いたままで法事の読経を済ませたと云います。

 こうして勇之助を大事に育てていた日錚和尚でしたが、一方で(出来ることなら本当の母親に会わせてやりたい)といった思いも抱いていました。信行寺では毎月十六日に説教を聞かせます。その際、和尚は “ 親子の恩愛 ” について懇ろに聞かせていたそうです。

 明治二十七年の冬のことです。十六日の説教日、日錚和尚のもとに、(ひん)()い三十四五の女性が訪ねて来ました。女性は和尚の前に手をつくと「私はこの子の母親でございます」と、思い切ったように告げます。

 和尚は女性に、子供を捨てた理由を訊ねました。
すると女性は、こういう話を始めたそうです。

 当時米屋を営んでいた夫が株に手を出したばかりに、夜逃げをしなければならなかったと。そのとき夫婦は、信行寺の門前に泣く泣く我が子を捨てて行ったと言います。

 その後、夫は運送屋に奉公し、女性は糸屋の下女として一生懸命働き、やがて生活にも余裕ができて、夫婦の間には新たに男の子も授かったと言います。ところが、そんな幸せもつかの間のことでした。

 夫はチブスにかかり一週間もしないうちに亡くなり、続けて生まれた子供までも、百ヶ日も明けないうちに命を落としたと言うのです。女性は半年間泣き続け、その悲しみが少し薄らいだとき、捨てた長男を(どんなに苦しくても養育したい)と、強く思うようになったと言います。

 女性はたまらず、すぐさま汽車に飛び乗ると、信行寺の門前へとやって来ます。それがちょうど十六日の説教日だったと言います。日錚和尚の説教を聞いた女性は、(長男を育てたい)という思いをいっそう強くし、和尚の前に手をついたとのことでした。

 女性の話を聞き終えた日錚和尚は、勇之助を招き、顔も知らない母親に五年ぶりの対面をさせます。こうして勇之助は、実の母親に引き取られて行きました。

 そんな私の長い話を聞いていた客、松原勇之助君はこう言います。
―――「その捨児が私です。」

 私が「お母さんは今でも丈夫ですか。」と聞くと客は意外な事実を告げました。
「一昨年亡くなりました。しかし今話した女性は、私の母じゃなかったのです。」
成長した勇之助は、ひょんな事から母親の素性を知ることとなったのです。

 米屋をしていて夜逃げしたことや、運送屋のことは事実でしたが、実際にいた夫婦の子供というのは女の子で、生後三月目には既に死んでいたということでした。

 「母は何故か子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのです。」

 私が「子でない事を知ったという事は、お母さんにも話したのですか。」と、訊ねると、客は「いえ、話しません。残酷ですから。母も死ぬまで一言(いちごん)も私に話しませんでした。けれども事実を知った後、母に対する気持ちが変化したのは事実です。」と、言いました。

 私が「どういう意味ですか。」と聞くと客はこのように答えました。

―以下原文通り―

「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、母以上の人間になりましたから。」

客はしんみりと返事をした。あたかも彼自身子以上の人間だった事も知らないように。

青空文庫 『捨児』 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/154_15206.html


『捨児』の解説【芥川龍之介の二人の母】

生母・新原フク

 芥川龍之介が生まれたとき、母のフクは数えで33歳、父親の敏三は42歳でした。男性の42歳と女性の33歳は大厄といい、忌み嫌われていました。そこで新原家では、旧来の俗習によって龍之介を捨て子にしなければなりませんでした。

 龍之介は、実家の筋向いにあったプロテスタント教会の門前に置かれます。あくまで形式的なものでしたが、作者・芥川龍之介本人も「捨児」だったのです。

 有名な話ですが、龍之介がまだ生後8か月に満たない頃、生母フクは突然精神に異常をきたし、発狂します。生母フクのことは芥川龍之介が『点鬼簿』に率直に記しています。

(芥川龍之介『点鬼簿』冒頭文)

僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を(くし)()きにし、いつも芝の実家にたった一人(すわ)りながら、長煙管(ながきせる)ですぱすぱ煙草を吸っている。顔も小さければ体も小さい。その又顔はどう云う訳か、少しも生気のない灰色をしている。

 同じく『点鬼簿』によると、フクは新原家の二階の座敷牢のようなところにいたと書かれています。そして龍之介が満10歳のとき、フクは亡くなりました。

青空文庫 『点鬼簿』 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/167_15143.html

育ての母・芥川フキ

 芥川家の養子に入った龍之介は、成人になるまで生母フクの姉(龍之介にとって伯母)・フキの手で育てられます。フキは独身で、龍之介を迎えた時点ですでに37歳になっていました。

 フキは龍之介を我が子のように慈しみ、愛情をこめて育てます。また教育にも熱心でした。この伯母について龍之介は『文学好きの家庭から』で「伯母がいなかったら、今日(こんにち)のような私ができたかどうかわかりません。」と、述べています。

青空文庫 『文学好きの家庭から』 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/25_15244.html

 どこか、小説『捨児』の物語と似ているように感じるのは、気のせいでしょうか。

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あとがき【『捨児』の感想を交えて】

 芥川龍之介といえば『羅生門』や『鼻』、そして『藪の中』のような人間のエゴや醜い部分を描き続けた作家という見方が大半でしょう。しかしその一方で、“ 母 ” をテーマとした作品も多く残しています。

 前項でも触れたように、生母は狂人となり、龍之介は本当の母から「愛情」を注がれることはありませんでした。それゆえに心の中で理想の母親像を描いていたものと考えます。

 小説『捨児』に登場する人間は、いずれも太陽の陽射しのように温かい人間ばかりです。日錚和尚しかり、実の母親でなくても勇之助を育ててくれた女性もしかりです。

 そして、そんな女性を「母以上の人間」と言い切る勇之助もその一人です。小説『捨児』は、わたしたち読者一人一人の心までも温かくしてくれます。

 さて、冒頭で述べた「赤ちゃんポスト」に話題を戻しますが、子供を預けた親にはそれぞれの事情があります。不倫や若年妊娠、貧困などの経済的な理由から等、事情は色々です。

 ここからは個人的な思いですが、不幸にして恵まれない環境に生まれてきた子供たちに、日錚和尚や勇之助の育ての母親のように、手を差し伸べる人間が一人でも多く出てくること、つまり社会全体が日陰の中にいる子供たちに陽射しを与えるような世の中になることを切に願います。

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