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田山花袋『蒲団』【恋はいつ惑溺するか解らない!!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【「良妻賢母」について】

 「良妻賢母」とは文字の如く、“ 良き妻であり賢い母である ” という意味です。現代では男尊女卑の意味合いの強いこの言葉は敬遠されがちですが、明治以降から第二次世界大戦終了までは日本の女子教育における基本理念として当たり前のように使われていました。

 一方で、明治という時代は様々な西洋思想が流入してきます。ミッション系の女学校も多く建てられました。おのずと生徒たちの思考も柔らかくなっていきます。つまり「良妻賢母」の枠組みにはまらない女性も多く存在していたのです。

 そのような女性たち(男性も)は「ハイカラ」と呼ばれました。ちなみに「ハイカラ」とは西洋風の身なりや生活様式をする人物や事物などを表す言葉です。今回ご紹介する田山花袋の短編小説『蒲団』にはそんな「ハイカラ」な女性が登場します。

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田山花袋『蒲団』【恋はいつ惑溺するか解らない!!】

田山花袋(たやまかたい)とは?

 田山花袋(本名:(ろく)())は明治、大正期にかけて活躍した小説家です。(1872―1930)
田山花袋は明治4(1872)年12月13日、栃木県邑楽(おうら)郡館林(現在の群馬県館林市)の旧秋元藩士の家に生まれます。

 明治19(1886)年、一家をあげて東京に引っ越します。この頃、柳田国男や松岡国男を知り、文学の道に進むことを決意します。明治24(1891)年、尾崎紅葉に入門し、その指示で江見(えみ)(すい)(いん)の指導を受け、『(うり)(ばたけ)』などを発表します。

   柳田国男

柳田国男『遠野物語』九十九話【明治三陸大津波のはなし】

 その後、自然主義的な作品『重右衛門の最後』『露骨なる描写』『少女病』を発表し、文壇に認められます。明治40(1907)年、『蒲団』を書き、島崎藤村と並ぶ自然主義文学の代表作家となります。

 晩年は宗教的心境に至り、精神主義的な作品を多く残しますが、昭和5(1930)年5月13日、喉頭(こうとう)(がん)で没します。(没年齢:58歳)他に代表作として『時は過ぎゆく』『百夜』『一兵卒』『土手の家』『再び草の野に』などがあります。

   田山花袋

短編小説『蒲団』(ふとん)について

 『布団』は明治40(1907)年、文芸雑誌『新小説』の9月号に掲載されます。翌明治41(1908)年、易風社から刊行された『花袋集』に収録されます。日本における自然主義文学を代表する作品の一つと言われ、私小説の出発点に位置づけられています。

 ちなみに主人公の竹中時雄のモデルは花袋本人と言われていて、横山芳子のモデルは花袋の弟子で後に小説家になる岡田美知代、そして田中秀夫のモデルは後に新聞記者となる永代静雄とされています。

 当時『蒲団』が発表されたことで、スキャンダルの渦中に巻き込まれることになった美知代は、『新潮』に永代美知代名義で『蒲団』に対する反論を発表します。

岡田美知代(おかだみちよ)とは?

   岡田美知代

 明治から昭和にかけて活躍した小説家、雑誌記者です。(1885-1968)
岡田(永代)美知代は広島県甲奴(こうぬ)郡上下町(現:府中市上下町)の地元の有力者の家に生まれます。

 明治31(1898)年に神戸女学院に入学し、在学中から雑誌に和歌や短文の投稿を始めます。明治37(1904)年、田山花袋に入門が許されたことで上京し、女子英学塾(現:津田塾大学)に通います。永代静雄との恋愛が花袋の『蒲団』の題材となります。

 永代静雄とは紆余曲折の末に結婚しますが後に離婚し、『主婦之友』特派記者として渡米します。その後、アメリカで知り合った男性と結婚して帰国し、広島の地で執筆を続けますが、昭和43(1968)年、老衰のため死去します。(享年:83歳)

『布団』あらすじ(ネタバレ注意!)

