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芥川龍之介『蜜柑』あらすじと解説【純粋無垢な姉弟の思いやり!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【子どもの貧困について】

 厚生労働省の「国民生活基礎調査」(2022)によると、子どもの貧困率は11.5%、ひとり親世帯では44.5%と半数近くが困窮にあえぐ状況となっています。子どもの貧困は教育格差に直結し、ひいては進学や就職、生涯賃金にまで影響を及ぼします。

 国や自治体も様々な支援策を設けてはいますが、NPOを始めとする慈善団体に頼らざるを得ない状況です。それもその筈で、法を整備する人材の多くは貧困とは無縁の環境で育っているからです。どこか他人事のように映るのも当然でしょう。

 ともかくとして、一人一人が、困っている人の立場になって行動することが大切です。多少屈折しているかも知れませんが、芥川龍之介の『蜜柑』を読むたびに、そんなことを考えてしまいます。

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芥川龍之介『蜜柑』あらすじと解説【純粋無垢な姉弟の思いやり!】

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)とは?

 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892~1927)
芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現・東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生まれます。

 しかし生後間もなく、母・ふくの精神の病のために、母の実家芥川家で育てられます。(後に養子となる)学業成績は優秀で、第一高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学英文科に進みます。

 東京帝大英文科在学中から創作を始め、短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛されます。今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。

   夏目漱石

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 本格的な作家活動に入るのは、大正7(1918)年に大阪毎日新聞の社員になってからで、この頃に塚本文子と結婚し新居を構えます。その後、大正10(1921)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていきます。

 また、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。昭和2(1927)年7月24日未明、遺書といくつかの作品を残し、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。(享年・35歳)

   芥川龍之介

掌編小説『蜜柑』について

 掌編小説『蜜柑』は、大正8年(1919年)5月、文芸雑誌『新潮』に発表されます。雑誌掲載時は、『私の出遭った事』(「一蜜柑」「二沼地」)という総題でしたが、単行本収録時にそれぞれ独立した短編として『蜜柑』『沼地』と改題されます。

 友人の菊池寛は、『文芸作品の内容的価値」という論文の中で、「――芥川氏の『蜜柑』といふ小品がある。私は、あの題材を芥川氏から、口頭で聴いたとき、既にある感動に打たれた。――」と述べ、作品を称賛しています。

『蜜柑』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある曇った冬の夕暮れのことです。主人公の「私」(作者本人と思われる)は、横須賀発の上り列車の二等席に座り、ぼんやりと発車の笛を待っていました。このとき「私」は、()いようのない疲労と倦怠(けんたい)で、外套(がいとう)のポケットに入っている夕刊さえ、読む気も起きませんでした。

※倦怠(けんたい) いやになって怠ること。あきあきすること。「―期」。動くのもいやなほど、だるく感ずること。
※外套(がいとう) 防寒防雨のため服上に着用する衣服のこと。

 やがて発車の笛が鳴ります。すると改札口の方からけたたましい下駄の音が聞こえ出し、十三、四の小娘が一人、慌ただしく中へ入って来たのでした。「私」は、前の席に腰を下ろした小娘の顔を一瞥(いちべつ)します。

※一瞥(いちべつ) ちょっとみること。ちらっと見ること。

 いかにも田舎者らしい小娘でした。大きな風呂敷包みを抱え、(しも)()けの手には三等の切符が大事そうに握られていました。娘の下品な顔立ちと不潔そうな服装は「私」を不快にさせます。二等と三等の区別もつかない愚鈍(ぐどん)な心も腹立たしく思いました。

 「私」は、小娘の存在を忘れたいという気持ちで、夕刊の紙面に眼を通します。夕刊を埋める平凡な記事は、退屈な人生の象徴のようなものでした。「私」は一切がくだらなくなり、新聞を読むのもやめて、うつらうつらし始めます。

 それから幾分か後のことです。いつの間にか例の小娘が、席を「私」の隣へと移し、しきりに重い窓を開けようとしているのでした。汽車は今まさにトンネルに入ろうとしています。「私」は、腹の底に険しい感情を蓄えながら、永久に成功しない事でも祈るような冷酷な眼で眺めていました。

 汽車がトンネルに入ると同時に、窓がばたりと下へ落ちました。煙が濠々(もうもう)と車内へ入って来ます。「私」は、この煙を満面(まんめん)に浴びせられたおかげで、息もつけない程咳きこんでしまいました。

