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小川未明『時計のない村』あらすじと解説【文明の恩恵と弊害!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【格差と分断】

 以前、夏目漱石の講演録『現代日本の開化』について書きましたが、その中で漱石は「文明が発達しようと人間の幸福度は変わらない」的な発言をしています。時代は変わっても、わたしたちの置かれている状況は全く同じと言えるでしょう。

 暮らしが便利になり物質的に豊かになるということは、「持てる者と持たざる者」をつくり出すことを意味します。つまり「貧富の格差」が拡がるということです。

 「格差」から「差別や偏見」が起こり、それが「分断」を生むと主張する専門家もいます。確かに「格差」のなかった縄文時代は人間同士の争いが少なかったと言います。少し話がずれましたが、小川未明は「格差と分断」の混在する人間社会に警笛を鳴らしています。

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小川未明『時計のない村』あらすじと解説【文明の恩恵と弊害!】

小川未明(おがわみめい)とは?

 小川未明(本名・小川健作)は、大正・昭和期の小説家、児童文学作家です。(1882~1961)
小川未明は新潟県中頚城(なかくびき)郡高城村(現・上越市幸町)に生まれます。

 東京専門学校(現・早稲田大学)英文科在学中、坪内逍(つぼうちしょう)(よう)の指導を受け、処女小説『(あられ)(みぞれ) 』 (1905) で文壇にデビューします。またこの頃、逍遙から「未明」の雅号をもらい、「小川未明」という名前で執筆を始めます。

 その後は、短編集『愁人』『緑髪』『惑星』を次々と刊行していきます。大正期に入ってからの未明は社会主義的な傾向を強めていきます。また、この時期に創刊された『赤い鳥』なども影響し、童話も盛んに書くようになっていきます。

※『赤い鳥』 鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌

 大正15/昭和元(1926)年、『未明選集』全6巻の刊行を機に、童話作家として専念することを決意します。以後、『牛女』『赤い蝋燭(ろうそく)と人魚』『野薔薇』『考えこじき』など、数々の名作を描き続けました。

 昭和36(1961)年5月11日に脳出血のため東京都杉並区高円寺南の自宅で死去します。(没年齢・79歳)

   小川未明

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童話『時計のない村』について

 『時計のない村』は、大正10(1921)年1月、雑誌『婦人公論』に掲載されます。同年5月、童話集『赤い蝋燭と人魚』(天佑社)に収録されます。

『時計のない村』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある田舎の貧しい村のお話しです。この村には長い間、時計というものがありませんでした。時刻は太陽の上りぐあいを見て計っていたのです。けれども村の金持ちの一人が、(この文明の世の中に時計を用いなくては)と考えます。

 それで金持ちは、町に出たときにたくさんのお金を払って一つの時計を買い求めました。金持ちはその時計を大事にして、村へと持ち帰ります。時計の物珍しさに、村人たちは毎日のように金持ちの家に押しかけます。そして独りでに動く針を見つめて不思議に思ったのでした。

 この村にもう一人、金持ちがいました。その男は、時計を手に入れた金持ちのところへ村人たちが行くのを(ねた)ましく思います。それでその男も町へと出かけ、珍しい形をした時計を買い求め、大事に村へと持ち帰ったのでした。

 もう一人の金持ちが時計を買ってきたという噂は、またたく間に村中へと広がります。すると村人たちは男の家に押しかけ、珍しい形をした時計を口々に褒めそやしたのでした。けれども不思議なことに、村の二つの時計は三十分ばかり時間が違っていたのです。

 二人の金持ちは、互いに「自分の時計が正しい!」と言って(ゆず)りません。この対立は村人たちを巻き込みます。今まで平和だった村が、時計のために二つに分かれてしまいました。時計は神様のようになってしまったのです。

 「今夜六時より!」という村の集まりにも、一方は早く集まりますが、もう一方のほうは三十分遅れてやって来ます。互いに自分の時計の時間が正しいと思っていますから、双方の言い争いは絶えませんでした。そのうち、―――乙のほうの時計が壊れてしまいます。

 乙のほうの村人たちは、時間が分からなくなってしまいました。だからといって今まで争っていた甲のほうに行って時間を聞くこともできません。甲のほうは(これでこちらの時間に従う筈)と考え、村の相談のときは「今夜六時より!」と乙のほうに通知をしました。

 けれども、時計を持たなくなった乙のほうの村人たちは、六時がいつか分かりません。結果的に時計が二つあったときよりも、一つになったほうが村のまとまりがつかなくなってしまったのです。そんなある日、―――甲のほうの時計も壊れてしまいました。

 双方ともに時計が壊れてしまったのですから、乙のほうも甲のほうも新しい時計を買い求める気持ちが起こらなくなります。村はいつしか、時計のなかった昔の状態に戻ったのです。村人たちはまた太陽の上りぐあいを見て、時刻を計るようになりました。

