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新美南吉『おじいさんのランプ』【時代の変化と迫られる決断!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【日々変化する社会情勢】

 前に、夏目漱石の講演録『現代日本の開化』の要約をブログで紹介し、日本の明治時代―――「開化」という名の変革期について書きました。確かに当時の時代の流れは、激流の如くと言えるでしょう。

 とは言え、比較できるものではありませんが、現代の社会情勢の変化やスピードの速さも相当のものです。携帯電話がスマートフォンに置き換わったように、わたしたちの暮らしや環境は日々変化しています。

 当然のように、変化やスピードに取り残されていく人たちも出てきます。自分で商売をしている人なら尚更、深刻な状況へと追い込まれていくことでしょう。新美南吉は、『おじいさんのランプ』という童話を通じて、ひとつの指針を示してくれています。

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新美南吉『おじいさんのランプ』【時代の変化と迫られる決断!】

新美南吉(にいみなんきち)とは?

 新美南吉(本名、新美正八)は、日本の児童文学作家です。(1913-1943)
大正2(1913)年7月30日、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に畳屋の次男として生まれます。幼い頃に母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子供時代を送ります。

 中学時代から童話を書き始め、特に北原白秋には強い影響を受けて、童話・童謡同人誌の『赤い鳥』や『チチノキ』などに投稿します。その後、東京外国語学校に進学しますが、在学中に病(結核)を患います。

 20代後半の5年間は安城高等女学校(現・県立安城高等学校)で教師をしながら創作活動を続けていましたが、体調が悪化してしまい、安城女学校を退職します。退職後はほとんど寝たきり状態になり、昭和18(1943年)年、29歳という短い生涯を終えます。

 『ごんぎつね』『おじいさんのランプ』『手袋を買いに』を始めとして、多くの童話・小説・詩などの作品を残しています。地方で教師を務め、若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多く、「北の賢治、南の南吉」と、呼ばれています。

     新美南吉

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童話『おじいさんのランプ』について

 『おじいさんのランプ』は新美南吉の児童文学です。昭和17(1942)年、新美の生前、唯一刊行された童話集『おぢいさんのランプ』に収載されます。ちなみに南吉の郷里、愛知県半田市の岩滑(やなべ)新田(しんでん)が舞台になっています。

『おじいさんのランプ』あらすじ(ネタバレ注意!)

 かくれんぼをしていた東一(とういち)少年は、(くら)の中から珍しい形をしたランプを見つけます。友達とそのランプに見入っていると、おじいさんが、「黙って遊ばせておけば何を持出すやら、油断もすきもない!」と、少年たちを𠮟(しか)りつけたのでした。

 日が暮れると、東一は家に帰って来ます。居間の隅には、あのランプが置かれていました。夕ご飯のあと、東一はこっそりとランプをいじります。するとまた、おじいさんに見つかってしまいます。けれども今度は、おじいさんは叱らずに、自分自身の昔話を語り始めたのでした。

 五十年くらい前、ちょうど日露戦争の頃です。岩滑(やなべ)新田(しんでん)(現:愛知県半田市)の村に、巳之(みの)(すけ)という十三歳の少年がいました。巳之助は、両親も親戚もいない、全くの孤児です。ですから村の雑用を何でもこなし、何とか村に置いてもらっていました。

 夏のある日、巳之助は、人力車()きの手伝いを頼まれます。慣れないことで大変苦しい仕事でしたが、村を一歩も出たことがなかった巳之助にとっては、苦しさよりも好奇心でいっぱいでした。

 人力車は大野(現:愛知県常滑市)の町に入ります。その町で巳之助は色々な物を始めて目の当たりにします。その中で一番巳之助を驚かせたのは、商店の一つ一つを灯している花のように明るい―――ガラスのランプだったのです。

 巳之助の村では、夜は暗闇の中で過ごす家が多く、少し裕福な家でも行燈(あんどん)を使っていました。けれどもどんな行燈にしてもランプの明るさにはとても及びません。巳之助にとって大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明るく感じられたのです。

 人力車牽きと別れた巳之助は、美しいランプに見とれて、町をさまよっていました。すると、ランプを売っている店を見つけます。巳之助は店の人に、「ランプ売りとして生計を立てたい。だから卸値(おろしね)で売ってくれ。」と、頼みこみます。

 最初は渋っていた店の人も、巳之助の真剣な様子と、身の上話を聞いたうえでこの申し出を了承します。巳之助の胸の中にもう一つのランプが(とも)ります。(村人たちの生活を明るくしてやろう!)という希望のランプが―――。

