はじめに【芥川龍之介の戯曲】
芥川龍之介の作品に戯曲はあまり多くありません。『青年と死と』、『暁』、『往生絵巻』、『三つの宝』、『二人小町』、『或恋愛小説』、『闇中問答』の七作品だけです。親友の菊池寛が多くの戯曲を手がけたのに対し、意外に思われる方も多いでしょう。
以前、三島由紀夫の戯曲『卒塔婆小町』をブログに載せましたが、物語には小野小町と深草少将という二人の人物が登場します。
今回は、同じ人物を登場させた芥川龍之介の戯曲『二人小町』をご紹介したいと思います。
芥川龍之介『二人小町』あらすじと解説【死の恐怖と生への執着!】
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)とは?
大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892~1927)
芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現・東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生まれます。
しかし生後間もなく、母・ふくの精神の病のために、母の実家芥川家で育てられます。(後に養子となる)学業成績は優秀で、第一高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学英文科に進みます。
東京帝大英文科在学中から創作を始め、短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛されます。今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。
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本格的な作家活動に入るのは、大正7(1918)年に大阪毎日新聞の社員になってからで、この頃に塚本文子と結婚し新居を構えます。その後、大正10(1921)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていきます。
また、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。昭和2(1927)年7月24日未明、遺書といくつかの作品を残し、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。(享年・35歳)
戯曲『二人小町』(ふたりこまち)について
芥川龍之介の戯曲『二人小町』は、平安時代末期に正立した『今昔物語』の「巻20第18話 讃岐国女行冥途其魂還付他身語 第十八」を下敷きに、同時代の漢文詩作品『玉造小町壮衰書』と、そして「能」の『百夜通い』を組み込み、創作されたものです。
『二人小町』あらすじ(ネタバレ注意!)
ある日小野小町は自室で草紙を読んでいました。すると突然、黄泉の使いが現れます。使いは小野小町に、「地獄に連れて行く。」と言いました。それは当然「死」を意味します。
※草紙(そうし) とじた本。冊子本。絵を多く入れた大衆的な読物の本。
※黄泉(よみ) 人の死後、その魂の行くという所。死者の住む国。
小野小町は使いに、「わたしはまだ二十一で美しい盛りなのです。どうか命は助けて下さい。わたしが死んだら深草の少将は嘆き死にしてしまいます。」と言い、少将の胤を宿していると情に訴えます。
※胤(たね)を宿す 種。妊娠する。子をはらむ。
使いは、「閻魔王の命令ですから。」と言い、きっぱりと拒絶しました。けれども小野小町はあらゆる口実を申し立てて助命を歎願します。そんな小野小町の迫力に負けた使いは、「同じ年頃で、小町という名の女がいれば身代わりにできる。」と教えました。
小野小町は、「玉造小町という人がいます。あの人はこの世にいるよりも、地獄に住みたいと言っています。」と使いに教えます。使いは、「よろしい。その人をつれて行きましょう。」と言い残すと突然、小野小町の前から消えたのでした。
黄泉の使いは、玉造小町を背負って黄泉の国へと急ぎます。玉造小町が、「どこへ行くのです?」と聞くと、使いは、「地獄へ行くのです。」と答えました。不審に思った玉造小町は使いを詰問します。すると使いは、「小野小町の身代わりになった。」と教えました。
使いは、「あの人は深草の少将の胤とかを宿しているのですから……。」と理由を述べます。すると玉造小町は、「真赤な嘘ですよ!深草の少将は今でもあの人のところへ百夜通いをしているのですから!」と教えたのでした。
※百夜通い(ももよがよい) 世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。
怒り狂った玉造小町は、小野小町の嘘をことごとく訂正して事実を伝えます。そして使いに対して色仕掛けをし、「どうかわたしを生かして下さい。その代りに小野小町をつれて行って下さい。」と頼んだのでした。
使いは再び小野小町の元へ行きます。すると屋敷は、陰陽師・安倍晴明の力で呼び出された三十番神によって護られています。使いは仕方なく退散するしかありませんでした。
