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安部公房『詩人の生涯』あらすじと解説【貧しさの為に貧しく!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【安部公房『シュールリアリズム批評』】

 昭和24(1949)年に発行された雑誌『みづゑ』に、安部公房は『シュールリアリズム批評』というエッセイを寄稿しています。その中で安部は次のように話しています。

意識は絶えず無意識界の作用を検閲(けんえつ)し、その表出された質が無害であるときにだけ表出を許すが、さもない場合はそれを変質あるいは抑圧しようとする。その選択性は社会的関連に(おい)て捉えられなければならない。

抑圧階級の圧制が意識では検閲し切れないほどの刺戟(しげき)を無意識界に与えた場合、バランスはついに破れる。精神深層作用は露呈(ろてい)あるいは爆発せざるを得ない。

 まさに『詩人の生涯』は、この言葉を表現した作品と言えるでしょう。

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安部公房『詩人の生涯』あらすじと解説【貧しさの為に貧しく!】

『詩人の生涯』は短編集『水中都市・デンドロカカリヤ』に収められています。

安部公房(あべこうぼう)とは?

 安部公房(本名・公房きみふさ)は、昭和から平成初期にかけて活躍した日本の小説家・劇作家です。(1924~1993)

 安部公房は、大正13(1924)年3月7日、東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ケ原)に生まれます。生後8ヶ月で家族と共に満州に渡り、幼少期から少年期にかけて奉天で過ごします。

 昭和15(1940)年、日本に帰国し、旧制成城高等学校 (現・成城大学) 理科乙類に入学します。昭和18(1943)年、東京帝国大学医学部医学科に入学します。奉天帰省時、そこで敗戦を迎えます。

 帰国後の昭和23(1948)年に東京帝国大学医学部を卒業しますが、医師の道は目指さず作家を志します。『終りし道の(しる)べに』で作家としてデビューします。昭和26(1951)年、『壁 - S・カルマ氏の犯罪』で第25回芥川賞を受賞し、以後数々の人気作を発表していきます。

 世界的に評価が高く、昭和43(1968)年にはフランス最優秀外国文学賞を受賞しています。特に東欧において高く評価され、西欧を中心に評価を得ていた三島由紀夫と対極的とみなされていました。

 平成4(1992)年、急性心不全により死去します。ノーベル文学賞に最も近かった作家の急逝でした。(没年齢・68歳)他に代表作として『けものたちは故郷をめざす』『石の眼』『砂の女』『箱男』『他人の顔』『榎本武揚』等があります。

   安部公房

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短編小説『詩人の生涯』について

 『詩人の生涯』は昭和26(1951)年、雑誌『文藝』に発表されます。ちなみに現在、短編集『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫)が出版されていますが、これは安部が日本共産党に入党した昭和26(1951)年から昭和27(1952)年にかけての短編を集めたものです。

『詩人の生涯』あらすじ(ネタバレ注意!)

 〈三十九歳の老婆〉は、朝早くから夜ふけまで、絶え間なく糸車を回し続けていました。老婆は思います。―――(やれやれ、私は〈綿〉のように疲れてしまった)と。そう思ったときちょうど、手持ちの糸が切れていました。老婆は糸車を止めようとします。

 けれども不思議なことに糸車は廻転(かいてん)を続け、糸を引き込もうとします。糸がなくなると今度は、糸の端が老婆の指に絡みつきます。そして老婆の身体は、指先から順に引きのばされ、糸車の中へと(つむ)がれてしまったのでした。

 そんな老婆の足元で、〈老けた息子〉が眠っていました。息子は勤め先の工場で労働者の待遇改善を求めるビラを配ったため解雇されています。けれども、今日も工場で働く仲間たちのため、〈消えかかった心臓のストーブに吹き送る酸素の言葉〉謄写版(とうしゃばん)で紙に()りつづけていたのでした。

※謄写版(とうしゃばん) 孔版(こうはん)印刷の一種。日本では俗にガリ(ばん)ともいう。

 息子は、老婆が糸車の中に吸い込まれていく最後の瞬間を目の当たりにします。けれども、〈何事も変えることの出来ない疲労の海の波〉にのまれ、また眠ってしまったのでした。翌日、隣の貧しい女が、老婆の紡いだ糸を受け取りに来ます。

