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新美南吉『手袋を買いに』あらすじと解説【自分で見て判断する!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【十把一絡げ(じっぱひとからげ)】

 「十把一絡げ」ということわざがあります。―――辞書を引くと、いろいろな種類のものを、区別なしにひとまとめにして扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとしてひとまとめに扱うこと。と、出てきます。

 ちなみに、「十把」とは十(たば)という意味で、稲や野菜などを数えるときの助数詞です。そして「一絡げ」は一括りと同じ意味で(たば)ねることを指します。稲や野菜も十束もあれば、それぞれ太さや長さが異なります。けれども、そんなことを考えずに十束を一括りにして取り扱ってしまうことに由来します。

 往々にしてわたしたちも、このような思考をしてしまうところがあります。例えばある人種や国籍、または集団の人間に対し「あの人たちはこうだから」と、つい、それこそ「十把一絡げ」にして考えがちです。けれども一人一人は皆、違う人間なのです。

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新美南吉『手袋を買いに』あらすじと解説【自分で見て判断する!】

新美南吉(にいみなんきち)とは?

 新美南吉(本名:新美正八)は、日本の児童文学作家です。(1913~1943)
大正2(1913)年7月30日、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に畳屋の次男として生まれます。幼い頃に母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子供時代を送ります。

 中学時代から童話を書き始め、特に北原白秋には強い影響を受けて、童話・童謡同人誌の『赤い鳥』や『チチノキ』などに投稿します。その後、東京外国語学校に進学しますが、在学中に病(結核)を患います。

 20代後半の5年間は安城高等女学校(現・県立安城高等学校)で教師をしながら創作活動を続けていましたが、体調が悪化してしまい、安城女学校を退職します。退職後はほとんど寝たきり状態になり、昭和18(1943)年、29歳という短い生涯を終えます。

 『ごんぎつね』『おじいさんのランプ』『手袋を買いに』を始めとして、多くの童話・小説・詩などの作品を残しています。地方で教師を務め、若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多く、「北の賢治、南の南吉」と、呼ばれています。

     新美南吉

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童話『手袋を買いに』について

 『手袋を買いに』は新美南吉が20歳のとき(1933年)に書いた児童文学作品です。南吉の生前に計画され、死の直後(1943年)に刊行された童話集『牛をつないだ椿の木』に収録されました。

『手袋を買いに』あらすじ(ネタバレ注意!)

 寒い冬のある朝のことです。洞穴(ほらあな)から出ようとした子狐が、眼を抑えながらお母さん狐のところに転げてきて「母ちゃん、眼に何か刺さった!」と言います。お母さん狐はびっくりして子狐の眼を見てあげましたが何も刺さってはいません。

 お母さん狐が洞穴から外に出ると始めて理由が(わか)りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪に太陽の陽射しが眩しいほど反射して、雪を知らなかった子狐は眼に何かが刺さったと思ったのでした。

 子狐は雪遊びに夢中になります。ところが間もなく洞穴に帰って来て「お母ちゃん、お手々が冷たい。」と言って、お母さん狐に両手をさしだしました。お母さん狐は子狐の冷え切った手を握りながら(手袋を買ってあげよう)と思いつきます。

 夜になってから狐の親子は町へと出かけます。ところが、町の灯り見た途端、お母さん狐の足はすくみ、一歩も歩けなくなってしまったのです。かつて町へ出かけたとき、アヒルを盗もうとした友達の狐がお百姓に見つかり、命からがら逃げたことがあったからでした。

 そこでお母さん狐は、子狐を一人で町まで行かせることにします。お母さん狐は「お手々を片方お出し。」と言い、子狐の片手を握りました。すると、しばらく握っている間に子狐の手は人間の子供の手に変わっていたのでした。

 そして不思議がる子狐に「それは人間の手よ。」と言い、町に行ったら帽子屋の看板を探し、戸を叩いて少しだけ開いたら、人間の方の手を出して「この手に丁度いい手袋をください。」と言うようにと教えました。

