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「掌の小説」川端康成『雨傘・木の上』二つの甘酸っぱい恋物語!

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【「たなごころ」という言葉】

 「掌(たなごころ)」―――とは、手のひら・手の内側・手の裏のことですが、「手の心」という意味もあります。なんと美しい言葉ではないでしょうか。

 幼い頃の記憶ですが、転んで泣いていたとき、知らない女性に起こされて頭を撫でられたことがあります。安心感だったのでしょうか、その瞬間、痛みを忘れて泣き止んでいました。

 それと、ある病に伏していたとき、わたしの手をずっと握り続けてくれた人がいました。そのときも不思議なもので、苦しみが楽になったような気がしたものです。きっと手からも心が伝わるのでしょう。そんな経験をしたことはありませんか?

 さて、きわめて短い小説のことを「ショートショート」と呼ぶのが一般的になってきましたが、わたし的にはやはり、明治時代から使われてきた「掌編(しょうへん)小説」の呼び名のほうがしっくりきます。

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「掌の小説」川端康成『雨傘・木の上』二つの甘酸っぱい恋物語!

川端康成(かわばたやすなり)とは?

 川端康成は、大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人です。(1899-1972)

 明治32(1899)年、大阪市北区で医師を務める川端栄吉の長男として誕生しました。幼い頃に両親を亡くし、母方の祖父母の手によって育てられます。成績も優秀であった川端は早くから作家を志します。

 第一高等学校(旧制一高)から東京帝国大学国文学科(東京大学文学部)へと進み、創作活動を始めます。またこの頃、菊池寛に認められ、多くの作家の知己を得ます。

    菊池寛

 帝大卒業後は、新感覚派作家として独自の文学を貫き、流行作家へと階段を駆け上っていきます。やがてその文学性は国際的にも認められるようになり、昭和43(1968)年には、ノーベル文学賞を受賞しました。

 そんな栄光溢れる川端の作家人生でしたが、思いがけない形で突如終わりを迎えます。昭和47(1972)年4月16日、逗子の仕事部屋でガス自殺をしてしまいます。なお、遺書はありませんでした。(享年72歳)

 著書には『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』『眠れる美女』など、日本文学史に燦然(さんぜん)と輝く名作が多数あり、その輝きは現代でも失われていません。

   川端康成

川端康成『伊豆の踊子』【世界的文豪もやっていた自分探し!】

「掌の小説」(たなごころのしょうせつ)とは?

※(てのひらのしょうせつ)とルビが付されている場合もあります。

 川端康成は戦前戦後を通して一連の短い作品を書いています。その総数は128編ほどになるといわれ、これらも作品群を川端は「掌の小説」と名付けています。つまり掌に書きつけた小説とか、掌に入ってしまうささやかな小説ともうけとられます。

 初期の頃の35編は大正15(1926)年6月15日に金星堂より刊行の処女作品集『感情装飾』に初収録されます。その後の昭和5(1930)年4月7日に新潮社より刊行の『僕の標本室』には、新作を加えた47編が収録され、昭和13(1938)年7月19日に改造社より刊行の『川端康成選集第1巻』には77編が収録されました。

 改造社版『川端康成選集』第一巻のあとがきで作者自らこのように言っています。

私の旧作のうちで、最もなつかしく、最も愛し、今も尚最も多くの人に贈りたいと思ふのは、実にこれらの掌の小説である。この巻の作品の大半は二十代に書いた。多くの文学者が若い頃に詩を書くが、私は詩の代りに掌の小説を書いたのであつたらう。

無理にこしらえた作もあるけれどもまたおのづから流れ出たよい作も少なくない。今日から見るとこの巻を『僕の標本室』とするには不満はあつても若い日の詩精神はかなり生きてゐると思ふ。

 けれども十二年後の全集で作者はこの評価をくつがえしています。

こんどこの全集のためにこれらの掌の小説を読みかへしてみて、 私は 『最も愛し』 てゐると言ふことはためらはれ、『若い日の詩精神はかなり生きてゐる』と言ふことにも疑ひを持つた。

 と、川端康成は言うものの、作家の手を離れ読者のものとなった作品は、今でも一人一人の心に寄り添い続けています。

『雨傘』あらすじ(ネタバレ注意!)

