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宮沢賢治『月夜のでんしんばしら』あらすじと解説【影の功労者!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【岩手県の電気の歴史について】

 明治15(1882)年11月1日、東京銀座の街路に電灯(アーク灯)が設置されます。この時の電源には発電機が使用されました。これに伴い、全国各地に電力会社が誕生し、同時に発電所が作られていきます。

 岩手県では、明治38(1905)年9月12日、盛岡市内を流れる(やな)(がわ)の水を利用した水力発電が434個の電灯をともします。そして宮沢賢治の生まれ育った花巻では、大正元(1912)年に松原発電所から送電が開始されました。

 大正元年といえば宮沢賢治が16歳で、盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)に通っていた頃のことです。元々科学に異常なほどの興味を持っていた賢治は、電気への並々ならぬ関心を持ちます。それは電信柱の絵を描いたり、歌を詠んでいることからも(うかが)い知ることができます。

  よりそひて
  あかきうで木をつらねたる
  夏草山の
  でんしんばしら


  宮沢賢治

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宮沢賢治『月夜のでんしんばしら』あらすじと解説【影の功労者!】

宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10(1921)年からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15(1926)年、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8(1933)年9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名付けたことでも知られています。

花巻農学校教諭時代の宮沢賢治

 宮沢賢治の人生を詳しく知りたい方は 宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】、また、宮沢賢治に関係する人々のことを知りたい方は、宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】 を、ご覧になって下さい。

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15(1926)年に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。

   羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

『イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

童話『月夜のでんしんばしら』について

 童話『月夜のでんしんばしら』は、大正13(1924)年に出版された、宮沢賢治の最初の童話集『注文の多い料理店』に収録された作品のひとつです。この童話集は、盛岡市の杜陵出版部と東京光原社を発売元として1000部が自費出版同然に出版されました。

 本書の出版は宮沢賢治が盛岡高等農林時代の1年後輩、近森善一と及川四郎の協力によって実現します。しかし値段が1円60銭と比較的高価だったため、実際に売れたのは、せいぜい30から40部くらいでした。

 このとき賢治が200部を買い取ったとの記録が残っています。ちなみに、もしも1000部が完売していたなら1600円になりますが、当時は家一軒が買えた値段でした。

短編集『注文の多い料理店』収録作品
『注文の多い料理店』(初版復刻昭和52)

『どんぐりと山猫』
・『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』
『注文の多い料理店』
『烏の北斗七星』
・『水仙月の四日』
・『山男の四月』
・『かしわばやしの夜』
・『月夜のでんしんばしら』
『鹿踊りのはじまり』

『月夜のでんしんばしら』あらすじ(ネタバレ注意!)

 ある晩、恭一(きょういち)は、鉄道の線路の横を歩いていました。そのとき不思議なものを目撃します。停車場(ていしゃば)(駅)の明かりが見える所まで歩いて行くと、右手のシグナル柱(信号機)がガタンと下がり、同時に線路の左側に並んでいる電信柱の列が、一斉に北の方へと歩き出したのでした。

 電信柱の列は、「ドッテテドッテテ、ドッテテド……」、と軍歌を歌いながら、恭一を横目で見て通り過ぎて行きます。中には疲れ切ってヨロヨロと倒れそうになりながら歩いている電信柱もいました。そんな電信柱に対し叱咤(しった)する電信柱もいます。

 「ドッテテドッテテ、ドッテテド……」、電信柱の列は、まるで川の水のように、次から次へとやって来ては、恭一のことを見て行きました。そのうち遠くから軍歌の声に混じって、「お一二(いちに)、お一二、」というしわがれた声が聞こえてきます。

 宮沢賢治童話村(花巻市)

 見ると電信柱の列の横を、背の低い顔の黄色いじいさんが号令をかけながらやって来るのでした。じいさんに見られた電信柱は堅くなって脇目もふらずに進んで行きます。じいさんは恭一の前に来ると、「今晩は。行軍を見ていたのかい。」と聞きました。

