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菊池寛『マスク』あらすじと感想【強者に対する弱者の反感!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【マスク着用ルールの緩和】

 令和5(2023)年3月13日以降、マスクの着用ルールが緩和されます。思えば数年来、マスクひとつで何かと物議を醸してきました。「マスク警察」なるものまで登場する始末でした。

 そのマスクですが、大正時代からすでに使用されていたようです。当初は「工場マスク」として文字通り、工場内での粉塵(ふんじん)よけとして使われていました。ところが大正8(1919)年にインフルエンザが大流行したことで、予防品としてマスクが注目を集めます。

 当時の人々はその猛威に恐れおののき、こぞってマスクを着用したと云われています。まるでどこかで見た光景のような気がしませんか?ともかくとして、当時まさに渦中にいた作家・菊池寛が『マスク』というタイトルの短編小説を残しています。

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菊池寛『マスク』あらすじと感想【強者に対する弱者の反感!】

菊池寛(きくちかん)とは?

 明治から昭和初期にかけて活躍した小説家、劇作家です。菊池(かん)。(1888~1948)
菊池寛(本名・菊池(ひろし))は明治21(1888)年12月26日、香川県高松市に生まれます。明治43(1910)年に名門、第一高等学校文科に入学します。

 第一高等学校の同級に芥川龍之介、久米正雄、山本有三らがいましたが、諸事情により退学してしまいます。結局、紆余曲折の末に京都帝国大学文学部に入学し、在学中に一校時代の友人、芥川らの同人誌『新思潮』に参加します。

   芥川龍之介

 大正5(1916)年、京都大学を卒業後、「時事新報」の記者を勤めながら創作活動を始め、『(ただ)(なお)(きょう)行状記』『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』等の短編小説を発表します。大正9(1920)年、新聞小説『真珠夫人』が評判となり、作家としての地位を確立していきます。

 大正12(1923)年、『文藝春秋』を創刊し、出版社の経営をする他にも文芸家協会会長等を務めます。昭和10(1935)年、新人作家を顕彰(けんしょう)する「芥川龍之介賞」「直木三十五賞」を設立します。

 しかし、終戦後の昭和22(1947)年、菊池寛は、GHQから公職追放の指令が下されます。日本の「侵略戦争」に『文藝春秋』が指導的立場をとったというのが理由でした。その翌年の昭和23(1948)年3月6日、狭心症を起こして急死してしまいます。(没年齢・59歳)

    菊池寛

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短編小説『マスク』について【執筆の背景】

 『マスク』は大正9(1920)年7月、文芸誌『改造』で発表されます。当時、日本で「スペイン風邪」が流行していました。菊池寛はこのときの体験を元に、短編小説『マスク』を書き上げます。

 ちなみに「スペイン風邪」は、1918年から1920年にかけて世界的に大流行しました。世界では約6億人が感染し数千万人が死亡、日本でも38万人が死亡したとされています。

『マスク』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の自分(菊池寛本人と思われる)は、見かけが肥っているため、他人からは非情に頑健(がんけん)に思われていました。けれども内臓が脆弱(ぜいじゃく)なことは自覚しています。元から心臓と肺が弱く、その上に去年辺りから胃腸まで(がい)していました。

※頑健(がんけん) 体ががっしりして、健康なこと。
※脆弱(ぜいじゃく) 身体・組織・器物などがもろくて弱いこと。

 そんな自分ですが、去年胃腸を壊して医者に診てもらった時に、「どうも心臓の弁の併合(へいごう)が不完全なようです。」と、心臓弁膜症や心肥大のあることを告げられます。医者は更に、「あまり肥るといけませんよ。脂肪(しぼう)(しん)になると、ころりと衝心(しょうしん)してしまいますよ。」と言いました。

※脂肪心(しぼうしん) 心臓に脂肪沈着呈したもので、脂肪(しぼう)過多(かた)症患者に多くみられる。動悸(どうき)、息切れ、心圧迫感、さらに進めば心不全を起こす。
※衝心(しょうしん) 脚気(かっけ)の症状が進んで心臓をおかすこと。脚気衝心。