 当初流行らなかった巳之助の商売も、徐々に軌道に乗り、流行っていきます。ランプ屋として成功した巳之助は、自分の家を建て、妻を(めと)りました。あるとき、自分が文盲であることを恥じた巳之助は、区長さんから文字を教えてもらい、書物を読むことを覚えます。

 やがて二人の子供にも恵まれた巳之助は幸福の絶頂でした。そんなある日、巳之助は仕入れのため、大野の町に行きます。すると道の脇には等間隔で高い柱が建てられていました。町には新たに電気というものが引かれていたのです。

 大野の町で電灯を見た巳之助は、その明るさに驚愕(きょうがく)します。その日から巳之助は、自分の村に電気が引かれることを恐れるようになります。けれども間もなく、村にも電気を引くという話が持ち上がりました。自分の商売を失いかねない巳之助は強固に反対をします。

 結局、村への電気の導入が決まります。巳之助は村会で議長を務めた区長さんを逆恨みし、区長さんの家に火を放とうとしました。けれども放火しようにも、マッチを探せず、代わりに火打(ひうち)(いし)を持ってきたため、一向に火はつきません。

 巳之助は舌打ちをし、「古くさい物は、いざというとき間に合わねえ……。」と、ひとり言を言いました。その瞬間、巳之助は自分の過ちに気が付きます。電灯が出現し、ランプは古い道具になったのです。(古い商売に執着し、逆恨みで火を放つなど何という見苦しいことを……)

 巳之助は家に引き返すと、五十くらいあった売り物のランプに灯油を注ぎ、車にそれらを積んで、持ち出します。それから人気ひとけのない半田池に行き、全てのランプに火を灯してから、池の岸に立つ木々にそれをぶら下げたのでした。

 そして巳之助は、泣きながらランプに向けて石を力いっぱい投げつけます。パリーンと音がして火が消えました。こうしてランプに別れを告げた巳之助は、今までの商売を廃業し、町に出て本屋を始めます。

 巳之助というのは東一のおじいさんのことでした。そして東一が倉で見つけたランプは、唯一残ったランプだったのです。おじいさんは東一にこう言います。

 「わしの商売のやめ方は、なかなか立派だったと思うよ。古い商売が役に立たなくなったら、すっぱりそいつを捨てるのだ。いつまでも古い商売にかじりついていたら、昔のほうが良かったと言ったり、時代を恨んだりするものだから。」

青空文庫 『おじいさんのランプ』 新美南吉
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html


『おじいさんのランプ』解説【日本の照明器具の歴史】

 古代から焚火(たきび)が照明器具の役割を果たしていました。それが奈良時代、仏教の伝来とともに蝋燭(ろうそく)が輸入されます。けれども当時は大変な貴重品で、一部の王族や貴族しか使っていませんでした。

 「蝋燭」が庶民にまで行きわたるようになったのは、時代をずっと下って江戸時代になってからです。と同時に行燈(あんどん)が普及していきます。とは言え、それも武士や裕福な家だけで、当時の一般庶民にとって囲炉裏(いろり)が唯一の明かりでした。

 明治時代になると、開国とともに「石油ランプ」が輸入されるようになります。この頃、「ガス燈」が出現し、主に街路灯や門灯として使用されます。明治11(1878)年、日本初の「アーク灯」が点灯します。

※アーク灯 炭素の電極二つの間に電圧をかけたとき起こる放電による光を用いた電灯。

 その後、「発熱電球(白熱灯)」が実用化され、日本各地に「電気」が引かれていきます。『おじいさんのランプ』はこの頃の時代を反映させた作品です。けれども山奥の集落まで電気が届くのはずっと先のこと、昭和40(1965)年頃になってからでした。

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あとがき【『おじいさんのランプ』の感想を交えて】

 現代を生きるわたしたちにとって照明は欠かせぬものとなっています。かつては人々の暮らしを明るくするだけに使われていた光も、いまや芸術や娯楽の分野でも異彩を放ち続けています。

 光が鮮烈になればなるほど、影は色濃くなっていくものです。童話『おじいさんのランプ』の主人公・巳之助は、一度はこの光に照らされたものの、そのスピードの速さに置いていかれ、やがては影に覆われそうになります。

 けれども巳之助は、そこですっぱりと新たな光を求めることにします。自分自身で商売をしていなくても、このような状況に追い込まれることも多々あります。わたし自身、勤めていた会社が倒産したこともありました。

 今考えて見れば、不測の事態だったかと言うと、そうとは言い切れません。明らかに予兆はあったのです。自分次第で人生における選択肢は無限になります。ひとつの物事に固執することは、この選択肢を狭めます。

―――と、あの頃の自分に言い聞かせたいものです・・・。

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