 恭一が、「見てました。」と答えると、じいさんは、「じゃ仕方ない。ともだちになろう。」と言い、恭一に握手を求めてきました。すると握手をした瞬間、じいさんの眼から青い火花がパチパチっと出て、恭一の体に電流が走り、危うく後ろに倒れそうになったのです。

 恭一はすっかり怖くなってしまいます。そんな恭一を見たじいさんは、「おれは電気総長だよ。」と言いました。そして、「電気の大将ということだ。」と教えます。それからじいさんは、電気に関連した様々な逸話いつわを教えてくれました。

 電信柱の列はひときわ大きな声で軍歌を歌いながらじいさんの横を通り過ぎて行きます。そのとき線路の遠くに二つの火が見えました。じいさんは慌てて、「いかん、汽車が来た。誰かに見つかったら大変だ。」と言い、「全軍、かたまれい、おいっ。」と電信柱の列に向かって叫びました。

 電信柱の列はとぴったりと止まり、普段のようになりました。汽車がごうとやって来ます。ところが汽車の客席は全部真っ暗でした。するとじいさんは、「おや、電燈が消えてるな。けしからん。」と言いながら、いきなり走っている列車の下にもぐり込んだのでした。

 「危ない!」恭一は止めようします。その瞬間客車の窓が明るくなり、一人の小さな子供が、「明るくなった。わあい。」と叫びました。シグナル柱がガタリと上がります。そして汽車は、停車場に着いたようでした。

青空文庫 『月夜のでんしんばしら』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43756_17661.html

『月夜のでんしんばしら』【解説と個人的な解釈】

 『月夜のでんしんばしら』は、ある晩に恭一という少年が鉄道の線路横を歩いていると、突然電信柱が兵士となり、北へ向かって軍歌を歌いながら歩き出すといったファンタジー作品です。

 とは言え、当時の社会背景とは無縁ではないことを多くの専門家が指摘しています。童話集『注文の多い料理店』の中で『月夜のでんしんばしら』には1921・9・14という日付が付されています。この日付は日本陸軍が「シベリア出兵」を行っていた時期と重なるからです。また当時花巻には軍の演習場がありました。

 宮沢賢治の眼には、立ち並ぶ電信柱があたかも統制のとれた軍隊の行進のように映ったのでしょう。つまり人々の生活のために電気を運び続ける電信柱、国と人々の生活を守り続ける軍隊と、人知れず世の中のために尽くす人たちへの尊敬の念が込められている作品のように感じます。

シベリア出兵
大正7(1918)年~大正11(1928)、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアが、チェコスロバキア軍救援の名目の下に、ロシア革命に対する干渉のためシベリアに出兵した事件。連合国軍の撤兵後も日本だけが駐兵したため国際的威信を失墜し、大正11年に撤兵した。

出典:精選版 日本国語大辞典
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あとがき【『月夜のでんしんばしら』の感想を交えて】

        宮沢賢治(生家)

 明治42(1909)年、旧制盛岡中学校に入学した宮沢賢治は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)へと進学し、卒業後は同校の研修生として大正9(1920)年まで盛岡市内で暮らします。

 この盛岡在住の期間、賢治は実家のある花巻市川口町まで、なんと約35キロの距離を汽車にも乗らず、夜通し歩いて帰ることが多かったという証言が残されています。この夜歩きの記憶が『月夜のでんしんばしら』の創作に繋がったのでしょう。

 当時まだ珍しかった電信柱の列ですから違うものに見えることは無理もないことです。考えて見れば風力発電が各地に建設され始めた頃、わたしの眼にも怪物が立ち並んだような異様な光景に映ったものです。

 ともかくとして森羅万象を創作に還元できる賢治の才能、感受性を羨ましく思う今日この頃です。

宮沢賢治【他の作品】

      賢治自耕の地(下ノ畑)

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