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新美南吉『花をうめる』を読み、美しい記憶を呼び覚まそう!

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【少年の頃、砂浜での思い出】

 大人になってから子供の時分をふり返ってみると、(どうしてあんなもの、あんなことに夢中になっていたのだろう)と、思うことが多いものです。きっとそれは、わたしだけではなく、誰にも心当たりがあることでしょう。

 子供の頃に住んでいた家は海の見える場所にあって、わたしの遊び場所と言えば、もっぱら海と砂鉄混じりの砂浜でした。そこで、波打ち際に光る小さな小石を拾い集めては、後生大事に隠し持っていたのです。

 今思えば、それはガラスの破片が波で摩耗され、石のようになったもののような気がします。けれども、わたしはそれを本気で宝石だと信じていたのです。ある日、その中でも飛びっきり綺麗で七色に光り輝く “ 宝石 ” を、当時好きだった女の子にプレゼントしたのです。

 その女の子は、宝石に負けず劣らずの輝いた笑顔で、わたしに「ありがとう。ずっと大切に持っているわ。」と、言ってくれました。その後、女の子は違うクラスになり、中学も別の学校に進んでしまい、わたしとは疎遠になってしまいました。

 集めていた宝石も、いつの間にか、手元から無くなって消えていました。でも、あの女の子の笑顔の記憶は、今でもふとした瞬間に、よみがえることがあります。

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新美南吉『花をうめる』を読み、美しい記憶を呼び覚まそう!

新美南吉とは?

 新美(にいみ)南吉(なんきち)(本名、新美正八、1913年-1943)は、日本の児童文学作家です。大正2年7月30日、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に畳屋の次男として生まれます。幼い頃に母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子供時代を送ります。

 中学時代から童話を書き始め、特に北原白秋には強い影響を受けて、童話・童謡同人誌の『赤い鳥』や『チチノキ』などに投稿します。その後、東京外国語学校に進学しますが、在学中に病(結核)を患います。

 20代後半の5年間は安城高等女学校(現・県立安城高等学校)で教師をしながら創作活動を続けていましたが、体調が悪化してしまい、安城女学校を退職します。退職後はほとんど寝たきり状態になり、昭和18年(1943年)、29歳という短い生涯を終えます。

 『ごんぎつね』『おじいさんのランプ』『手袋を買いに』を始めとして、多くの童話・小説・詩などの作品を残しています。地方で教師を務め、若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多く、「北の賢治、南の南吉」と、呼ばれています。


    新美南吉

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『花をうめる』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公(新美南吉本人と思われる)は、子供の頃に夢中になった遊びがありました。その遊びは、誰が創案したのか分かりません。もしかしたら、主人公の周りだけで行われていた遊びなのかもしれません。

 その遊びというのは、ふたりいればできる遊びです。かくれんぼのように鬼を一人決め、鬼が目をつぶっている間に、片方の一人が道端や畑に咲いている花を摘んできます。そして、地面に盃ほどの穴を掘り、摘んできた花を入れ、硝子の破片でふたをし、上から砂をかけます。



 そして「もうよし!」の合図と同時に、鬼は目を開け、花の隠されている穴の場所を探すといった、とても単純な遊びでした。主人公たちは、何故このような単純な遊びに夢中になったかと言うと、それは勝ち負けへの興味ではなく、土の中に隠された一握りの花の美しさにあったのです。

 砂の上を探る指先に硝子の感触が伝わると、ほんの少しだけ砂をどけて、硝子を通して、小さな穴の中を覗きます。するとそこには、まるでおとぎ話か、夢の世界かのような小さな別天地が広がっているのでした。



 この遊びをするのは夕暮れ時です。木登りをしたり、草の上を跳びまわったりして疲れてきた頃に始まるのです。誰もがこの遊びを好むわけではありません。でも、大抵の女の子は好きでした。主人公はひとりでも、よくこの遊びをしていました。

