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秋田雨雀『三人の百姓』【大切なものを伝える児童文学の王道!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【児童文学について】

 児童文学……というよりも童話といったほうが、わたしたちの耳に慣れ親しんでいると言えるでしょう。つまりは、子供を対象とした文学作品のことで、出版社や出版業界では、児童書あるいは児童図書と呼んでいるようです。

 その児童文学も歴史をたどると、かなり古いようです。
日本には「昔話」という、民衆の生活のなかから生まれ、民衆によって口承されてきた口承文学がありました。しかし口承ですから、物語は固定されず、地域によっては話の筋が変わったりします。

 ですから、日本の児童文学は、近代文学成立とほぼ同時期に確立されたと考えられていて、(いわ)()小波(さざなみ)による『こがね丸』や小川(おがわ)未明(みめい)の第一童話集『赤い船』が始まりとされています。

 大正7(1918)年、鈴木(すずき)三重(みえ)(きち)主宰の雑誌『赤い鳥』が刊行され、芥川龍之介・有島武郎・北原白秋など多くの有名作家が参加しました。この雑誌は児童文学の普及・発展に大きく貢献します。



 また同時代に宮沢賢治がいましたが、生前は評価されることがありませんでした。今回ご紹介する秋田雨雀も、児童文学の基礎を築いた作家の一人と言えます。

宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】

児童文学の歴史【世界史】

 今も世界中の子供たちに愛されている『イソップ寓話(ぐうわ)』は、なんと紀元前3世紀に成立したとされています。

 飛んで、17世紀に入ってから、フランスのシャルル・ペローが童話の基礎を築きました。ペローの物語には『赤ずきん』『眠れる森の美女』『長靴をはいた猫』『シンデレラ』などがあります。

 19世紀に入ると、ヤコブとウィルヘルムのグリム兄弟が登場します。グリム兄弟は『白雪姫』『ラプンツェル』『ヘンゼルとグレーテル』などのドイツの口承を記録し、保存に努めました。

 その後、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが『人魚姫』『裸の王様』『みにくいアヒルの子』『雪の女王』などの、伝承に基づかない童話を刊行していきます。

 また、イギリスではルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』を刊行し、スイスではヨハンナ・シュピリが『ハイジ』を出版します。

 20世紀になると、アメリカ合衆国でライマン・フランク・ボームが『オズの魔法使い』を発表し、イギリスでは、ビアトリクス・ポターが『ピーターラビットのおはなし』を発表します。

 そして、第二次世界大戦中に、飛行士アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは『星の王子さま』を出版しました。近年では、イギリスのJ・K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズが世界中で大ヒットしました。

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秋田雨雀『三人の百姓』【大切なものを伝える児童文学の王道!】

秋田雨雀(あきたうじゃく)とは?

 秋田雨雀(本名:徳三)は日本の劇作家、童話作家です。(1883-1962)
秋田雨雀は明治16(1883)年1月30日、青森県黒石町(現在:黒石市)に産科医の長男として生まれます。

 青森県立第一中学校(現:青森県立弘前高校)を卒業後、早稲田大学英文科に入学します。在学中に新体詩集『黎明(れいめい)』を自費出版します。明治 40(1907)年、24 歳で大学を卒業した雨雀は文芸誌『新思潮』の編集スタッフとなります。

 そのかたわら、明治 44(1911)年に28 歳で戯曲・小説集『幻影と夜曲』を出版、翌年には、戯曲集『埋れた春』を出版し、劇作家として認められます。大正8(1919)年からは童話の創作を始め、童話集『東の子供へ』『太陽と花園』等を出版していきます。

 第二次世界大戦後は、舞台芸術学院長、日本児童文学者協会長を務め、劇壇、文壇の長老として尊敬を集めます。昭和37(1962)年5月12日、結核と老衰のため東京都板橋区中丸町の自宅で死去します。(没年齢:79歳)

   秋田雨雀

『三人の百姓』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある北国の山奥に一つの村がありました。とても小さく淋しい村でしたが、村の人たちはとても楽しく、元気に働いています。その村に、伊作(いさく)多助(たすけ)太郎(たろ)()衛門(えもん)という三人の百姓が住んでいました。

 三人の百姓は、田を耕しながら炭焼きをし、それを城下で売るという仕事をしています。ある秋の日、三人はいつものように、背中に炭俵(すみだわら)を背負って城下に出かけていきました。

 伊作は背が高く丈夫なため、ひとりで先を歩いて行きます。峠を越すと水田が見えてきて、そこには稲がいっぱい実っていました。少し行くと先のほうで、伊作が二人に向かって手を振り、なにやら二人を呼んでいる様子です。

 しだいに声が聞こえてきます。「早く来い……面白いものが落っこてるぞ!」多助と太郎右衛門は足を速めます。伊作の傍にきた二人は驚きます。そこには―――生後三か月くらいの赤児(あかご)が美しい布に包まれて捨てられていたのでした。

 多助は「触らぬ神に祟りなしって言うわで。」と言いましたが、太郎右衛門は「そうだども、不憫(ふびん)でねいか。獣に見つかったら、食われてしまうでねいか?」と言い、赤児を哀れみます。

 「不憫だども、勿体(もったい)ねえ着物を着てるでねいか?」と、普段から欲の深い伊作は言い、赤児を包んでいる美しい布を解いて見ました。すると、赤児の胴巻きから、小判がどっさりと出てきたのです。