※三十番神(さんじゅうばんしん) 一ヶ月三十日間を毎日交替して如法経を守護する三十の神々。
数十年後、小野小町と玉造小町の二人は乞食に身を落とし、枯れすすきの原で話しこんでいました。二人とも苦しい日々の暮らしを恨み、黄泉の使いを拒んだことを後悔しています。―――そこへ偶然、黄泉の使いが通りかかります。
二人は、「黄泉の使い!黄泉の使い!」と言って呼び止めました。使いは、呼び止めた人間が誰か見当がつきません。二人が小野小町と玉造小町だと言うと使いは、「あなたがたが?骨と皮ばかりの女乞食が?」と言って驚いてしまいます。
二人は使いに、「どうか黄泉へつれて行って下さい。」と言ってせがみます。けれども昔さんざん二人に騙された使いは、「あなたがたが恐ろしいのです。あなたがたは男の心も体も、自由自在に弄ぶことが出来る。」と言い、拒絶したのでした。
結局、黄泉の使いはその場から立ち去ってしまいます。残された二人は口々に、「どうしましょう?」と言い合い、泣き伏してしました。
青空文庫 『二人小町』 芥川龍之介
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『今昔物語』(巻20第18話 讃岐国女行冥途其魂還付他身語 第十八)
今は昔のことです。讃岐の国山田の郡(現・香川県高松市)に重病の女がいました。女は病を治すため、多くのご馳走を疫病の神に供えます。やがて閻魔王の使者の鬼が女のところにやって来ました。すると鬼はそのご馳走を食べてしまいます。
鬼は女に、「おまえの膳を食った恩返しがしたい。同姓同名の人を知らないか。」と尋ねます。女は、「鵜足の郡(現・香川県丸亀市)にいます。」と答えました。鬼は鵜足の女を閻魔王に召し出します。
鵜足の女を見た閻魔王は、「この女は違う。山田の女を連れてきなさい。」と言いました。鬼は仕方なく山田の女を連れて来ます。そして、「鵜足の女を帰してやりなさい。」と言います。けれども鵜足の女の身体はすでに火葬され、焼失していました。
帰る肉体のない鵜足の女に閻魔王は言います。「山田の女の肉体を、おまえの身体とするがよい。」こうして、山田の女の身体に入った鵜足の女ですが、「我が家は鵜足の郡にあります。」と言い、山田の家を出て行ってしまいました。
見知らぬ女の出現に、鵜足の郡の家の父母は驚きます。女は冥途で閻魔王が言ったことを語り、生きていた頃のことを話しました。まさしく自分の娘だと悟った父母は娘をとても可愛がります。また、話を聞いて、山田の郡の父母がやってきました。
姿かたちは我が娘なのでこの父母も娘を深く愛します。娘は両家によって育てられ二家の財産受け継ぐことになります。この話は、鬼を接待するのは虚しいことではない。そしてこんなこともあり得るので、人が亡くなったとき葬儀を急いではならないと。と語り伝えられています。
『二人小町』【解説と個人的な解釈】
前述したように、『今昔物語』の女性二人は閻魔王の使者の鬼によって運命を翻弄されます。一方芥川の『二人小町』は、逆に女性二人に閻魔王の使者が翻弄される形となっています。
小野小町は言わずと知れた平安時代の女流歌人で、優れた美貌の持ち主だったと後世に伝えられています。けれども晩年はおちぶれて乞食となり、流浪の果てに路傍で亡くなったという伝説が残っています。
玉造小町は、『玉造小町壮衰書』に登場する架空の人物です。同書で玉造小町は良家の娘として生まれ、若い頃には栄華を極めますが、後に家は没落し、晩年は老女の境遇を憐れんで、仏に救済を願うといった内容になっています。
芥川は、二人に共通する晩年の境遇を作品に落とし込み、『二人小町』を創作したと考えられます。若さや美貌は現世からの一時の借り物で、人を惑わすために悪用すると必ず災いがやってくるといった、いわば戒めを説いているように感じます。
戯曲ですからこの見方が一般的かと思いますが、もっと踏み込んで言うなら、「死」への恐怖は当然のこと、たとえ「生」に執着したとしても人生には苦しみが付きまとう。といったことを伝えたかったようにも考えられます。あくまで芥川の最期を鑑みての考えですが……。
あとがき【『二人小町』の感想を交えて】
昨今、女性に高額な売掛(借金)を背負わせる「悪質ホスト」の問題が取りざたされるようになりました。また逆もしかりで、若い女性に貢ぎ、破産にまで追い込まれてしまう男性も後を絶ちません。
彼(彼女)らは、巧みな話術を用い、あたかも好意を持っているかのよう相手に見せかけて、心の隙間に入り込んできます。「好きで騙されている」と言われたらそれまでなのですが……。
極端な事例を出しましたが、“ 好意を抱く相手から翻弄される ” といった経験をした方も多いと思います。『二人小町』を読むとどうしても、わたし自身の苦い思い出もよみがえってきます。
相手の好意につけ込み、利益を貪るといった行為ほど悪質なものはないでしょう。『二人小町』の二人の晩年はその代償と言えるかも知れません。ともかくとして、「生」と「死」、そして「老い」を受け入れることができるかが、その人の人生を決めるような気がします。
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