 竹中時雄は三十五歳の文学者です。妻のお腹には三人目の子供が出来ていて、文学者とはいうものの、それだけでは生計を立てられず、とある書籍会社で嘱託として働いていました。

 そんな時雄でしたが、新婚の快楽などはとうに覚め尽くし、日常の生活につくづく飽きてしまっていたのです。道を歩いて目に留まるのは、若くて美しい女性たちばかりでした。時雄は痛切に思います。(新しい恋をしてみたい)と・・・。

―――ある日、時雄に一通の手紙が届きます。
それは横山芳子という十九歳の女性からでした。芳子は時雄の著作の熱心な崇拝者です。手紙の内容は「先生の弟子として文学を学びたい。」といった熱烈なものでした。

 時雄は当初、その手紙を無視します。けれども、何通もの手紙を送ってくる芳子の熱意に、次第に時雄の心は動かされていきます。やがて師弟の関係を結ぶことになった二人は手紙での交流を重ねていきました。

 時雄は、芳子に将来性があると感じます。その一方、胸の中ではこのようなことも思っていました。(どうせ文学をやろうというような女だから不容色(ぶきりょう)に違いない)と・・・。

 そんな芳子が父親に連れられて上京して来ます。
始めて芳子を見た瞬間、時雄は―――その美しさに衝撃を受けてしまいます。

 芳子は備中新見町(現:岡山県新見市)の出身で、家はかなりの豪家です。父親も母親も厳格なクリスチャンで、芳子も神戸の女学院に通い、ハイカラな女学校生活を送っていたのです。

 そんなハイカラで美しい門下生が「先生!先生!」と慕ってくるのですから、時雄の胸も躍らずにはいられません。時雄は芳子を妻の姉の家に住ませて、麹町の某女塾に通学させることにします。

 芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密でした。ある女性から妻は、「芳子さんが来てから時雄さんは変りましたよ。すっかり二人はお互いに心を奪われている様子です。本当に油断がなりませんよ。」と、言われる始末です。

 実際に時雄の心は芳子に奪われていました。芳子もまた時雄に思いを寄せているものと思い込んでいました。けれどもその真相は、時雄が芳子を求めているだけで、芳子には別に思い人がいたのです。

 芳子の思い人とは同志社の学生で、二十一歳の田中秀夫という青年でした。二人の交際を知った芳子の両親も激怒している様子です。時雄は、二人の間に肉体関係があるのかどうかを疑います。けれども芳子は、その恋が神聖なものだと師に誓ったのでした。

 時雄の心は、(愛する者を奪われた)といった気持で思い乱れていきます。時雄にできることと言えば、恋の苦悶を酒で紛らし、家族に八つ当たりをすることくらいでした。そんな矢先―――秀夫が上京して来ます。

 時雄は、それまで妻の姉の家に住んでいた芳子を自分の家に住まわせて、二人のことを監視することにしました。このとき秀夫は何日かの滞在で京都に戻ります。とは言うものの、文章の交流で育む二人の恋愛感情は日増しに強くなる一方でした。

 そんなある日、秀夫が再び上京してくると言うのです。しかも今度は同志社を辞めて、東京で暮らすと言うのです。時雄は「東京に来て、何をするつもりなんだ?」と、芳子に訊ねます。芳子は答えました。「文学をやりたいと・・・。」

 秀夫が上京してから、時雄の胸は疑惑と嫉妬に燃えます。時雄は秀夫に会って京都に帰ることを勧めました。けれども秀夫は頑として聞き入れようとはしません。芳子もまた、このまま東京に置いてくれと時雄に頭を下げて頼むのでした。

 そんな若い二人の恋はいよいよ激しくなっていきます。時雄に隠れて会うようになったのです。仕舞には「勘当されても仕方がありません。二人で生きていこうと思っています。」とまで言うようになります。さすがの時雄も見るに見かねて、芳子の両親にこのことを(しら)せたのでした。

 芳子の父親が上京し、芳子と秀夫を交えての話し合いが行われます。父親は、「今は二人離れて勉学に専念するのが良かろう。将来もし縁があったら、この恋愛を承諾せぬではない。」と、懇々と説きました。

 つまり芳子の父親は、とりあえず秀夫を京都に帰らせて、三年後に秀夫の将来性や人間性等を見極めたうえで交際の許可を与えるかどうかを考えると言うのです。けれども秀夫は泣きながら、しきりに帰国の不可能を主張するばかりでした。