 けれども、ひとりでこの遊びをした後は、寂しさだけが残りました。また、家に帰る前に、美しい作品をひとつだけ、土中に埋めたまま帰ることもありました。そんな土中の小さな花のかたまりは、主人公だけの秘密で、お母さんにも話したことはありません。

 ある日の夕暮れ時、とある常夜灯の下で、主人公は同じ年齢の林太郎とツルの三人、この遊びをしていました。ツルは花を上手にあしらい、美しい世界を創り出します。主人公はそんなツルに微かな恋心を抱いていました。



 その日の最後の遊びは、主人公が鬼でした。ところが、主人公がいくら探して見ても、花の隠し場所は見つかりません。とうとう、降参してしまいます。そんなとき、いつもならツルが隠し場所を教えてくれるのですが、この日は教えてくれず「明日探しな」と、言いました。

 主人公はその日、大人しく帰りましたが、それ以後は、たびたび思い出しては、常夜灯の下の、花の隠し場所を探しに行くようになります。ひとりが寂しいときでも、ツルの隠した花があるというだけで、主人公を元気づけるのでした。

 ところがある日、そんな現場を林太郎に見られてしまいます。そして、実はあの日、ツルは花を隠していなかったことが判明します。主人公は、心についていたものが、取り除かれたような気がして、なぜかしらほっとするのでした。

―以下原文通り―

 それからのち、常夜燈の下は私にはなんの魅力もないものになってしまった。ときどきそこで遊んでいて、ここには何もかくされてはないのだと思うとしらじらしい気持ちになり、美しい花がかくされているのだと思いこんでいた以前のことをなつかしく思うのであった。



 林太郎が私に真実を語らなかったら、私にはいつまでも常夜燈の下のかくされた花の思いは楽しいものであったかどうか、それはわからない。

 ツルとはその後、同じ村にいながら長いあいだ交渉をたっていたが、私が中学を出たときおりがあって手紙のやりとりをし、あいびきもした。

 しかし彼女はそれまで私が心の中で育てていたツルとはたいそうちがっていて、普通のおろかな虚栄心の強い女であることがわかり、ひどい幻滅を味わったのは、ツルがかくしたようにみせかけたあの花についての事情と何か似ていてあわれである。


 青空文庫 『花をうめる』 新美南吉
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あとがき【『花をうめる』の感想も交えて】

 昨年のはなしですが、中学時代の同級生と飲む機会があり、そのとき『初恋』のことが話題に上りました。その同級生は、約二十年ぶりに再会した初恋相手のはなしを持ち出して「すっかり変わってしまって、良い思い出も一瞬で覚めたよ。」と、言いました。

 続けて「会わなきゃよかった。やれやれ」なんて、酔いにつれ、幾度となく愚痴をこぼす始末です。この同級生と、『花をうめる』の主人公の思いは、似ているようですが、全然違うものです。

 同級生の場合は、外見のことを言っているのに対し、物語の主人公は、再会して交際まで発展したツルのことを、「普通のおろかな虚栄心の強い女であることがわかり、ひどい幻滅を味わった」と、内面のことを語っています。

 外見と内面、どちらが変わっていたほうがショックなのかは、その人間次第です。ひとつ言えるとすれば、良い記憶とは美化されるものであるということだけです。同級生もそうでしょう。ましてや『花をうめる』の主人公は、硝子越しの美しい花と重ねて見ていたのですから。

 わたしも『初恋』のはなしをしました。幸いにも、石をプレゼントした女の子と、中学の同級生とは接点がありませんでした。同級生は言います。
 「絶対に、再会するなよ!」と。

 わたしは、うんうんと頷いていましたが―――実は十年くらい前に一度再会し、向こうのほうから「綺麗な石をくれたよね?」と、言われたことは内緒にしておきました。

 なにはともあれ、美しい記憶は人生の養分です。大切にしたいものですね。

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