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三島由紀夫『白鳥』【恋人同士は美しい世界しか見えなくなる!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【三島由紀夫、初期の作品について】

 三島由紀夫は、とあるインタビューで、自分の初期の作品について次のように語っています。

 「(前略)僕の意識的な仕事というのは『仮面の告白』から後で、二十五歳以後の作品ですけどね。それまではほとんどもう、自分が、なんか美しい言葉、自分だけの綺麗な言葉で綺麗なものを創り出そうという以上のことは、あまり考えていませんでしたね。(後略)」

 今回紹介する『白鳥』という作品も、三島が、「自分だけの綺麗な言葉で綺麗なものを創作した」と言えるでしょう。

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三島由紀夫『白鳥』【恋人同士は美しい世界しか見えなくなる!】

『白鳥』は短編集『女神』に収められています。

三島由紀夫(みしまゆきお)とは?

 三島由紀夫(本名:平岡(きみ)(たけ))は、戦後の日本文学界を代表する小説家、劇作家です。(1925-1970)
三島は、大正14(1925)年1月14日、東京市四谷区((現:東京都新宿区四谷)に生まれます。

 昭和6(1931)年、学習院初等科に入学し、中等科在学中には三島由紀夫のペンネームで『花ざかりの森』を発表し、早熟の才をうたわれます。

 その後、学習院高等科を経て昭和19(1944)年、東京帝国大学法学部に進みます。大学在学中に終戦を迎え、この頃、生涯にわたる師弟関係となる川端康成と出会います。

   川端康成

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 昭和22(1947)年、東京大学を卒業し、大蔵省に就職しますが、まもなく退職、作家生活に入ります。昭和24(1949)年、『仮面の告白』で作家としての地位を確立します。

 その後、『禁色(きんじき)』『潮騒』『美徳のよろめき』『金閣寺』『鏡子の家』など、次々と話題作を発表し、文学界の頂点に達します。昭和36(1961)年発表の『憂国』以後は、戦後社会を否定し、思想的に右傾していきます。

 昭和43(1968)年、学生たちと「楯の会」を結成します。昭和45(1970)年、11月25日、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、決起を訴えますが果たさず、割腹自殺します。(没年齢:45歳)

   三島由紀夫

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短編小説『白鳥』(はくちょう)について

 『白鳥』は、昭和23(1948)年、雑誌『マドモアゼル』1月号に発表されます。昭和26(1951)年8月発行の短編集『花ざかりの森』(雲井書店)に始めて収録されます。現在は短編集『女神』(新潮文庫)の中に収められています。

『白鳥』あらすじ(ネタバレ注意!)

 カーテンを開けると外は一面の雪景色でした。邦子の顔は輝きだします。粉雪の舞う朝に「白鳥」を乗り回したいというのが宿望だったからです。「白鳥」とはN乗馬倶楽部(くらぶ)に一頭だけいる純白の馬の名前です。

※宿望(しゅくぼう) 長い間持ち続けて来た望み。

 早くかけつけないと、「白鳥」を先に取られてしまう(おそ)れがありました。乗馬服に乗馬(ばかま)、手袋と、長靴以外全て白い物を身につけた邦子は、倶楽部の休憩室へと入っていきます。ところが、入口の黒板に、 “ 「白鳥」――高原(たかはら) ” の文字が書かれていたのでした。

 「白鳥」には先約がいたのです。高原は寡黙かもくな青年で、一度も会話を交わしたことがありません。高原の背中から意地の悪さを勝手に感じ取った邦子は、休憩室から出て行こうとします。すると高原が、「あっ、堀田さん」と、邦子を呼び止めます。

 名前を知られていると思わなかった邦子は一瞬気をのまれます。そして高原は、「僕、 “ 白鳥 ” でなくてもいいんですよ。お譲りしましょう。」と、言ったのでした。邦子は思わず(ああよかった)とでも言いたげな微笑を見せます。そして、急に高原のことを好ましく思ったのでした。

 倶楽部には同じ広さの馬場が二つあり、双方を行き来できる仕組みになっています。その一つの馬場で乗馬をしていた邦子でしたが、どうも心から楽しめません。何故ならもう一方の馬場で栗毛の馬に乗っていた高原から、時々燃えるような熱い視線を感じたからでした。

 邦子は、高原から「白鳥」を譲られた()け目を感じます。乗馬をしていても(彼の(てのひら)の上を駆けめぐっているような)気がしたのでした。邦子は二つの馬場の堺で馬を下ります。そして高原に「もう帰りますから “ 白鳥 ” にお乗りになりません?」と、言いました。