 結局この日の話し合いは平行線のままで終わります。秀夫の頑なな態度を目の当たりにした芳子の父親、そして時雄の胸中にある疑いが湧いてきます。それは(もしや二人の関係が深いものに?)といった疑いでした。

 そんな疑念を投げつけた時雄に対し、芳子は手紙で告白をします。
―――「私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を(あざむ)きました。」
つまり、秀夫とは既に深い関係になっていたと言うのです。

 時雄は強い煩悶に駆られました。(自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。)と、後悔をします。その結果、時雄は芳子を見放して、父親とともに実家に帰すことにしました。

 時雄の生活は、三年前の平凡な日常に逆戻りします。数日後、時雄は、芳子への懐かしさ、恋しさの余りに、そのままにして置いた芳子の部屋に行きます。そして時雄は、机の引き出しにしまってあった芳子のリボンを見つけて、匂いを嗅いだのでした。

 そして押し入れから芳子が使っていた蒲団と夜着を引き出して、心のゆくばかり匂いを嗅ぎます。すると(たちま)ち、性慾と悲哀と絶望とが時雄の胸を襲います。時雄はその蒲団を敷き、夜着に顔を埋めて泣いたのでした。

青空文庫 『蒲団』 田山花袋
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『蒲団』【解説と個人的な解釈】

 『蒲団』は作者・田山花袋の「性」についての告白小説と言えます。

 物語は、妻子ある文学者・竹山時雄のもとに若くて美しく「ハイカラ」な横山芳子が弟子入りすること動き出します。時雄は内心そんな「ハイカラ」な女性に憧れを抱いていました。ちょうど、旧式な妻との夫婦関係に疑問を感じていたときです。

 そんな矢先「ハイカラ」な芳子が「先生!先生!」と慕ってくるのですから、時雄が胸を躍らせるのも当然でしょう。だからと言って時雄は「師」としての分はわきまえていました。あくまで芳子に「師」として接します。

 ところが同志社の学生・田中秀夫の登場で時雄の心は強く描き乱されます。あくまでプラトニックな関係を主張する芳子に対し、疑惑の眼を向けては嫉妬に駆られます。それでも表面上は「師」として取り繕い、二人の恋の庇護者として努めていました。

 そんな時雄も、秀夫が上京したことで「師」ばかりではなく「一人の男」として目覚めていきます。つまり秀夫を「恋敵」として見るようになるのです。建前は監視のためですが、秀夫から芳子を引き離そうと画策し、自分の家に住まわせます。

 結果的に “ プラトニックな関係という嘘 ” の裏切りに対し、「師」として、そして「一人の男」として罰を与えます。それは芳子を故郷に帰すことで二人に苦痛を与えるというものでした。けれども同時に、その苦痛は時雄自身も味わうことになります。

 芳子という女性を失った喪失感が、時雄に、蒲団の匂いを嗅がせ、夜着に顔を埋めて泣くといった異常な行動(当時の認識)に走らせるのです。

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あとがき【『蒲団』の感想を交えて】

 蒲団に顔を埋めて恋する女性の残り香を嗅ぐといった結末の主人公の行為に対し、現代の感覚なら共感できる読者も多いのではないでしょうか。正直、わたし自身もそのような欲情に心当たりがあります。

 田山花袋は『蒲団』を執筆し、自分が抱いていた女性門下生への恥ずかしい欲情を赤裸々に語りました。それは当時の読者にとってかなりの衝撃だったでしょうが、心の奥では同じく共感していた人もいたことでしょう。

 本作品では時雄の「師」と「男」の狭間で恋に葛藤する姿と、芳子の自由奔放で「ハイカラ」な姿が鮮やかに描かれていますが、思うのは、(教え子に良くもまあ手を出さなかったな)ということです。

 自分を慕ってくる異性に対して、どこまで理性が保てるものか分かりませんが、明らかに時雄はそのことで後悔する羽目に陥ります。ともかくとして「恋」というものは厄介な感情です。―――いつ惑溺するか解らないのですから・・・。

※惑溺(わくでき) ある物事にすっかり夢中になって、判断力を失うこと。

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