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梶井基次郎『蒼穹』あらすじと解説【空のなかにあるものは虚無!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【湯ヶ島療養中の梶井基次郎】

 十七歳のとき結核を患った梶井基次郎は、いつも「死の影」に怯えていました。その「死の影」を現実的に感じ取るのは、伊豆湯ヶ島温泉での転地療養の時期です。

 梶井は、昭和元年の十二月から昭和三年の四月まで、約二年と五カ月間を湯ヶ島で過ごします。この湯ヶ島での体験に基づいて執筆したと考えられているのが、『蒼穹(そうきゅう)』『(かけい)の話』『冬の蠅』『闇の絵巻』の四作品です。

 今回ご紹介する『蒼穹』はこの四作品の中で最も早く成立した作品です。ちなみに「蒼穹」とは青空や大空のことを意味し、「死の影」に怯えていた梶井の心境がうかがえる内容となっています。

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梶井基次郎『蒼穹』あらすじと解説【空のなかにあるものは虚無!】

『蒼穹』は短編集『檸檬』の中に収録されています。

梶井基次郎(かじいもとじろう)とは?

 梶井基次郎は大正末期から昭和初期にかけて活躍した日本の小説家です。(1901~1932)
大阪市に生まれ、第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に入学しますが、結核を病んで中退してしまいます。

 在学中の大正14(1925)年、同人雑誌『青空』を創刊し、この年に檸檬(れもん)『城のある町にて』泥濘(でいねい)『路上』『(とち)の花』など、後に梶井の代表作とされる作品を次々と発表しましたが、文壇からは黙殺されました。

 昭和元(1926)年には、病状が悪化したため伊豆の湯ヶ島温泉で療養します。この頃、川端康成の『伊豆の踊子』の刊行の校正を手伝います。

  川端康成(晩年)

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 昭和3(1928)年、散文詩『桜の樹の下には』を発表し、ようやく文壇の注目を集めるようになりましたが、病は次第に重くなっていきます。

 療養に努めながらも執筆を続けていた梶井でしたが、昭和7(1932)年、『のんきな患者』を発表後の3月24日、31歳という若さで永眠します。その透徹した作風は死後ますます高く評価され、昭和9(1934)年には『梶井基次郎全集』が出版されました。

   梶井基次郎

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掌編小説『蒼穹』(そうきゅう)について

 掌編小説『蒼穹』は、昭和3(1928)年3月1日発行の同人雑誌『文藝都市』第2号に掲載されます。その後、基次郎の亡くなる前年の昭和6(1931)年5月15日に武蔵野書院から刊行された梶井基次郎作品集『檸檬』に収録されます。

『蒼穹』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある晩春の午後、「私」(梶井基次郎本人と思われる)は、村の街道に沿った土堤(どて)の上で、日を浴びながら雲を眺めていました。その雲は(ふじ)(むらさき)色をしていて、なにかしら茫漠(ぼうばく)とした悲哀を感じさせます。

※茫漠(ぼうばく) とりとめがないほど広いさま。また、ぼんやりしてつかみどころのないさま。

 「私」にとって、この場所の眺めほど、心を休める場所はありませんでした。雲は平地の向こうの雑木林の上に横たわっていました。「私」は、眼を(たに)の方へと眺めを移します。三月の半ばには花粉を飛ばしていた杉林も、もう初夏らしい落ち着きがありました。

 そんな風景を眺めていた「私」は、杉山の上から絶えず湧き出て来て、そして消えてゆく淡い雲の変化を見ているうち、不思議な恐怖に似た感情が、だんだんと胸に(たか)まって来るのでした。その感情は喉を詰まらせ、身体からは平衝(へいこう)の感じを失わせていきます。

 「私」は、空のなかに見えない山のようなものがあるのではないかというような不思議な気持に捕えられました。そのとき「私」の心をふと、この村での、ある闇夜の経験がかすめます。

 その夜「私」は、提灯も持たずに闇の街道を歩いていました。途中に一軒の人家しかない、大きな闇のなかを歩いていると、そのなかへ突然姿を現した人影があったのです。「私」は、その人影が闇のなかに消えてゆくのを眺めていました。

 人影は背に負った光をだんだん失いながら闇へ消えていきます。そのとき「私」は、その闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく「私」自身を想像し、言い知れぬ恐怖と情熱を覚えたのでした。

 その記憶が「私」の心をかすめたとき、突然「私」は悟ります。雲が湧き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、見えない山のようなものでもなく、大きな虚無でした。

 そして、白日の闇が満ち充ちているのを悟った「私」は、大きな不幸を感じます。濃い藍色の煙りあがった空を見れば見るほど、ただの闇としか感覚できなかったのでした。

青空文庫 『蒼穹』 梶井基次郎
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『蒼穹』【解説と個人的な解釈】

 冒頭でも書きましたが、梶井基次郎が発熱等の病に苦しめられるようになったのは大正7(1918)年、梶井が十七歳の頃からです。大正9(1920)年には「胸膜炎(きょうまくえん)」の診断を受け、同年9月には「肺尖(はいせん)カタル」と診断されます。

※胸膜炎(きょうまくえん) 肺の外部を覆う胸膜に炎症が起こる疾患。
※肺尖(はいせん)カタル 肺尖部に起こる結核性の炎症。

 以降の梶井は、三十一歳でその生涯を閉じるまで、「結核」と付き合い続けることになります。そんな梶井にとって湯ヶ島での転地療養は、「死」を身近に感じつつも、どのように生きるかを模索する期間でもありました。

 『蒼穹』に話題を移すと、「私」は、土堤の上で、日を浴びながら雲を眺めています。ちなみに日を浴びているのは結核の療養のためです。「私」は、生成と消滅を繰り返す雲を見ているうち、恐怖に似た不思議な感情を抱いていきます。

 そして記憶の中の “ 「闇」の中へと消える男 ” を持ち出して、いつか「闇」の中へと消えてゆく自分自身を想像し、言い知れぬ「恐怖と情熱」を覚えます。ここで何故作者が恐怖とは一見ほど遠い「情熱」を同時に覚えたのでしょうか。

 結果、空のなかにあるものは虚無。そして白日の闇と悟るところを見ると、ここでの「情熱」は、絶望への情熱と受け取ることもできます。けれども個人的には、残された生命への「情熱」と考えたいものです。

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あとがき【『蒼穹』の感想を交えて】

 誰にでも必ず、いつしか「死」という瞬間が訪れます。
その瞬間は不意なものであったり、または梶井のように予期していたものだったりと千差万別です。

 若い時分はどこか他人事のように思えた「死」も、病気になったり、精神のバランスを崩したり、または老いを感じたとき、それは現実的なものとして目の前に立ち塞がります。

 そんなときに思う言葉は月並みですが、「後悔しないように生きよう」ではないでしょうか。『蒼穹』の主人公のように、人はそのときの置かれた状況次第で、どんなに美しい景色でも暗黒の闇のように見えたりします。

 物語の結末で、一見「死」を自然の摂理と悟ったかのようにも写る主人公ですが、これを梶井本人と過程すると、決してそんな心境ではありませんでした。梶井は「死」の直前まで生きることを強く望みます。

 そしてその望みは作品という形で、現代を生きるわたしたちに届けられます。「闇」をテーマに描くことの多い梶井ですが、その「闇」に、ペン先で必死に穴を開け続けて、光を取り込もうとしていた梶井の姿が目に浮かびます。

 ともかくとして、蒼穹に浮かぶ雲を見るときは、穏やかな気持ちでいたいものです。

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