 時計が壊れても、太陽は決して壊れたり、狂ったりすることはありません。村人たちは「お天道(てんとう)さまさえあれば、たくさんだ。」と言い、初めて太陽を有難がるようになります。そして村人たちはいつとなく、昔のように一致し、村は平和に治まったのでした。

青空文庫 『時計のない村』 小川未明
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『時計のない村』【解説と創作の社会的背景】

 それまで時計のなかった村に、一人の金持ちが時計を買ってきます。現代でも同じですが、金持ち=村の実力者です。金持ちにとって時計は、村人たちを管理する道具であると同時に、村人たちの心を掌握するための道具でもありました。

 ところが、このことを快く思わないもう一人の金持ちが時計を買い求めたことで、両者は争うことになり、村人たちは分断されてしまいます。このとき時計は「神様」のようになりますが、つまり崇拝する対象になったという意味で、個人的には宗教的な争いを連想してしまいます。

 結果的に二つの時計が壊れることで村はかつての平和を取り戻しますが、そこには作者の「近代化によって起る格差への否定」が込められています。『時計のない村』が書かれた大正時代は、いわゆる「社会主義思想」が時代を席巻していました。

 それは当時の文学者をも巻き込み、流行現象のようになります。小川未明も例外ではなく大正9(1920)年12月、社会主義者の統一組織として結成された「日本社会主義同盟」の創立発起人を務めています。

 『時計のない村』が、大正10(1921)年1月に発表されたことは前述しましたが、ちょうど時を同じくして小川未明は、『時事新報』に「此意味の羅曼主義」という随筆を掲載しています。この随筆に当時の思想を(うかが)い知ることができます。

街頭を散歩する時、漫然(まんぜん)一種の反抗と憎悪とを覚えるのは、何故かと考へる時、(それ)は、世の中は段々と文明に(おもむ)いて行くにも(かかわ)らず、それが為に人類の生活は決して進歩してやしないという事だ。否寧ろ反って文明の為に、処を同じくし、時を同じくして生存する人々の間に生活が著しく懸隔(けんかく)を生じて来ているという事だ。

※漫然(まんぜん) とりとめのないさま。ぼんやりとして心にとめないさま。漫焉(まんえん)
※懸隔(けんかく) 二つの物事が大きく違っていること。かけ離れていること。また、場所がへだたっていること。へだたり。隔絶。玄隔。

不老不死の薬が発見され、癌の新治療法が工夫され、(たと)へ一時間に幾百哩を疾走する急行列車が出来てもそれ等が極めて低廉(ていれん)な費用にて行われない限り、一般民衆には何等の幸福をも(もたら)しはしない。寧ろ生活の懸隔が出来る計りだ。これは原始時代にはなかつた現象だ。

※低廉(ていれん) 金額が安いこと。また、そのさま。安価。廉価。

人類平等の幸福を外にして、人類の進歩はない訳ではないか。私は昔の民族生活に憧れる牧歌精神を(りょう)とする。未来をかけて、何者かを翹望(ぎょうぼう)する見込みがなかったら、今日の生活の不平等を来した物質文明を呪詛(じゅそ)し、都会を憎悪し、機械を呪う彼等の精神を諒とする。

「此意味の羅曼主義」(『時事新報』大正一〇年一月十九日)

※牧歌精神(ぼっかせいしん) 牧歌(牧童などのうたう歌)のように素朴で叙情的な精神。
※諒(りょう) 明白なこと。真実。まこと。
※翹望(ぎょうぼう) 首を長くのばして待ち望むこと。その到来を強く望み待つこと。翹首。

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あとがき【『時計のない村』の感想を交えて】

 本ブログの冒頭で、「格差と分断」について書きましたが、まさに『時計のない村』は童話ながらも人間社会の本質を鋭く突いた作品と言えるでしょう。村には最初から「持てる者と持たざる者」という「格差」がありました。

 当然ながら「持てる者」に「持たざる者」は従います。そしてこの「持てる者」が複数存在したがために、平和だった村は「分断」してしまいます。現代社会においても、このような「分断」が多く散見されるようになりました。

 特にSNSという空間ではそれが顕著です。そもそも一人一人考えが違って当たり前なのに、自分と違う考えを認めず他者を攻撃したりします。またそれに乗っかる人間もいて「分断」を煽ったりします。

 文明を捨てて縄文時代のような生活に立ち返るわけにはいきませんが、一人一人が他者の考えを尊重するようになれば、少しでも世の中は良い方向に向かうと思うのですが……。

 ともかくとし文明はわたしたちに「恩恵」をもたらすものの、同時に「弊害」をもたらすことを忘れてはいけません。

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