 息子は、「その糸は、持って行かれては困るような気がするんだけどな。」と言います。けれども隣の女は毛糸を持って行き、毛糸は一枚のジャケツ(ジャケット)に編み上げられたのでした。隣の貧しい女はそのジャケツを売りに街へと出かけます。

 けれども、いつまで経っても買い手はつきませんでした。季節は間もなく冬です。ジャケツは、出来が悪いのではなく、実用的に作られていました。要するに―――誰も彼もが貧しかったのです。ジャケツを買える人たちは外国製の高級品を着る階級でした。結局ジャケツは質屋の(くら)におさまります。

 どこの質屋の庫も、ジャケツでいっぱいになっていました。どこの屋根の下も、ジャケツを持たない人でいっぱいになっています。貧しい人は、肉体から、夢も魂も願望も流れだしていました。ですからジャケツでくるんでやる必要があったのです。

―――人は貧しさのために貧しくなります。
外国製のジャケツを着る階級の人たちは考えました。(ジャケツの数が多すぎるのだ。戦争をおこして、どこか外国に売りつけてみたら、どうだろう?)

 冬が来ます。蒸発した夢や魂や願望が空中で雲になり、太陽の光をさえぎるため、ひとしお寒い冬がやって来ました。貧しい人は夜が来るのが怖く、朝が来るのが哀しくなります。ある日、夢と魂と願望は雪の結晶となって、街へと降り注ぎました。

 雪は、街の生活の音一切を吸い取ります。異様な静けさの中、絶え間なく雪は降り続けました。そしてその雪は街のあらゆる物を凍りつかせ、人々までも日常生活のままの姿で凍りついてしまいます。まるで時が止まったかのように、街全体がぴたりと動かなくなってしまったのでした。

 そんな中でも凍結をまぬがれた幾つかの家族がいました。外国製のジャケツを着た階級の家族たちです。けれども、やがてそんな家族も食料や暖房用の燃料が尽きていきます。家族の当主たちは相談し合い、外国の援助をあおぐことにしました。

 ところが返ってきた答えは、「新しいジャケツを五千枚お買いなさい。さもなければ、アトム・ボム五十個ほどいかがでしょう。」要するに貧しい人が働いて、戦争をおこさなくてはどうにもならないことがはっきりしたのです。結局、外国製のジャケツを着る人たちも凍ってしまいます。

 こうして、全ての生物が凍りついた筈なのに、不思議なことに一匹の(ねずみ)だけが凍らないでいました。それは老婆のジャケツが保管されている質屋の庫の鼠です。鼠はあたたかい巣をつくるため、老婆のジャケツをかみ切りました。老婆の血はあふれ出し、ジャケツは真っ赤に染まりました。

 降り続いていた雪が不意に止みます。そのとき赤いジャケツはふわりと空中に舞って滑るように外へと出ていきます。そして、ビラを配る姿のままで凍っていた息子を見つけ、その体をジャケツはすっぽりと包み込んだのでした。すると息子は息を吹き返し、突然自分が詩人であることに気がつきます。

 赤いジャケツを着た〈老けた息子〉は、雪の美しい結晶を見て、これは(貧しいものの忘れていた言葉ではないのか)と感じます。そして彼は、雪の言葉を目で聞き、抱えていたビラを裏返しにすると、その言葉を綴ったのでした。

 一つかみの雪をつかんで宙にまくと、落ちるとき、「ジャケツ、ジャケツ」と鳴って降ります。そのうち辺り一面の雪が「ジャケツ、ジャケツ」と鳴り始めました。彼には聞こえてきます。―――貧しいものたちの、夢と、魂と、願望の声が・・・。雪は、彼に語り終えると跡形もなく消えていきました。

 ある日、雪の割れ目から太陽が顔を覗かせて、凍りついていた人々をゆすり覚まします。彼の周囲には人々が群がり、「ジャケツ」と言って、腕に触れ、去っていきました。至るところで、持ち主のなくなった庫が開かれジャケツが運び出されます。

