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新美南吉『花のき村と盗人たち』あらすじ【美しい心は人を救う!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【「SDGs」11番目の目標について】

 昨今、国連が掲げる持続可能な開発目標(略称・SDGs)が頻繁にメディアに取り上げられるようになり、「環境問題」への注目度が急速に高まってきています。

 「環境問題」と言うと、どうしても気候変動対策などの自然環境に目がいきがちですが、SDGsの17の目標の11番目には、「住み続けられるまちづくりを(Sustainable Cities and Communities)」といったものもあります。

 つまり、人間が安心・安全に暮らせるような社会を理想としているわけですが、あくまでそれは理想で現実問題厳しいと言わざるを得ないでしょう。実現するには全ての人々が幸福にならなければいけないという前提があるのですから・・・。

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新美南吉『花のき村と盗人たち』あらすじ【美しい心は人を救う!】

新美南吉(にいみなんきち)とは?

 新美南吉(本名・新美正八)は、日本の児童文学作家です。(1913~1943)
大正2(1913)年7月30日、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に畳屋の次男として生まれます。幼い頃に母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子供時代を送ります。

 中学時代から童話を書き始め、特に北原白秋には強い影響を受けて、童話・童謡同人誌の『赤い鳥』や『チチノキ』などに投稿します。その後、東京外国語学校に進学しますが、在学中に病(結核)を患います。

 20代後半の5年間は安城高等女学校(現・県立安城高等学校)で教師をしながら創作活動を続けていましたが、体調が悪化してしまい、安城女学校を退職します。退職後はほとんど寝たきり状態になり、昭和18(1943)年、29歳という短い生涯を終えます。

 『ごんぎつね』『おじいさんのランプ』『手袋を買いに』を始めとして、多くの童話・小説・詩などの作品を残しています。地方で教師を務め、若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多く、「北の賢治、南の南吉」と、呼ばれています。

     新美南吉

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童話『花のき村と盗人(ぬすびと)たち』について

 『花のき村と盗人たち』は、鈴木三重吉主宰の『赤い鳥』に発表されます。没後の昭和18(1943)年、童話集が3冊刊行され、同タイトルの第三童話集『花のき村と盗人たち』に収録されます。

『花のき村と盗人たち』あらすじ(ネタバレ注意!)

 花のき村に、五人組の盗人(ぬすびと)がやって来きました。花のき村は見るからに平和そうな村です。ですから盗人たちは、(こんな村には、お金やいい着物を持った家があるに違いない)と喜んだのでした。

 五人の盗人と言っても以前から盗みを働いていたのは親方だけです。他の四人は昨日まで、釜師(釜を作る職人)、錠前屋(じょうまえや)(鍵を作る職人)、大工、(かく)兵衛(べえ)獅子(じし)(獅子舞の大道芸)といった仕事をしていて、盗人としては新米でした。

 親方はそんな四人に村の下見を命じて、自分は、川ばたに腰を下ろし、煙草を吸い始めました。そしてこう思います。(親方とはなかなかいいもんだわい。仕事は弟子どもがしてくれるから、こうして寝転んで待っていればいい)

 やがて弟子たちが戻って来ました。けれども根が善良な弟子たちは、そろって的外れな報告をします。それぞれ前の職業の癖や根性から抜け出せないのです。そんな弟子たちを親方は叱りつけ、盗人根性を説いて、もう一度下見に行かせるのでした。

 突然、大勢の子供たちの声が聞こえてきました。見ると子供たちは盗人ごっこをしています。「盗人ごっことはよくない遊びだ。先が思いやられる。」と、親方は自分が盗人のくせに、そんなひとり言を言いながら草の中に寝転がろうとしました。

 その時、後ろから「おじさん。」と声をかけられます。ふり返って見ると、子牛を連れた可愛らしい男の子が立っていたのです。その男の子は、まるで旅人かのように草鞋(わらじ)を履いていました。

 「この牛、持っていてね。」その男の子は親方に手綱(たづな)を預けると、盗人ごっこをしている子供たちの後を追いかけて行ってしまったのです。親方は、笑いがこみ上げてきます。(これで弟子たちに自慢ができる)