 続けてお母さん狐は、間違えて狐の方の手を出してしまった場合は、「(つか)まえられて(おり)の中に入れられちゃう。人間ってほんとに恐いものなんだよ。」と、言い聞かせ、子狐の人間の方の手に、白銅貨を二枚握らせました。

 子狐は雪あかりの野原を歩いて行きます。やがて町に着くとシルクハットの帽子の看板を見つけました。子狐は教えられた通りに戸を叩きます。すると帽子屋が戸を開けた拍子に、室内の光の帯が外へと漏れてきました。

 子狐はその光がまぶしくて、つい狐の方の手を出してしまいます。そして、「この手に丁度いい手袋をください。」と、言ってしまったのでした。すると帽子屋は(おや、狐だな)と思い、「先にお金を下さい。」と、言います。

 子狐は握ってきた白銅貨を二枚、帽子屋に渡します。そのお金が本物だと確認した帽子屋は子供用の毛糸の手袋を持たせてやりました。子狐はお礼を言って来た道を帰り始めながら(人間はちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの)と、思います。

 そして、人間というものがどんなものか見たいと思いました。ある家の窓の下を通ると、子守歌が聴こえてきます。その歌声はとても優しく美しいものでした。すると今度は親子の話し声が聞こえます。

 「こんな寒い夜は、森の子狐は寒いって()いてるでしょうね。」
 「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。」

 それを聞くと子狐は急にお母さんが恋しくなり、お母さん狐の待つ場所へと跳んで行きました。子狐が来るとお母さん狐は胸に抱きしめて喜びます。森への帰り道、子狐が「人間ってちっとも恐かないや。」と、お母さん狐に話します。

 お母さん狐が「どうして?」と聞くと子狐は間違った方の手を出したけど帽子屋は手袋を売ってくれたことを教えます。お母さん狐はあきれながらも、「ほんとうに人間はいいものかしら。」と、呟いたのでした。

青空文庫 『手袋を買いに』 新美南吉
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html

『手袋を買いに』【解説と個人的な解釈】

 可愛い我が子に「手袋」を買ってあげようと思いついたお母さん狐でしたが、その道中で過去に起きた人間との恐怖体験を思い出し、歩けなくなってしまいます。そこで子狐に一人で町へ行かせようとするのですが、この場面が多くの読者の疑問になっているようです。

 「なぜお母さん狐は子狐を一人で町に行かせたのか?」といった疑問です。
お母さん狐は過去に怖い思いをしているのですから、そのようなところへ子狐を一人で行かせるのかは確かに矛盾しています。

 お母さん狐にすれば勿論葛藤があったでしょう。けれども、そもそも過去の体験は明らかに狐の友達に非があるのであって、人間に対しどこか信じてみたい。といった気持ちが残っていたのかもしれません。

 結果的に帽子屋は、狐だと分かった上で手袋を売ってあげました。そして人間のお母さんの優しい子守歌を聴いた子狐は、母親の子への愛情はどこも変わりがないことを知り(人間はちっとも恐ろしくない)との結論に至るのです。

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あとがき【『手袋を買いに』の感想を交えて】

 新美南吉は4歳のときに、実母(りゑ)を亡くしています。継母(けいぼ)(志も)は南吉を実子同様に扱います。けれども実母の存在は南吉にとって終生忘れられぬものでした。

 もしかしたら人間の母親が子供に子守歌をうたってあげる場面は、自分の幼時体験を重ねていたのかもしれません。それとも叶うことのなかった行為への憧れだったのでしょうか。

 ともかくとして、この物語を読むたびに思うのは、母親の愛情とともに、「自分自身で確認しないと分からないこともある。」ということです。

 情報過多といわれるこの時代、自分の眼で見てもいないのに特定の情報に偏り「あの人たちはこうだから」とレッテル貼りをする人をたまに見かけます。

 『手袋を買いに』の子狐も、町に行かず、お母さん狐の言葉だけを聞いていたら「人間は怖いもの」になっていたでしょう。冒頭でも話しましたが人間は「十把一絡げ」ではないのです。

 一括りとして考えるのではなく、自分で確かめた上で、一個人として接することが今の時代、大事なことのように思います。

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