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小川未明『野ばら』あらすじと解説【友情を引き裂いた戦争!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【対岸の火事】

 今この瞬間も地球上のどこかで国境をめぐる紛争が起きています。我が日本という国は島国です。ですから陸上に国境は存在しません。けれども、海上には国境が存在し、近隣諸国とのあいだで現在も火種が燻り続けています。

 ですが、わたしたちはどこかで「対岸(たいがん)の火事」的な思考をしているところがあります。よく「日本人は平和ボケをしている。」という言葉を耳にしますが、全くそのとおりで返す言葉がありません。

 ちなみに「対岸の火事」とは(川向こうの火事は自分に災いをもたらす心配がないことから)当事者にとっては苦痛や災難だとしても、こちらには関係なく、少しも痛みを感じない物事の例えです。

 仮に「対岸の火事」だとしても気象条件いかんでは、火の粉が飛んでくる可能性だってあるのです。―――どうしたら紛争はなくなるのでしょうか。それは人類にとって永遠の課題と言えるでしょう。

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小川未明『野ばら』あらすじと解説【友情を引き裂いた戦争!】

小川未明(おがわみめい)とは?

 小川未明(本名・小川健作)は、大正・昭和期の小説家、児童文学作家です。(1882~1961)
小川未明は新潟県中頚城(なかくびき)郡高城村(現・上越市幸町)に生まれます。

 東京専門学校(現・早稲田大学)英文科在学中、坪内逍(つぼうちしょう)(よう)の指導を受け、処女小説『(あられ)(みぞれ) 』 (1905) で文壇にデビューします。またこの頃、逍遙から「未明」の雅号をもらい、「小川未明」という名前で執筆を始めます。

 その後は、短編集『愁人』『緑髪』『惑星』を次々と刊行していきます。大正期に入ってからの未明は社会主義的な傾向を強めていきます。また、この時期に創刊された『赤い鳥』なども影響し、童話も盛んに書くようになっていきます。

※ 『赤い鳥』 鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌

 大正15/昭和元(1926)年、『未明選集』全6巻の刊行を機に、童話作家として専念することを決意します。以後、『牛女』『赤い蝋燭(ろうそく)と人魚』『野薔薇』『考えこじき』など、数々の名作を描き続けました。

 昭和36(1961)年5月11日に脳出血のため東京都杉並区高円寺南の自宅で死去します。(没年齢・79歳)

   小川未明

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坪内逍遙(つぼうち しょうよう)とは?

 坪内逍遙(本名・坪内勇蔵)は明治から昭和前期の小説家、劇作家、評論家です。(1859~1935)

 坪内逍遙は、安政6年5月22日(1859.6.22)、美濃国太田村(岐阜県美濃加茂市)の尾張藩代官所役人の家に生まれます。東京大学文学部政治科を卒業し、後に早稲田大学の前身である東京専門学校の教授となります。この頃に小川未明が生徒となり指導をします。

 文芸誌『早稲田文学』(1891)の創刊、シェークスピアの研究・翻訳、また文芸協会を主宰して演劇運動にも尽力するなど、日本近代文学、演劇の発展史に大きな功績を残します。

 昭和10(1935)年2月28日、感冒に気管支カタルを併発し、死去します。(没年齢・75歳)

   坪内逍遙

童話『野ばら』について【時代背景】

 小川未明の『野ばら』は、『大正日日新聞』大正9(1920)年4月11日夕刊に『おとぎばな志野薔薇』のタイトルで発表されていますが、ストーリーそのものは現在の『野ばら』と全く同じです。

 作品が書かれた時代背景を踏まえると、大正3(1914)年から約4年間にわたり、ヨーロッパを中心に行われた第一次世界大戦(1914年7月28日~1918年11月11日)が終わります。

 けれども当時の日本は、大正7年以降のシベリア出兵(1918~1925)、大正8年の朝鮮独立運動(三・一独立運動)、5月の中国反日・反帝国主義運動(五・四運動)、大正9年3月のロシアで起きた大規模な日本人虐殺事件(尼港事件)等、アジアにおいて不安定な情勢に置かれていました。

 このような時代背景の中、小川未明は、戦争の無い平和な世の中を願うべく『野ばら』という作品を書き上げたのです。

『野ばら』あらすじ(ネタバレ注意!)