※満面(まんめん) 顔全体。顔じゅう。

 ところが小娘は、そんな「私」に頓着(とんちゃく)する様子も見せずに、窓の外へ首をのばし、じっと汽車の進む方向を見やっているのです。ようやく咳きやんだ「私」は、頭ごなしに叱りつけたい気持ちに駆られました。

※頓着(とんちゃく・とんじゃく) 心にかけること。気にすること。

 汽車はトンネルを抜けて、ある貧しい町はずれの踏切にさしかかります。このとき「私」は、踏切の柵の向こうに、頬の赤い三人の男の子が並んで立っているのを見ました。彼らはみんな背が低く、暗い色の着物を着ていました。

 彼らは通る汽車を仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げて、意味不明の喚声(かんせい)を一生懸命に(ほとばし)りました。するとその瞬間です。窓から半身を乗り出していた娘は、あの霜焼けの手をのばして勢いよく左右に振ったのです。

※喚声(かんせい) さけび声。
※迸る(ほとばしる) 勢いよく飛び散る。また、激しく流れ出る。噴き出る。

 と思うとたちまち、暖かな日の色に染まっている蜜柑が五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上にばらばらと空から降ったのでした。私は思わず息を呑みます。そして一切を了解したのでした。

 恐らくこれから奉公先に(おもむ)こうとしている小娘は、(ふところ)に隠していた蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りに来た弟たちの労に報いたのです。汽車は子供たちの前を、(またた)く間もなく通り過ぎました。

 けれども「私」の心には、切ないほどこの光景が焼き付けられ、ある得体の知れない(ほが)らかな心もちが湧き上がって来ます。私は、別人でも見るように小娘を注視しました。小娘はいつしか「私」の前の席に返り、大きな風呂敷包みを抱えた霜焼けの手に、しっかりと三等切符を握りしめています。

 「私」はこのとき始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を(わずか)に忘れる事が出来たのでした。

青空文庫 『蜜柑』 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43017_17431.html

【解説と個人的な解釈】

 掌編小説『蜜柑』は私小説的な一面を持っています。大正5(1916)年、東京帝国大学英文学科を卒業した芥川は、かつて横須賀に置かれていた海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭(きょうべん)を執るかたわら創作にも励んでいました。

 この頃の生活について芥川は、『永久に不愉快な二重生活』と題した書簡を残しています。『蜜柑』はちょうどこの時期に書かれた作品です。

青空文庫 『永久に不愉快な二重生活』 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3751_27283.html

 つまり作品冒頭に登場する、「云いようのない疲労と倦怠」とは、そんな二重生活の中で葛藤していた作者自身の心情なのでしょう。そこへ下品で不潔そうな「小娘」が現れ、「私」の疲労と倦怠を増幅させていきます。

 さらに「小娘」は、トンネルの中にもかかわらず窓を開け、「私」に黒煙を浴びせかけます。ところが一転、暗いトンネルを抜け出すと、「私」の目に、鮮やかな光景が飛び込んできます。見送りに来た弟たちの頭上に、夕陽色に染まった蜜柑が落ちて行きます。「私」はその瞬間、全てを理解します。

 姉弟のお互いを思いやる姿を見た「私」は、それまで「小娘」に対して向けていた冷ややかな視線を逆転させ、「云いようのない疲労と倦怠」を僅かに忘れることができます。闇から光へ、そして嫌悪から好意へと、鮮やかな描写に注目されがちな作品ですが、個人的には「僅か」と語っているところが気になります。

 主人公の「私」は、いわゆるエリート階級に属する人間です。兄弟愛への感動のみで、あくまで一傍観者に過ぎません。もしも貧困の中、必死に生きる「小娘」の立場に立てていたなら「自分の悩みはちっぽけ」だと気づき、忘れる時間も「僅か」ではなくなっていたのかも知れないからです。

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あとがき【『蜜柑』の感想を交えて】

 昨今、「子どもは地域で育てる」という声が聞こえるようになりましたが、 こころの支えと安心は地域から!【結い・もやい・講】 にも書いたように、かつての日本社会がそうでした。一方で、核家族化の進む現代社会では夢物語だという声も聞こえてきます。

 果たして本当にそうでしょうか?地域を「国」と拡大解釈すれば、十分に実現できる課題だと思います。その為には、『蜜柑』の主人公のように一傍観者にならず、特に恵まれた環境に育った人間は、貧困問題を直視する必要があるでしょう。

 物語の解釈として少し穿(うが)った見方をしましたが、何度読んでも、純粋無垢な姉弟の互いを思いやる姿には思わず涙腺が緩んでしまいます。そして貧困の中でしか育むことのできない「愛」もまた、あるような気がしてならないのです。矛盾しているのは承知ですが・・・。

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