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芥川龍之介『羅生門』【「生か死か」二者択一の選択!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【小説『羅生門』とわたし】

 確か高校一年のときだったと思います。授業で『羅生門』の物語を知ったとき、内心で(なぜこのような悪者の物語を教えるのだろう?)といった疑問を感じたことを覚えています。

 しかも担当教師はしたり顔で何やら説明をしていましたが、当時のわたしは何分にも純粋だったのか、下人の行動を(なんだかおぞましい)と、感じただけで、テストに出そうな箇所をノートに書き写すだけでした。

 それから時は流れて、社会人として踏み出すことになるのですが、その第一歩でいきなり(つまづ)きます。就職してから半年後、勤め先が倒産したのです。

 給料も未払いのまま、野良猫のように寮から放り出されたとき(まるで『羅生門』の下人のようだ)と、物語を思い出したものです。

 このとき始めて(生きるためには悪いことをしていいのか?)ということを真剣に考えました。当時はバブルも弾け、日本全体が黒い雲に覆われているような状況でしたから。

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芥川龍之介『羅生門』【「生か死か」二者択一の選択!】

芥川龍之介とは?

 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892-1927)
芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現:東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生まれます。

 しかし生後間もなく、母ふくの精神の病のために、母の実家芥川家で育てられます。(後に養子となる)学業成績は優秀で、第一高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学英文科に進みます。

 東京帝大英文科在学中から創作を始め、短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛されます。今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。


  夏目漱石

 本格的な作家活動に入るのは、大正7(1918)年に大阪毎日新聞の社員になってからで、この頃に塚本文子と結婚し新居を構えます。その後、大正10(1921)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていきます。

 また、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。昭和2(1927)年7月24日未明、遺書といくつかの作品を残し、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。(享年35歳)


  芥川龍之介

芥川龍之介【他の作品】

芥川龍之介『蜘蛛の糸』と蓮の池散策【お釈迦様真実の教え!】
芥川龍之介『杜子春』に学ぶ人生観【人間らしく正直に生きる!】
芥川龍之介『芋粥』から学ぶ【人間的欲望の本質!!】
芥川龍之介『おぎん』【キリシタン達が信仰に求めたものとは?】
芥川龍之介『捨児』【たとえ血が繋がっていなくとも!】
芥川龍之介『トロッコ』【「憧れ・喜び」が「不安・恐怖」へ!】

小説『羅生門(らしょうもん)』とは?

 『羅生門』は芥川龍之介がまだ無名だった東京帝国大学在学中、大正4(1915)年11月に雑誌『帝国文学』で発表された短編小説で、芥川の王朝物語の第一号とされる作品です。

 大正6(1917)年5月には『鼻』『芋粥』の短編とともに、阿蘭陀書房から第1短編集『羅生門』として出版をします。

 『今昔物語集』の本朝世俗部巻二十九『羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で描かれています。

 ちなみに、黒澤明による映画『羅生門』(1950年)は、大正11(1922)年に発表した短編小説『藪の中』を原作としていて、本作から舞台背景、着物をはぎ取るエピソード(映画では赤ん坊から)を取り入れています。

『羅生門』あらすじ(ネタバレ注意!)

 平安時代、京の都を、地震や辻風(竜巻)、飢饉といった天変地異が幾度となく襲います。ですから無論のこと、洛中(らくちゅう)(平安京内)はさびれていく一方でした。

 洛中でさえそのような有り様なのですから、羅生門は酷く荒廃しています。やがて()()盗人(ぬすびと)が住み着くようになり、ついには、引取り手のない死人をこの門に捨てて行くといった習慣さえ出来てしまいました。

 ある日の暮れ方ことです。雨模様のなか羅生門の下で、ひとりの若い下人(げにん)(身分の低い者)が途方に暮れていました。下人は数日前に、仕えていた主人から暇を出されたのです。

 下人には行くあてなどありません。このままでは飢え死にするのを待つばかりです。(いっそ盗賊にでもなるより仕方がない。)そんな考えも頭を過ったりしますが、勇気も出ずに、思い悩んでいたのです。

 折からの雨と風が下人の体温を奪っていきます。下人は(雨風をしのげて一晩寝られそうなところはないか)と、辺りを見回します。すると幸いなことに、門の上の楼へとのぼる梯子はしごを見つけたのでした。

 下人が梯子を上っているときでした。―――なにやら人の気配がします。
下人は足音を立てないように、そおっと、羅生門の楼の上に這い出て、恐る恐る中の様子を(うかが)って見ます。

 楼閣の上には身寄りのない、いくつもの遺体が捨てられています。ところがその中で、―――誰かが火を灯し、その火をそこここと、動かしているのでした。

 下人が目を凝らして見ると、一人の老婆が松明(たいまつ)を灯しながら、若い女性の遺体から髪を引き抜いているのです。この行為を見た下人は、激しい怒りの感情を覚えます。いや、あらゆる悪に対する憎悪だったのかもしれません。

