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井伏鱒二『屋根の上のサワン』あらすじと解説【手放すことも愛!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【ペットを飼うことは人間のエゴ?】

 テレビや動画配信サービスから流れてくる「動物映像」に日々癒されている方も多いと思います。かくいう私も、そんな映像に思わず見入ってしまう一人です。

 心なしか世知辛い世の中になったと感じる分、可愛らしい「動物映像」はひと時の癒しを与えてくれます。とは言うものの、ペットとして飼育するとなると話しは別です。

 わたしも以前、猫を飼っていました。この経験を経て思うことは、「自分勝手だったな……。」そんな後悔ばかりです。ただ自分の欲求や満足感だけをペットに求め、ペットの気持ちなど微塵も考えていなかったような気がします。

 「ペットを飼うことは人間のエゴ」―――よくこんな言葉を耳にしますが、わたしの場合も「エゴ」だったと言えるでしょう。今回は、そんなペットを飼う者の「エゴ」を描いた井伏鱒二の『屋根の上のサワン』をご紹介します。

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井伏鱒二『屋根の上のサワン』あらすじと解説【手放すことも愛!】

『屋根の上のサワン』は短編集『山椒魚』(新潮文庫)の中に収められています。

井伏鱒二(いぶせますじ)とは?

 井伏鱒二(本名・満寿二(ますじ))は昭和から平成にかけて活躍した日本の小説家です。(1898~1993)
広島県深安郡加茂村(現・福山市)に、地主の次男として生まれます。学生時代は、早稲田大学英文科や日本美術学校に在籍しますが、どちらも中退をしてしまいます。

 のちに、長い同人誌習作時代を経て、昭和4(1929)年、『山椒魚』や『屋根の上のサワン』その他の先品で文壇に認められます。昭和13(1938)年、『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞を受賞します。

 面倒見のよい人柄で知られ、多くの弟子を持ちます。特に太宰治には目をかけ、昭和14(1939)年、山梨県甲府市出身の地質学者・石原初太郎の四女の石原美知子を太宰に紹介し、結婚を仲介しています。

    太宰治

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 その作風は、広島における原爆被災の悲劇を日常生活の場で淡々と描いた『黒い雨』で、高みに達します。作品として他に、『本日休診』『漂民宇三郎』『荻窪風土記』などがあります。平成5(1993)年6月24日、東京衛生病院に緊急入院し、7月10日に肺炎のため95歳で死去します。

   井伏鱒二

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短編小説『屋根の上のサワン』について

 『屋根の上のサワン』は昭和4(1929)年11月、『文学』に発表されます。

『屋根の上のサワン』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の「私」は、沼地の岸で、苦しんでいる一羽の(がん)を見つけます。狩猟家に鉄砲で狙い撃ちにされたのでしょう。「私」は傷ついた雁を両手で拾いあげます。その瞬間、渡り鳥の体の温かみが、「私」の屈した心を慰めてくれました。

 必ずこの鳥を丈夫にしてやろうと決心した「私」は、雁を家へ持ち帰ると治療にとりかかります。けれども雁はひどくあばれます。「私」はかれの両足を糸で縛って治療をしました。治療が終わっても出血がとまるまでかれを縛ったままにしておきました。

 そうしないとかれが部屋の中をあばれまわって、傷口にごみが入る恐れがあったからです。六発の散弾がかれの体を傷つけていました。「私」は、その傷口を石炭酸で洗って、ヨードホルムをふりかけておきました。

 「私」は、縛ったままの雁を置きざりにして、隣の部屋で餌を作ります。けれども疲れていたせいか火鉢にもたれて眠ってしまいました。すると真夜中ごろ、けたたましい雁の泣き声で目を覚まします。

 ふすまの隙間から覗いて見ると、雁は電灯の方に首をさしのべていました。おそらくこの負傷した渡り鳥は、電灯のあかりを夜ふけの月と見違えたのでしょう。

 「私」は、傷が治った雁の両方の翼の羽を短く切って、家で放し飼いにすることにします。「私」は、この鳥に「サワン」という名前をつけました。そして沼地への散歩にも連れて行くようになります。「サワン」はこの沼地を好み、水浴を楽しみました。

 しかし雁という鳥は、もともと昼間の太陽熱を好まないようでした。家の中にいるときは、廊下の下にうずくまって昼寝ばかりしています。そして夜になると垣根を破ろうとしたり木戸を飛び越えようとしました。

 秋になったある日のことです。突然「サワン」のかん高い泣き声が、夜ふけの静けさを掻き消しました。戸外で「サワン」の神経を興奮させる事件が起きていることに気がついた「私」は、外に出て見ます。

 すると「サワン」は、屋根の(むね)に出て、首を空にさし伸べて、できる限りの大声で鳴いていたのでした。首を伸ばしている方角の空には赤くよごれた月が出ていて、その月の右手から左手の方向に向かって、夜空に高く三羽の雁が飛んでいました。

