はじめに【夏目漱石の賞賛を受けた芥川の『鼻』】
芥川龍之介の『鼻』が、大正15(1915)年末から師事していた夏目漱石の賞賛を受け、文壇に華々しく登場したことは有名なエピソードですが、漱石は次のような讃辞の書簡を芥川に送っています。
「(前略)あなたのものは大變面白いと思ひます落着があつて巫山戯てゐなくつて自然其儘の可笑味がおつとり出てゐる所に上品な趣があります夫から材料が非常に新らしいのが眼につきます文章が要領を得て能く整つてゐます敬服しました、あゝいふものを是から二三十並べて御覧なさい文壇で類のない作家になれます(後略)」
(1916年2月19日付芥川龍之介宛書簡)
では、漱石が賞賛した『鼻』とは、どのような作品なのでしょうか。
芥川龍之介『鼻』あらすじと解説【人間の矛盾する二つの感情!】
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)とは?
大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892~1927)
芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現・東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生まれます。
しかし生後間もなく、母・ふくの精神の病のために、母の実家芥川家で育てられます。(後に養子となる)学業成績は優秀で、第一高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学英文科に進みます。
東京帝大英文科在学中から創作を始め、短編小説『鼻』が夏目漱石から絶賛されます。今昔物語などから材を取った王朝もの『羅生門』『芋粥』『藪の中』、中国の説話によった童話『杜子春』などを次々と発表し、大正文壇の寵児となっていきます。
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本格的な作家活動に入るのは、大正7(1918)年に大阪毎日新聞の社員になってからで、この頃に塚本文子と結婚し新居を構えます。その後、大正10(1921)年に仕事で中国の北京を訪れた頃から病気がちになっていきます。
また、神経も病み、睡眠薬を服用するようになっていきます。昭和2(1927)年7月24日未明、遺書といくつかの作品を残し、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺をしてしまいます。(享年・35歳)
短編小説『鼻』(はな)について
『鼻』は芥川龍之介の初期の短編小説(掌編小説)で、大正5(1916)年2月の第4次『新思潮』創刊号にて発表されます。物語の原典は『今昔物語集』巻二十八『池尾禅珍内供鼻語第二十』及び『宇治拾遺物語』巻二『鼻長き僧の事』です。
『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』について
- 『今昔物語集』 平安時代末期成立の説話集で31巻(内3巻を欠く)1040話からなっていて、作者に関しては、古来の源隆国説、鳥羽僧正覚猷説その他がありますが未詳です。
- 『宇治拾遺物語』 鎌倉時代前期成立の説話集で15巻197話からなっていて、作者は不明です。197話のうち『今昔物語集』と84話が共通しています。
※説話集 古くより伝承されて来た話・物語一般を集めた書物。
『鼻』あらすじ(ネタバレ注意!)
池の尾(現在の京都府宇治市池尾)の僧・禅智内供は、世にも珍しい鼻の持ち主でした。長さは五、六寸(15㎝~18㎝)もあり、ぶらりと顎の下までぶら下がっています。
内供は、内道場供奉の職に上っても、内心で、この鼻を酷く気に病んでいました。けれども、そのことを人に知られるのが嫌で、表面上は気にしない風を装っていたのです。
内道場供奉(内供奉)
宮中の内道場に奉仕し、毎年御斎会が行なわれる時に読師などの役をつとめ、国家鎮護の任を負った僧。十禅師の兼職で、諸国より浄行の高僧が選抜された。
(出典:精選版 日本国語大辞典)
内供が鼻を持てあました理由は二つありました。一つは実際に鼻の長いことが不便だったからです。食事をするときは一人で食べられず、弟子に二尺(60㎝)の棒を持たせ、それで鼻を持ち上げて貰っていたのでした。
けれども内供にとってそんなことは、鼻を気に病んだ主な理由ではありません。もう一つ、この “ 鼻によって傷つけられる自尊心 ” のために苦しんでいたのです。町の人々からは、陰口を叩かれたり、からかわれたりしていました。
そこで内供は、傷つけられた自尊心の回復を試みます。鏡に向かって長い鼻を短く見せる工夫をしたり、自分と同じような鼻の持ち主を見つけようとしたり、または書物から、長い鼻の人物を見出そうとしました。けれども全ての試みは、内供を虚しくさせるばかりでした。
そんなある日、弟子の一人が中国から渡って来たという医者から、長い鼻を短くする方法を教わって来ます。その方法というのは、ただ湯で鼻を茹でて、その鼻を人に踏ませるという極めて簡単なものでした。弟子の勧めにより、内供はこの方法を試みることにします。