 そこで下人は、刀を抜いて老婆に襲い掛かります。老婆は慌てふためいて、逃げようとしました。下人はそんな老婆をねじ伏せて「何をしていた?」と、訊ねます。

 老婆はわなわなと震え、言葉も出ない様子でしたが、下人が少し声を柔らかくすると、「この髪を抜いてな、(かずら)にしようと思うたのじゃ。」と、答えました。そして老婆はさらにこのようなことを言います。

 「確かに遺体から抜いた髪で鬘を作ることは、悪いことかも知れない。けれども、今自分が髪を抜いたこの女も、生前には蛇の干物を干魚(ほしざかな)だと偽って売り歩いていた。」

 「わしは、女のしたことが悪だとは思っていない。しなければ餓死をするのだから仕方がない。だから、わしが髪を抜いたとしても、この女は許すであろう。」

 老婆のはなしを聞いているうちに、下人の、悪に対する怒りは消えていきます。そして、反対の新たな感情が生まれます。下人は、老婆の襟髪えりがみをつかみながら、噛みつくようにこう言います。

 「では、(おれ)引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。そうしなければ、饑死をする体なのだ。」

 下人は、素早く老婆の着物を剥ぎ取ると、瞬く間に梯子を駆け下りて、漆黒の闇へと消えて行きます。

 この後の下人の行方は、誰も知りません。


青空文庫 『羅生門』 芥川龍之介
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『今昔物語集』と芥川龍之介『羅生門』の違い

  1. 主人公の境遇
    『羅生門』――――主人から暇を出された哀れな下人
    『今昔物語』―――盗人になる目的で摂津(せっつの)(くに)から京都に上ってきた男
  2. 門の二階に上る理由
    『羅生門』――――寒さを避けて夜を明かすため
    『今昔物語』―――人目を避けて隠れるため
  3. 老婆が髪の毛を抜いていた遺体の正体
    『羅生門』――――蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた商売人
    ※ この部分だけは『今昔物語集』巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」から
    『今昔物語』―――若い娘の遺体は老婆の主人で葬る人がいないために羅生門に遺体を運んできた
  4. 遺体の髪の毛の利用目的
    『羅生門』――――かつらにして売るため
    『今昔物語』―――かつらにして(形見にする?それとも自分で使用する?)ため
  5. 下人が老婆に襲いかかる理由
    『羅生門』――――正義感に燃えて老婆を襲う
    『今昔物語』―――単純に窃盗行為のために老婆を襲う
  6. 老婆の下人への訴え
    『羅生門』――――「飢え死にをするから仕方がない」と、自己肯定をする
    『今昔物語』―――「お助けください」と、命乞いをするだけ
  7. 下人は何を盗んで逃げたか
    『羅生門』――――老婆の着物を奪って逃げる
    『今昔物語』―――老婆の着物だけでなく、死んだ女の着物と、老婆が持っていた死人の髪までも奪って逃げる
  8. 物語の終わり方
    『羅生門』――――下人のゆくえは、だれも知らない
    『今昔物語』―――男がこの話を人々に伝えていくという後日談がついている
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あとがき【『羅生門』の解説と感想を交えて】

 『羅生門』の下人が、ここでやっと盗人になる決意を固めたのに対し、『今昔物語集』の男は、盗みを働くに至るまでの葛藤など、最初からありませんでした。 つまり、芥川は「善と悪」の狭間で揺れ動く “ 人間究極の倫理観 ” を描こうとしたのでしょう。

 下人は最初、生きていくために盗人になろうかと「悪」を考えます。けれどもその勇気がありませんでした。しかし、老婆の行為を目撃したとき、「善」の部分が出てきます。ところが老婆の弁明を聞くにつれて、またもや心は「悪」へと変わっていきます。

 思うのですが、下人は盗人になる以外の道など、はなから考えていなかったのではないでしょうか。振り絞る勇気がなかっただけで、何らかの理由付けが必要だったのです。―――それが老婆という存在でした。

 仮にですが、老婆が遺体に手を合わせていたとしても、下人は、自分に都合よく解釈をして、「悪」を働いていたでしょう。生きるという本能のもとに。


鈴鹿本(鎌倉中期写)

 さて、給料も未払いのまま、野良猫のように寮から放り出され(まるで『羅生門』の下人のようだ)と、感じたわたしでしたが、同じく寮を追い出された仲間の実家が、近くにあったということもあり、そこに約三か月居候という形でお世話になり、どうにか「悪」を働かずに済みました。

 「生か死か」「善か悪か」というような二者択一ではなく、その間には無限の選択肢があるように思います。芥川が『羅生門』の結末を「この後の下人の行方は、誰も知りません。」と、読者の想像に任せているのも、そのような理由からだと、わたしは勝手に解釈をしています。

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