 隣り合っている二つの国がありました。一つの国は大きく、もう一つの国はそれよりも少し小さな国です。国境には両方の国から兵士が一人ずつ派遣され、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人で小さな国の兵士は青年です。

 二人は最初、言葉を交わすこともありませんでした。けれどもいつしか仲良しになります。国境には一株の野ばらが茂っていました。野ばらには朝早くからミツバチが集まって来ます。その羽音(はおと)を合図に二人はいつも起きるのでした。

 そのうち二人は毎日将棋を指すようになります。青年は初心者でしたが老人に教わり、いつの間にか対等に指すようになっていきます。しまいには老人が負かされることもありました。二人とも正直で親切な人間です。将棋盤の上では争っても心は打ち解けていたのです。

 老人は言います。―――「苦しくてかなわない。これが本当の戦争なら、どんなだかしれん。」小鳥は(こずえ)の上で歌をうたい、白いバラの花は良い香りを送ってきました。

 冬になり寒くなると、老人は、家族が暮らす南の故郷を恋しがり「早く暇をもらって帰りたいものだ。」と、口にするようになります。そんな老人に青年は言います。

 「代わりに来る人があなたのような親切で優しい人ならいいですが、敵、味方というような考えを持った人だと困ります。どうかもうしばらくいて下さい。そのうち春がきます。」

 やがて冬が去り春となった頃、この二つの国は戦争を始めました。仲(むつ)まじく暮らしていた二人の間柄は(かたき)同士になったのです。老人は「私の首を持って行けばあなたは出世できる。だから殺して下さい。」と、青年に言いました。

 けれども青年は「どうして私とあなたが敵でしょう。戦争は北のほうで開かれています。私はそこへ行って戦います。」と、老人に言い残して去ってしまいました。こうして国境には老人だけがただ一人残されたのです。

 野ばらの花が咲きミツバチが群がってきます。老人はこの日から青年の身を案じながら日々を過ごすようになっていきました。ある日のこと、国境を旅人が通ります。老人は戦争について訊ねました。

 旅人は「小さな国が負けてその国の兵士は皆殺しになった。」と、老人に告げます。老人は青年が死んだと思い、石碑の(いしずえ)に腰をかけてうつむいていました。すると、いつしか知らず、居眠りをしていたのです。

―――彼方から一列の軍隊が歩いて来ます。そしてそれを指揮するのは馬に乗ったあの青年です。やがて老人の前を通るとき、青年は黙礼をして、バラの花を嗅いだのでした。

 老人が何か言おうとすると目が覚めます。それは夢だったのです。それから一か月後、野ばらは枯れてしまいました。その年、老人は暇を貰い、南のほうへと帰って行ったのです。

青空文庫 『野ばら』 小川未明
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『野ばら』【解説と個人的な解釈】

 国境の石碑を守るため、両方の国から派遣されてきた老人と青年でしたが、いつしか二人の心の絆は硬く結ばれていきます。けれども戦争によりその絆は絶たれてしまいます。

 二人の心の結びつきがどれほど強いものであったかは、老人が青年に「私の首を持って行けばあなたは出世できる。」と、言ったことから察することができます。青年もまた「あなたは敵ではない。」と、言い残し戦地へと赴いてしまいます。

 このとき “ どうして老人は青年を引きとめなかったのか? ” といった疑問が残ります。現代なら友情を取り二人で身を隠すという選択も考えられるでしょうが、二人はあくまで国家に属す兵士であり、国のために戦争に行くのが当然といった共通認識があったからです。

 結果的に青年の国は敗れ兵士が皆殺しになったと老人は旅人から聞かされます。そして老人の夢の中に亡くなったと思われる青年が現れます。それは死してもなお老人を慕う青年の心の現れと言えるでしょう。と同時に、青年の死を哀れむ老人の心境が垣間見えます。

 一か月後、野ばらは枯れ、老人は故郷に帰って行きます。どこかで(青年が生きて帰って来るかもしれない)と信じていた老人の心も、野ばらが枯れたことで自然の摂理、生命の儚さ、そして戦争の愚かさを悟ったのかもしれません。

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あとがき【『野ばら』の感想を交えて】

 冒頭でわたしたちは「対岸の火事」的な思考をしていると書きました。が、それは戦争だけに限ったことではありません。普段目にする事件や事故、そして災害に関しても同様です。

 どこかで違う世界のはなし、まるでテレビドラマでも見ているような感覚で物事を捉えがちです。現実から眼を逸らしたくなる気持ちも理解できます。火の粉から自分の身を守るだけで精一杯なのかもしれません。

 けれども、(もしも自分がその立場に置かれたら?)といった想像をしておくことも無駄にはならないでしょう。結果的にその想像が自分を守ることに繋がるかもしれないのですから。

 さて、『野ばら』に登場する老人と青年の運命は、戦争という自らが判断を下すことのできない行為によって左右されます。半ば諦めにも似たような境地で青年は戦地へと向かい、老人はそれを見送ります。

 とかく人間の運命というものは外的な要因で翻弄されるものです。ちっぽけな一個人では(あらが)うことは難しいでしょう。けれども大多数の人間が平和な世の中を望んでいることだけは確かです。

 未明はこの作品を通して、友情と信頼の大切さ、とりわけ戦争のない平和な世界の希求(ききゅう)をわたしたちに促しているのでしょう。野ばらが枯れてしまわないように。

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