 春雨の降る日、傘を持った少年のもとに一人の少女が飛び出してきます。少年は黙って少女に傘をさしかけてあげます。けれどもお互いに身を寄せることができません。二人はそのまま写真屋へと入っていきます。

―――転校することになった少年と別れの写真を撮るためでした。

ところがこのときも恥ずかしくて、寄り添うことができません。椅子に座る少女の後ろに立ち、指先を着物に触れるだけで精一杯でした。

 そんな二人に写真屋は、長椅子に並んで座るようにすすめます。二人はとうとう身を寄せることができました。写真屋を出るとき少年は雨傘を探します。ふと見ると少女が少年の傘を持って待っています。そんな自分に少女は驚きます。

―以下原文通り―

 けれども写真屋へ来る道とはちがって、二人は急に大人になり、夫婦のような気持ちで帰っていくのだった。傘についてただこれだけのことで―――。

『雨傘』ひとこと解説

 撮影を契機に二人の恋心は微妙に変容していきます。それまでの距離感も無意識のうちに縮まり、まるで身内のように感じるようになっていきます。身体を寄り添うことで心まで寄り添うようになったといったところでしょうか。

 そして少女の心がどのように変化していったかを「傘を持つ」といったさりげない行動ひとつで鮮やかに、かつ印象深く描き出しています。

『木の上』あらすじ(ネタバレ注意!)

 敬助の家は、河口の岸辺にあります。岸には松が並び立っていて、まるで庭木のようです。松の前には生け垣があり、路子(みちこ)は毎日のようにその生け垣をくぐり抜けて、敬助に会いに通って来ます。

 二人は小学四年生です。路子がなぜ生け垣から入ってくるかというと、それは敬助の家の人に、どこか恥ずかしいからでした。ある日、敬助が松にのぼっているとき、路子がやってきました。

 敬助が路子に「のぼっておいでよ。」と言います。路子はこわごわ敬助のいる枝までのぼっていきました。するとそこからは、海や川の向こうまで見えます。敬助は「木の上にいるのは秘密だよ。」と言い、木にのぼるようになった理由を教えます。

 それは―――両親の喧嘩が理由でした。

 母親が敬助を連れて実家に帰ると言い出したとき、木の上に隠れたのが最初でした。それから敬助はよく木の上にいるようになります。このことは両親も知りません。それから、二人の木の上の「秘密」は二年くらい続きます。

―以下原文通り―

 そんなに高くはないのに、地上をまったく離れた世界にいると、小さな恋人たちは感じていた。

『木の上』ひとこと解説

 大人の事情というものに、いつも子供は振り回されます。それにせめてもの抵抗を試みた少年はついに自分だけの居場所を見つけます。まさにそこは別天地ともいえる場所でした。やがてその場所は―――二人だけの秘密の世界になります。

 「秘密の共有」といった心理は、大人子供関係なく胸をときめかせるものです。その後二人がどうなったか分かりませんが、このときの気持ちは大人になっても忘れないでしょう。そんな美しくも儚い一瞬が鮮明に描かれています。


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あとがき【『雨傘』『木の上』の感想を交えて】

 大人になるにつれ恋愛に対する感覚は鈍くなっていくような気がします。それは勿論、数々の経験を経てのことでしょうが、どこか寂しく思うのはわたしだけでしょうか。

 気持ちを打ち明けられないまま終わった恋、手を繋ぐということだけに時間を費やした日々、声が耳から離れなくて眠れなかった夜、いずれの感情も繊細で美しいものでした。

 わたしたちは日常において、ついつい新しい刺激を求めがちになります。恋愛も同じです。けれども刺激に際限がありません。たまには純粋だった頃を思い出し、欲求にブレーキをかける必要があるように思います。

 そんなとき『雨傘』や『木の上』は、忘れていた感覚を思い起こしてくれます。とても短く読み易い作品ですので、是非一度そのたなごころに取って頂きたいものです。

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