はじめに【時代に翻弄される地域】
北陸新幹線が今年の春、福井県敦賀市の敦賀駅まで延びたことはまだ記憶に新しいと思います。お盆期間には、一日の利用客が過去最高だったというにニュースも目にしました。
低迷する地方経済にとって非常に喜ばしいことです。けれどもその一方で、単なる通過駅となり、衰退していく地域がどうしても出てきます。これは高速道路やバイパス建設でも同様に起こる現象です。
このように、時代の波に置いて行かれた地域に暮らす人々にとっては死活問題でしょう。ともかくとして、今回は小川未明の童話『とうげの茶屋』をご紹介します。
小川未明『とうげの茶屋』あらすじ【自分の損得より他者の幸せ!】
小川未明(おがわみめい)とは?
小川未明(本名・小川健作)は、大正・昭和期の小説家、児童文学作家です。(1882~1961)
小川未明は、明治15(1882)年4月7日、新潟県中頚城郡高城村(現・上越市幸町)に生まれます。
東京専門学校(現・早稲田大学)英文科在学中、坪内逍遙の指導を受け、処女小説『霰 に霙 』 (1905) で文壇にデビューします。またこの頃、逍遙から「未明」の雅号をもらい、「小川未明」という名前で執筆を始めます。
その後は、短編集『愁人』『緑髪』『惑星』を次々と刊行していきます。大正期に入ってからの未明は社会主義的な傾向を強めていきます。また、この時期に創刊された『赤い鳥』なども影響し、童話も盛んに書くようになっていきます。
※『赤い鳥』 鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。
大正15/昭和元(1926)年、『未明選集』全6巻の刊行を機に、童話作家として専念することを決意します。以後、『牛女』『赤い蝋燭と人魚』『野薔薇』『考えこじき』など、数々の名作を描き続けました。
昭和36(1961)年5月11日に脳出血のため東京都杉並区高円寺南の自宅で死去します。(没年齢・79歳)
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坪内逍遙(つぼうち しょうよう)とは?
坪内逍遙(本名・坪内勇蔵)は明治から昭和前期の小説家、劇作家、評論家です。(1859~1935)
坪内逍遙は、安政6年5月22日(1859.6.22)、美濃国太田村(岐阜県美濃加茂市)の尾張藩代官所役人の家に生まれます。東京大学文学部政治科を卒業し、後に早稲田大学の前身である東京専門学校の教授となります。この頃に小川未明が生徒となり指導をします。
文芸誌『早稲田文学』(1891)の創刊、シェークスピアの研究・翻訳、また文芸協会を主宰して演劇運動にも尽力するなど、日本近代文学、演劇の発展史に大きな功績を残します。
昭和10(1935)年2月28日、感冒に気管支カタルを併発し、死去します。(没年齢・75歳)
童話『とうげの茶屋』について
『とうげの茶屋』は、昭和22(1947)年9月、『新児童文化』に掲載されます。
『とうげの茶屋』あらすじ(ネタバレ注意!)
峠の中ほどに、一軒の茶屋がありました。ここにはおじいさんが一人で住んでいます。奥さんに先立たれてから長いこと一人で商売していますが、差別なく客をもてなしていましたから、誰からも、「おじいさん、おじいさん。」と親しまれていました。
客が来ないとき、おじいさんは、ぼんやりと店先に座って、居眠りをしました。すると夢うつつのような気持ちになります。こうしてゆっくり時間が過ぎていくと、朝に茶屋の前を通って町へ出た村の人々が用をたして戻る頃になるのでした。
そんなある日、一人の男がキツネに化かされて、一晩中、林の中で過ごしたという噂が、おじいさんの耳に入ります。その翌日、村の助役が茶屋に入って来て、「わるいきつねが出て、人を騒がすそうだが、なにも変わったことはないかね。」とおじいさんに訊ねました。
それから助役はあらたまって、「きつねなんかどうでもいいが、それより、来年はこの前をバスが通るというじゃないか。」と言いました。要するに、バスが通っては峠を歩く者もいなくなり、商売が立ち行かなくなるだろうと言うのです。
おじいさんは、「もう、この商売もどうなりますか。」と力なく言いました。そんなおじいさんに助役は、茶屋の前に停留所を置く運動をしたらどうかと助言し、「お前さんがその気なら代わって運動してやってもいい。」と言います。
おじいさんは心の中で思いました。(どうせそれには金がいるんだろう。いくらばかりあったらその望みが叶えられるのやら……)助役は、「よく考えておかっしゃい。」と言い残して店を出て行きました。
おじいさんは一人になると、息子が最近よこした手紙を読み始めます。その手紙には、「父上、どうかこちらへいらして、親子いっしょにお暮らしくださいませんか。孝行したいと思います。」と書かれていました。
そんな時、年をとった一人の百姓が入って来ます。百姓は小学校時代からのおじいさんの友達です。おじいさんは熱燗の準備をしながら、さっき助役が話していったことを百姓に教え、「いっそせがれの元へ行ったほうがいいかもと考えてな。」と、しんみりとした調子で言いました。
百姓は、「よく思案して、好きなようにするがいいぜ。どんなことがあろうと、お前一人ぐらい、わしらが困らしやしない。」と言って、おじいさんを慰めたのでした。
その翌日、朝から木枯らしが吹いたため、おじいさんは早くに店じまいをします。するとトントンと戸を叩く音がしました。「何のご用かな?」とおじいさんは聞きます。「お閉めになったのを、すみません。」聞こえてきたのは優しい女性の声でした。
戸を開けて外を覗くと、小さな男の子を連れた若い女性が立っています。どうやら旅の者のようです。女性は、「何か食べるものがありましたら。」とおじいさんに言いました。おじいさんは二人を店に招き入れます。
女性はおじいさんに、「この先の村へ行く予定ですが、子供がもう歩けないと言うものですから。」と言いました。おじいさんは、柿と芋、栗を渡して、「ここから先の道はよろしゅうございます。少しでも早く、明るいうちに、いらっしゃいまし。」と言いました。
「お世話になりました。」女性は、男の子の手を引いて、うす暗くなりかけた道へと消えて行きます。戸口に立って見送っていたおじいさんは、息子の結婚した嫁のことを思いました。(いつ、ああして訪ねてこないものでもない……)
そしてこう思うのです。(もしそのとき、町から村へバスが通っていたら、どんなに便利なことであろう)そう考えると商売上のことや一身の損得など、一瞬にして吹き飛んでしまいました。
ただ世の中が明るくなることが、なにより喜ばしく感じられ、また、多くの人々が幸せになるのを、真に心から望んだのでした。
青空文庫 『とうげの茶屋』 小川未明
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あとがき【『とうげの茶屋』の感想を交えて】
『とうげの茶屋』の主人公のおじいさんは、自分の損得よりも他者の幸福を願い、茶屋を畳んで息子の世話になることを決意します。これは年齢のこと、独り身であること、そして頼れる息子がいるということが相まっての決断でしょう。
けれども冒頭でも書いたように、時代にと言うべきか、開発から取り残された地域にも多くの人々の暮らしがあります。家族の生活を支えるため、または先祖代々の土地を守るためにすがりついてでも土地を離れないという人たちもいます。
第三者は軽々しく、「便利な地域に引っ越したらどうか?」なんて言ったりしますが、そんなに簡単なことでないのは明らかでしょう。ともかくとして自分の損得を考えずに他者の幸福を願うような人にこそ何らかの恩恵があっても良さそうなものです。
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