内供は、自分の鼻をまるで物品のように扱う弟子を不快に思いながらも、暫らくの間、黙って身を委ねていました。そして終わってみるとなんと、―――内供の鼻は、嘘のように短くなっていたのでした。
内供は、(これでもう、誰も自分のことを笑う者はいない)と、思います。けれども一方で(鼻がまた長くなりはしないか)という不安もありました。が、依然として鼻は短いままです。
ところが二、三日経ってから、内供は意外な事実を発見します。内供の短くなった鼻を見た者が、前よりも一層笑うようになったのでした。内供は初め、自分の顔が変わったせいだと解釈します。けれどもどうも、それだけではないような気がします。
誰もが他人の不幸に同情します。けれども不幸を切り抜けると、他人はそれを物足りなく感じるようになります。少し誇張して言うと、その人を再び同じ不幸に陥れてみたくなり、さらにはその人に敵意さえ抱くようにさえなるのです。内供が何となく不快に思ったのは、そんな “ 傍観者の利己主義 ” に、それとなく感づいたからでした。
※利己主義 自分の利益や自分の立場だけを考え、他の人や社会一般のことは考慮に入れず、わがまま勝手にふるまう態度。身勝手。利己説。エゴイズム。
自尊心が傷つけられた内供は、日毎に機嫌が悪くなっていきます。それどころか、鼻が短くなったことを逆に恨めしくなっていったのでした。そんなある夜、内供は、眠れない夜を過ごします。鼻がいつになくむず痒く、熱をもっていたのでした。
翌朝、内供が眼を覚ますと、忘れようとしていた懐かしい感覚が帰ってきます。短かった鼻が元の長い鼻に戻っていたのです。内供は晴れ晴れした気持ちで、心の中でこう自分に囁きます。―――「もう誰も自分を笑う者はいなくなる。」
青空文庫 『鼻』 芥川龍之介
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『鼻』【解説と個人的な解釈】
禅智内供は、僧侶として高い位についています。そんな内供ですが、「長い鼻」というコンプレックスを抱えていました。内供は、 “ コンプレックスで思い悩んでいる ” ことを人に知られないように振る舞います。それは「自尊心」を傷つけられたくなかったからです。
高い地位を手にしている人間ほど「自尊心」は高いものです。この高い「自尊心」が内供のコンプレックスを増幅させていったと考えられます。とは言え、そんな内供の気持ちを周りは理解していました。弟子の一人が、長い鼻を短くする方法を聞いてきます。
結果的にこの方法を試み、鼻を短くすることに成功するわけですが、鼻が長かった頃よりも笑われるという思いもよらぬ事態を招いてしまいます。当然、内供は困惑します。物語の語り手はこの事を次のように説明しています。
人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事ができると、今度はこっちでなんとなく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる。(原文通り)
そして語り手はそのような人間の気持ちを「傍観者の利己主義」と語っています。確かに分かるような気がします。“ 他人の不幸は蜜の味 ” と言いますが、人間の心理にはこのような「非情」な面が「同情」の裏に潜んでいるのです。
ただ、それだけではないような気がします。日頃から内供が「気にしていない風」を装っていたからこそ、前よりも笑われる事になったとも考えられます。「なんだ、結局気にしてるじゃん!」と、内供の「自尊心」、つまりは「無駄なプライド」を人々は笑ったのです。
物語の結末、内供の鼻は元の長い鼻に戻り、「もう誰も自分を笑う者はいなくなる。」と、安堵の台詞で閉じられていますが、果たして後の内供が笑われるかどうか、それは読者各々の想像に委ねられています。
あとがき【『鼻』の感想を交えて】
芥川は『鼻』という作品について自らこのように解説しています。
『鼻』のGedankeninhalt(ドイツ語:思想内容)のうち、「傍観者の利己主義」はNeben(次)の位置にあり、Haupt(主要)なものは「身体的欠陥の為にたえずvanity(虚栄心)のなやまされている苦しさ」である。
(中略)
実際身体的欠陥に(如何に微細なものでも)悩んだ事のある人は幾分でも内供の心もちに同感してくれるだろうと思う。僕はあの中に書きたくもない僕の弱点を書いている点で、それだけの貧弱な自信はある。
その「弱点」とやらについては明かされていませんが、学問の上でエリートコースを歩んで芥川でさえ肉体的なコンプレックスを抱えていたということです。芥川のみならず、誰しも一つや二つ、コンプレックスがあるものです。
そして、虚栄心や自尊心の強い人ほど思い悩みます。反対に、お笑い芸人が自分の「弱点」を武器にするように、虚栄心や自尊心を捨てることのできる人ほど、コンプレックスと上手く付き合っています。
『鼻』という作品を読んで思うことは、内供自身が地位をかざして人を上から見下ろす、「傍観者の利己主義」的な一人ではなかったか?ということです。慈愛の心を持った本物の僧侶なら、例え肉体的な「弱点」があったとしても、人々は笑わなかったと、わたしは考えます。
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