 動揺する自分に医者は続けて、「用心をしないと、いつコロリと行くかも知れませんよ。興奮しては駄目ですよ。熱病も禁物ですね。チフスや流行性感冒(かんぼう)(風邪のこと)に(かか)って、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりっこはありませんね。」と言います。

 自分は、「何か予防法とか養生法とかはありませんかね。」と、逃げ道を尋ねます。すると医者は、「ありません。ただ脂肪類を食わないことですね。肉類や(あぶら)っこい魚などは避けて、淡泊な野菜を食うのですね。」と答えました。

 食べることが第一の楽しみだった自分にとって、この養生法は、致命的なものでした。こうした診察を受けて以来、自分は、生命の安全が刻々と脅かされているような気がします。ちょうどその頃から、流行性感冒(スペイン風邪)が猛烈な勢いで流行り出してきました。

 医者の言葉に従うと、自分が流行性感冒に罹ることは死を意味します。また新聞には、心臓の強弱が勝負の別れ目といったような意味の記事が幾度も掲載されていました。自分は感冒に対して、すっかり脅え切ってしまいます。

 他人から臆病と(わら)われようとも、罹って死んでは堪らないと思いました。自分は極力外出しないように心がけます。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクをして出かけました。帰ると丁寧にうがいをしました。

 自分は、毎日の新聞に出る死亡者数の増減に一喜一憂(いっきいちゆう)しました。感冒の脅威が衰え、マスクを付ける人が減っても、自分はマスクを付けたままです。そんな中、自分と同じようにマスクを付けている人を見出すと、頼もしい気がして一種の照れくささから救われたのでした。

 感冒の脅威が衰え続け、ぽかぽか陽気になってくると、さすがの自分もマスクを付ける気がしなくなります。そんな五月の半ば、シカゴの野球団が来日し、帝大野球部と試合が行われます。自分は久しぶりに野球が観たくなりました。

 よく晴れた日、自分は野球見物へと出かけます。そして入場口の方向へ急いでいる時でした。二十三四の青年が自分を追い越します。横顔を見るとその青年は黒いマスクを付けていました。自分は不愉快な激動(ショック)と同時に、明らかな憎悪を感じます。

 不快に思った原因は、よい天気の日なのに、青年によって感冒の脅威を想起そうきさせられたからでした。更にこんなことを感じます。強者に対する弱者の反感ではなかったか?と。あんなにマスクを付けることに熱心だった自分が、今や付けることが気恥ずかしくなっていました。

※想起(そうき) 思い出すこと。前にあった事を、あとになって思い起こすこと。

 そんな中、勇敢に(ごう)(ぜん)とマスクを付けて、数千の人々の集まっている所へ行く態度は、かなり徹底した強者の態度ではあるまいか。この青年を不快に感じたのは、こうした勇気に圧迫された心持ちではないか。と自分は思ったのでした。

※傲然(ごうぜん) 尊大でたかぶった様子。

青空文庫 『マスク』 菊池寛
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あとがき【『マスク』の感想を交えて】

 思い起こせば、公園で遊ぶ子供にまで、「マスクをしろ!」と大声で注意をする大人を目にしたこともありました。軽いクシャミひとつで、まるで親の敵かのように凄い形相で睨まれたこともありました。

 コロナ過を通じて、「同調圧力」というものの怖さを痛いほど実感しました。けれどもそれはいつの時代でも同じようです。小説『マスク』の主人公も、ときには同調側にいたり、またときには非同調側にいたりと、そのときどきの時勢に翻弄され続けます。

 とは言え、これが人間本来の姿なのでしょう。誰もが自分、もしくは自分の家族が一番大切なのですから・・・。一方で、この数年来の経験は、得難い糧となっているような気がします。それは「寛容」というもの大切さも同時に学んだからです。

 これからマスクの着用ルールが緩和されます。そんな中頑なにマスクを付け続ける人もいるかと思います。小説の主人公の言葉を借りるなら、その人たちは「強者」です。決して自分を「弱者」へと貶めることのないよう、寛容さを持ってそのような人に接するべきと、わたし自身に言い聞かせている今日この頃です。

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