 「ジャケツ!」と、喜びと力にあふれた賛歌が、春に向けて高らかに呼びかけられました。貧しい人たちがジャケツを身につけたのは、美しく素晴らしい光景でした。最後の雪の一片が消えると彼の仕事は終わります。そして完成した詩集の最後の(ページ)を閉じた彼は、その頁の中に消えてしまったのでした。

『詩人の生涯』が書かれた社会背景【プレスコードとレッドパージ】

 敗戦直後の昭和20(1945)年9月、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、プレスコード(Press Code:新聞・出版活動を規制するために発した規則)を発し、厳しい言論統制を行います。この規則は昭和27年、講和条約が発効されるまで続けられました。

 昭和25(1950)年、朝鮮戦争(1950-1953)が勃発します。この前後の時期、GHQは共産主義の思想・運動・政党に関係している者を公職や企業から追放するよう指示します。この一連の出来事をレッドパージ(Red purge:赤狩り)といい、約1万3千人が強制的に職場を解雇されました。

『詩人の生涯』【解説と個人的な解釈】

 登場人物は〈三十九歳の老婆〉とその〈老けた息子〉です。作者はこの親子の “ 老い ” を強調して描いています。つまり過酷な労働は肉体を老化させると言いたいのでしょう。

 物語は、その老化した〈三十九歳の老婆〉が〈綿〉のように疲れ果て、糸車の中に吸い込まれていくという衝撃の場面から始まります。けれども息子はこのことについて、あまり驚いていないようです。それはまるで、貧しい労働者の宿命でもあるかのように受け取れます。

 息子もまた、〈消えかかった心臓のストーブに吹き送る酸素の言葉〉をビラに刷ることで、極限まで肉体が疲弊していました。つまり貧しい者は、家族の悲劇にさえも目をつぶるしかないのです。一方で、外国製の高級なジャケツを着る階級の人たちは、労働者を酷使させることで富を築いています。

 ここで、「人は貧しさのために貧しくなる」というキーワードで出てきます。ジャケツを買えない貧しい人たちは一様に、日々の生活に追われ、「夢・魂・願望」を失くしていくものです。すなわち肉体だけでなく、心まで搾取され貧しくなっていきます。

 けれども、貧しい人たちの「夢・魂・願望」は巨大な力を秘めています。やがてそれは雪の結晶となり、街や人々の生活を静止させます。もしかしたらこれは「ストライキ」を意味しているのかも知れません。それは外国製の高級なジャケツを着る階級の人たちの暮らしをも脅かし、破滅へと導きます。

 そして物語の結末、老婆の血で赤く染まったジャケツは息子に息吹を与えますが、これは「共産主義思想」を意味すると考えられます。と、同時に母の子を思う心を表しています。そして息子は、〈貧しいものの忘れていた言葉〉を綴ることで、街や人々を目覚めさせていきます。

 要するに、貧しき労働者に「言葉を取り戻せ」と訴えかけているのです。そしてそのために詩人になった息子は、〈酸素の言葉〉を送り続けることを使命とし、貧しい人たちにジャケツを与えるとともに、その役割を終えたら消えてしまうのです。

 さて、『詩人の生涯』は安部が日本共産党に入党した頃の作品です。当然ながら作品には「共産主義思想」が色濃く反映されています。もしかしたら安部は作中の息子のように〈酸素の言葉〉を送り続けることを使命と考えていたのかも知れません。

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あとがき【『詩人の生涯』の感想を交えて】

 格差の問題が囁かれて続けていますが、未だその解決策は見出せないままです。いわゆる資本主義社会の弊害と呼ばれるものです。けれども共産主義社会との二者択一を迫られたら、やはり日本に住み、自由を謳歌しているわたしたちなら、資本主義社会を選ぶのは当然でしょう。

 誰もが、共産主義とは言え、一部の権力者が利権を握る構造になっていることを知っているからです。安部公房もまた昭和36(1961)年、批判的な意見書を公開し、日本共産党を除名処分されています。

 回りくどい言い方をしましたが、どんな社会体制にしろ “ 私欲の無い人間 ” が上に立たなければ、わたしたちの未来は物語同様、冷え切ったものとなるでしょう。

 ともかくとして、『詩人の生涯』を読んで感じることは、社会に絶望している人々には何らかの救済が必要だということです。―――人が、「貧しさのために貧しくなる」のを防がなければならないのですから。

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