 ところが今度は涙が流れてきて止まりません。親方は嬉しかったのです。今まで自分は、人から冷たい眼でばかり見られてきました。みんなが自分を嫌い、信用してはくれなかったのです。

 それなのに草鞋を履いた男の子は、盗人の自分に子牛を預けてくれました。人に信用されるというのは、何という嬉しいことなのでしょう。このとき親方は美しい心になっていました。眼から涙が流れて止まらないのはそういうわけなのです。

 親方は男の子が来たら、(心よく子牛を返してやろう)と考えていました。けれども夕方になっても帰って来ません。そこへ弟子たちが戻って来て、「今度は盗みに入れそうな家を見つけてきた!」と、意気込んで言いました。

 そして、子牛を見た弟子たちは、「さすが親方だ。もう一仕事しちゃったんだね。」と褒めたてます。ところがそんな弟子たちに親方はわけを話し、「すまねえが、手わけして預けた子供を探してくれねえか。」と頼んだのでした。

 夜の村を、子牛を連れた五人の盗人が、男の子を探して歩き回りました。けれどもどんなに探しても見つかりません。残る方法は村役人(現代の駐在巡査のようなもの)に届け出るくらいです。親方は、「そこへ行こう。」と言いました。

 村役人の家に行くと、現れたのは人の()さそうな老人でした。村役人は、「この辺りで見られぬ顔だが、まさか盗人ではあるまいの?」と言いました。親方はあわてて、「わしらは旅の職人で西の方へ行く者です。」と答え、子牛を連れて来た理由を話しました。

 村役人は、「変なことを申してすまなかった。盗人が物を返すわけがないでの。役目だから。」と謝り、子牛は預かってくれることになりました。そして、「旅で皆さんお疲れじゃろ。」と言い、五人の盗人に酒などをご馳走してくれたのです。

―――親方の眼からまた涙が流れてきました。それから五人の盗人は、お礼を言って村役人の家を出ます。ところが親方は立ち止まり、「忘れ物がある。お前らも一緒に来い。」と言い、もう一度村役人の家を訪ねたのでした。

 親方は、善良な村役人に、「わしらは実は盗人です。」と言い、今までの悪事を全部白状してしまったのです。そして、「これらは昨日弟子になったばかりで、まだ何も悪いことはしておりません。お慈悲で、どうぞこれらだけは許して下さい。」と懇願したのでした。

 次の朝、親方以外の四人は、花のき村から、それぞれ別の方へと出て行きました。彼らは最後に親方が言った、「盗人にはもう決してなるな!」という言葉を守ろうと心に決めたのでした。

 その後、花のき村の人々は、村を盗人の難から救ってくれた男の子を探しました。けれども結局見つからず、「昔からある小さな地蔵さんだろう。」ということになりました。村人たちはその地蔵に、よく草鞋を供えていたからです。

 花のき村の人々が皆、心の善い人々だったので、地蔵さんが盗人から救ってくれたのです。そうだとすれば、村というものは、心の善い人々が住まなくてはいけないということになるのでしょう。

青空文庫 『花のき村と盗人たち』 新美南吉
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あとがき【『花のき村と盗人たち』の感想を交えて】

 冒頭、SDGs11番目の目標、「住み続けられるまちづくりを」について軽く触れましたが、外的な要因よりも先ずは、そのまちに暮らす人々の意識が大切なのだと、『花のき村と盗人たち』は教えてくれているような気がします。

 無論、そこかしこに落とし穴のある現代社会で、他人を信じるということは容易ではないでしょう。わたし自身も人を信じた挙句に騙された経験があります。一時期は人間不信にも陥りました。

 けれどもあるとき、気付いたことがありました。「自分自身は人を(あざむ)こうとしたり、人より優位な立場に立とうとしたことはなかったか?」と・・・。時間が経ったから言えることですが、そんな自分が騙されるのは当然のことです。

 人は「環境」に左右されるものです。もしも盗人の親方が、花のき村に生まれていたら違った人生を生きたでしょう。やはり「格差や差別のない社会づくり」が大事なのでしょうね。もっとも理想を利権にすることは許せませんが。

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