※胴巻き 金銭などを入れて腹に巻きつける帯状の袋。

 伊作はその小判を独り占めしようとします。が、多助は怒り、二人は喧嘩を始めてしまいました。結局伊作は、多助に小判を十枚渡し、太郎右衛門に五枚渡そうとします。

 そして、「お前に子供がないわで、この子供を育てたらよかべい。」と、言いました。そのとき太郎右衛門は「子供が不憫だわで、つれて行くども、金が欲しくて子供をつれて行くんでねい。」と言い、決して受取りはしません。

 伊作は、太郎右衛門が受け取らなかった小判五枚のうち、二枚を多助に渡し、三枚を自分のものとします。この日三人は城下に行くのを取りやめます。帰り道、伊作は太郎右衛門に「もし金のことが発覚すれば、三人同罪で牢屋へ行くのだ。」と、言い含めたのでした。

 太郎右衛門は心配しながら家に赤児を連れて行きました。ところが子供のいない奥さんは大変な喜びようです。その晩、夫婦は、赤児を湯に入れてやろうとしていたとき、一枚の紙切れを見つけました。

 その紙切れには仮名文字でこう書かれています。
「ゆえありて、おとこのこをすつ、なさけあるひとのふところによくそだて。よばぬうちに、なのりいづるな、ときくれば、はるかぜふかん。」

 文字を読むのが苦手な夫婦は意味を理解するのに一晩もかかってしまいました。「何しろ、拾った人に、親切にしてくれろってことだべい。」と、太郎右衛門は言い、奥さんもそれに同意します。

 夫婦はそれから、拾った赤児を我が子のように育て始めました。噂を聞いた村の人たちは揃って赤児を見に来ます。そして、あまりにも美しい顔をしているので「太郎右衛門さんとこあ、なんて仕合せだんべい。」と、口々に言いながら帰って行きました。

 それまで太郎右衛門の家は、ただ正直なだけで、村では一番貧乏で馬鹿にされてきました。しかし赤児を拾ってからは、大変賑やかで幸福な家になってしまいます。貧乏なのは相変わらずですが、太郎右衛門は、子供のことを考えると愉快でたまらなくなるのでした。

 子供は朝太郎と名付けられました。その朝太郎も成長するに従い、顔は美しいものの、いつも田畑や山にいるので色は真っ黒になりました。着物も粗末なものを着ているので、本当の太郎右衛門夫婦の子供のようです。

 一方、伊作と多助はその後、しだいに仲が悪くなっていき、いつも喧嘩ばかりしていました。村の人たちは、どうしてあんなにも仲の良かった二人が喧嘩をするようになったのか誰も知りません。

 朝太郎が四歳になった秋のことです。城下から代官様がこの淋しい村へとやって来ました。そして庄屋に「この村に朝太郎という男の子がいるそうだが、その子供を貰い受ける訳には行かないだろうか?」と言い出します。

 そして代官様は続けて、「実はあの朝太郎というお子は、殿のお世継(よつぎ)吉松(よしまつ)様という(かた)なのだ。」と、庄屋に打ち明けたのでした。

 その日の夕方、朝太郎の吉松殿は、立派な駕籠(かご)に乗せられて城下のほうに連れて行かれました。太郎右衛門夫婦には莫大な金が残されます。庄屋は太郎右衛門に「目出たい話だ。お前のとこの朝太郎が殿様になるんじゃないか。」と、言います。

 すると太郎右衛門は、「何が目出たかべい……庄屋様、後生(ごしょう)だわで、殿様がいやになったらいつでも遠慮なく家さ戻って来るように言ってやってくれべい!」と言って、涙をとめどなく流しました。

青空文庫 『三人の百姓』 秋田雨雀
https://www.aozora.gr.jp/cards/001584/files/53182_49659.html


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あとがき【『三人の百姓』の感想を交えて】

 昨今の児童文学、出版業界に言わせると児童図書になりますが、大人と子供の垣根はもはや存在してないかのように感じます。これには出版不況といった現状もあり、読者の間口を広げたいといった業界の気持ちも理解できます。

 また、インターネットの普及により簡単に多くの情報を得ることができるようになり、子供たちの思考も大人化しているのも一つの要因でしょう。ここからはあくまで個人的な感想ですが、わたしは年齢に応じた読み物を与えるべきと思っています。

 確かに日本の昔話でも残酷な物語があります。例えば『かちかち山』の狸は、おばあさんを殺して汁にし、それを「狸汁」と称しておじいさんに食べさせます。しかし文学作品にするときは大抵、子供向けに筋書きや描写を変えていました。

 要するに子供向けの童話やアニメ作品に、殺戮などの描写は必要ないと感じるのです。「生と死」については、心の成長に伴い、学ばせていけば良いのです。

 さて、『三人の百姓』の感想を一言で表すとすれば、「児童文学の王道」と言えるでしょう。そこに、残忍な場面は見当たりません。けれども、小判を手にした伊作と多助は、お互いに大切な「友」を失くすといった取りようによれば重い罰を与えられます。

 そして正直者の太郎右衛門は大金を手にし、しかも我が子が殿様になるという傍から見たら幸福な結末を迎えます。ですが、太郎右衛門にとって心から欲しいと願うのはお金じゃなくて朝太郎というかけがえのない我が子だったのです。

 いくら大金を手にしたからといって太郎右衛門夫婦は幸福になれたでしょうか。ときに金は人を狂わせます。この正直者の夫婦も伊作と多助のようにならないとも限らないのです。いずれにしても、このような素朴な児童文学作品がもっと読まれるよう切に願っています。

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