 三羽の雁と「サワン」は、空の高いところと屋根の上で、互いに声に力をこめて鳴きかわしていたのです。察するところ「サワン」は三羽の僚友たちにむかって、「わたしをいっしょに連れて行ってくれ!」と叫んでいたのでしょう。

 「サワン」が逃げ出すことを心配した「私」は、「屋根から降りてこい!」と、どなります。けれども「サワン」は、三羽の僚友(りょうゆう)たちの姿と鳴き声が消え去ってしまうまで、屋根の頂上から降りようとはしませんでした。

 「サワン」が「私」の愛着を裏切って、遠いところに逃げ去って行くなんて信じられないことです。「私」は「サワン」の翼の羽を、それ以上短くすれば傷つくほどに短く切っていました。「サワン!おまえ、逃げるとかそんな薄情なことはよしてくれ!」

 「サワン」は、屋根に登ってかん高い声で鳴く習慣を覚えました。それは月の明るい夜の夜ふけに限られていました。そういうとき「私」は、寝床の中で、夜空を行く雁の声に耳を傾けます。かすかな雁の遠音(とおね)は、孤独のためにもらす嘆息(たんそく)のようでした。

 その夜、「サワン」がいつもよりもさらにかん高く、号泣ごうきゅうのように鳴きました。けれども「私」は、外に出て見ようとはしませんでした。早く鳴き声がやんでくれたらいいと願ったり、明日からは羽を切らないようにして、出発の自由を与えようなどと考えたりしていたのです。

 寝床に入った「私」は、ふとんを(ひたい)まで被って眠ろうと努力しました。ですから「サワン」の号泣は聞こえなくなりましたが、「サワン」が屋根の頂上に立って空を仰いで鳴いている姿は「私」の心の中から消え去ろうとはしませんでした。

 「私」は決心します。―――明日の朝になったら「サワン」の翼に羽の早く生える薬を塗ってやろう……。

 翌日、「サワン」の姿が見えないことに気がつきます。狼狽した「私」は「サワン」を捜しました。けれども廊下の下にも屋根の上にも、どこにも姿が見当たりません。沼地にも捜しに行きましたが、そこにもいない様子でした。

 「サワン、いるなら出てきてくれ!どうか頼む、出てこい!」
おそらくかれは、かれの僚友たちの翼にかかえられ、かれの季節向きの旅行に出ていったのでしょう。

『屋根の上のサワン』【解説と個人的な解釈】

 理由は語られていませんが、主人公の「私」は “ 屈した心 ” を抱えています。そんなタイミングで傷ついた雁に出会います。もしかしたら自分自身の傷ついた心と、雁の傷ついた姿が重なったのかも知れません。

 「私」は、雁を家に持ち帰って治療を施し、「サワン」という名前をつけます。そして放し飼いをするために翼の羽を短く切ります。「サワン」のことを考えての処置だったのでしょう。けれども同時に、「私」の元から逃げ出せないようにするためです。

 当然野生の鳥ですから逃げ出そうとします。挙句の果てには、屋根の上に登り、空を飛ぶ雁の仲間に向かって鳴き叫ぶようになります。「私」も、自然に返すことが一番だと分かっています。

 けれども「私」にとって「サワン」は、無くてはならない存在となっていたのです。つまり、「私」の “ 屈した心 ” を癒してくれる存在のです。物語は、「サワン」が姿を消すところで結ばれます。

 ここからは個人的な解釈になりますが、作者は、動物に対する人間のエゴを描きながらも、一方で何かしらに依存しなくては生きていけない人間の弱さを作品に込めたと考えています。

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あとがき【『屋根の上のサワン』の感想を交えて】

 冒頭にも述べましたが、『屋根の上のサワン』を読むと、猫を飼っていた頃の自分を思い出します。基本家の中で飼っていたのですが、窓の外を見てうるさいくらいに鳴き叫ぶため、昼間は自由に外に行き来できるようにしていました。

 それでも食事には必ず戻るので、少しくらい姿が見えなくなっても気にしていませんでした。ところがその日は、夕方になっても帰って来ません。何日も探し回りましたがそれっきりです。

 「猫は死ぬ前に姿を消す」ということをよく言われます。わたしも、「ある程度の年齢だったしそうかもな?」と、自分の心に納得させました。けれども今思えば、「待てよ?」と思ったりします。

 自分の都合で抱いたり撫でたりして、自分が忙しいときにはほったらかし。そんな飼い主に嫌気がさしたのかも知れないなんて思ったりもするのです。わたしの場合、「エゴ」だったと反省するところですが、人間の手に委ねないと命を落としてしまう動物もいます。

 ともかくとして、「ペット」を飼うには相当な覚悟がいると思う今日この頃です。

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