 高原は、「僕はそんなに “ 白鳥 ” に乗りたいわけじゃありません。」と答え、栗毛の馬から下ります。そして邦子に「じゃ、馬を交代しましょう。今度は同じ馬場で一緒に乗りませんか?」と、目をそらしたまま言ったのでした。

 そのとき邦子は気が付きます。―――高原も(邦子の白い手袋の上を、どうどうめぐりしていたのだ)と。邦子は「白鳥」の手綱(たづな)を高原の手に任せながら(自分の手から何か大事なものを彼に預けてしまったような甘い虚しさ)を感じたのでした。

 乗馬を終えた邦子と高原は、雪を落としながら二人揃って休憩室へと戻ってきます。休憩室には邦子の女友達がいました。友達は邦子に「 “ 白鳥 ” を乗っていらしたの?」と、訊ねます。

 邦子は微笑みながら、「高原さん、二人で “ 白鳥 ” を乗り回したわね。」と、答えます。高原も「 “ 白鳥 ” を満喫しましたね。」と、同調します。その様子を見た倶楽部の会員達は(邦子と高原が同じ馬に相乗(あいの)りしていたのかしら?)と、怪訝な顔をしたのでした。

 邦子と高原にとって、いつしか白い馬が二頭いたような気がしていたのです。二人とも栗毛の馬の存在はすっかり忘れていました。―――恋人同士というものはいつでも栗毛の馬の存在を忘れてしまうものなのです。


『白鳥』【解説と個人的な解釈】

 乗馬をするにはそれ相応の費用の負担が必要です。ですから、現代に生きるわたしたちにとってもハードルの高い娯楽(スポーツ)と言えるでしょう。『白鳥』は、戦後まもなく書かれた作品です。つまり、当時乗馬をしていたのは、いわゆる特別な人たちでした。

 このことを踏まえると、邦子や高原、乗馬倶楽部の面々も裕福な人たちで、もしかしたら倶楽部は、男女が出会うサロン的な役割を担っていたのかも知れません。また、邦子が時々見せる「高慢」な部分も、特別意識の顕れではないでしょうか。

 さて、邦子はいつも、ある自分を想像して夢心地になっていました。それは、白い乗馬服に身を包み、雪の舞う雪原の中、白馬の「白鳥」に乗ることです。けれども、そんな夢心地も一瞬で崩れてしまいます。高原という先約がいたのです。

 高原は邦子に「白鳥」を譲ります。しかも「堀田さん」と呼びかける場面を見ても、どうやら邦子のほうを一方的に知っている様子です。このときから既に、邦子の意識には、高原という存在が深く刻まれていきます。

 そして乗馬の場面、高原からの熱い視線を感じた邦子は、まるで“ 高原の掌の上を駆けめぐっているような ” 気がします。結果、邦子は高原に「白鳥」を乗るようにと言い出すわけですが、その時の高原の態度を見て、高原もまた “ 邦子の白い手袋の上を、どうどうめぐりしていた ” と、気が付きます。

 つまり、お互い無関心を装いながらも、相手のことを強く意識し続けていたという意味です。その後二人は、決して忘れられぬ乗馬のひと時を過ごし、休憩室へと戻ってきます。居合わせた人たちはそんな二人が、(同じ馬に相乗りしていたのか?)と、思うくらい親密そうに見えます。

 「白鳥」という白馬の存在が、若い二人の出逢いのきっかけとなります。もはや「栗毛の馬」の存在が霞んでしまうのは無理もないような気がします。惹かれ合う恋人同士というものは、二人きりの美しい世界しか見えなくなるのですから。

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あとがき【『白鳥』の感想を交えて】

 あくまでわたし個人の想像ですが、高原という青年は、以前から邦子に恋心を抱いていたような気がします。そして邦子の「雪の降る日に “ 白鳥 ” に乗りたい」という望みまで知っていたような気がします。

 言うなれば高原は、邦子に近づける絶好の機会を探っていたのです。その絶好の機会というのが「雪の降る日」です。「雪の降る日」に「白鳥」を予約しておけば必ずや、お近づきになれると計算していたのです。

 もしかしたら「そんなに “ 白鳥 ” に乗りたいわけじゃありません。」という高原の言葉もあながち本音だったのかも知れません。邦子に「白鳥」を乗らせるために高原は一番乗りで倶楽部にやって来たのです。

 わたしの想像はともかくとして、『白鳥』という作品の「白」をベースとした色彩がとても印象的です。その「白」という色が、若い二人の「赤」く燃える炎のような恋心を一層際立たせています。

 冒頭で紹介した、「自分だけの綺麗な言葉で綺麗なものを創り出そうという以上のことは、あまり考えていませんでしたね。」という、三島の言葉どおりの作品と言えます。

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