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宮沢賢治『なめとこ山の熊』を読み自然との共存を考える!

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【環境問題について!】

 新しい年が始まりました。昨年はとにかく流行り病に振り回されるという一年でしたが、もうひとつ、個人的に振り回されたことがありました。それは、『レジ袋の有料化』です。

 環境への配慮については、わたしも異論がありません。
けれども、どうしても廃プラスチックによる環境汚染問題や、海洋プラスチックごみの問題よりも、身近な環境問題に目がいってしまうものです。

 たとえば、わたしの住む地域とさほど遠くないところで、熊が突然、人間を襲うといった被害が多発していることです。原因のひとつは、人間と野生の熊との境界線があいまいになってきているからだといわれています。

 御託を並べるのはこれくらいにして、人間と自然との関係性を考えるとき、わたしは宮沢賢治の童話を読むようにしています。そこにこそ、本質が描かれているような気がするからです。

 『環境』、守るべきものを詰め込んだエコバック!!

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宮沢賢治『なめとこ山の熊』

宮沢賢治とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896-1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10年(1921)からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15年(1926)、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8年(1933)9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして『イーハトーブ』と名付けたことでも知られています。


花巻農学校教諭時代の賢治

宮沢賢治『よだかの星』を読み、現代のいじめ問題を考えよう!
宮沢賢治『注文の多い料理店』【自然を私物化する人間の愚かさ】
宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』【身を捨て他者に尽くす精神】
宮沢賢治『永訣の朝』【妹トシからの最期の贈り物】
宮沢賢治『オツベルと象』【強欲に憑かれた男の末路】

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15年(1926)に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。


  羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

 イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。


『イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

『なめとこ山の熊』あらすじ(ネタバレ注意!)

 なめとこ山には熊が多く住んでいて、特になめとこ山の熊の()は薬効として名高いものでした。猟師の淵沢小十郎は熊捕りの名人です。山刀とポルトガル伝来の大きな銃を持ち、たくましい犬を引き連れて、山を縦横自在に歩くことができます。



 なめとこ山あたりの熊は小十郎のことが好きでした。それは、小十郎の思いを熊たちも知っていたからでしょう。熊を撃った後の小十郎は、いつもそばに寄ってこう言います。

 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも()たなけぁならねえ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ。」

 そんな小十郎でしたが、熊の皮や肝を売りに町へ行くときは、とても惨めなものでした。雑貨屋の主人には毛皮や肝を安く買い叩かれます。それでも、家族七人を養うため、ペコペコと頭を下げて、へりくだるしかありませんでした。

 ある年の夏のことです。いつものように猟をしていて、銃を構えた小十郎に、熊が、「もう二年ばかり待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。」と、頼むのです。



―――小十郎はそんな熊の頼みを受け入れます。
 それからちょうど二年後、約束どおり熊は、小十郎の家の前で死んでいました。小十郎は義理堅い熊の亡骸に、思わず手を合わせるのでした。

 そうして何年か過ぎた一月のある日のことです。崖を登りきって休んでいた小十郎に、大きな熊が突如襲い掛かりました。小十郎も鉄砲を構え、引き金を引いたのですが、熊は倒れません。と、思いきや、小十郎の目の前は真っ青になりました。

 それから、遠くからこんな言葉が聞こえます。―――「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」。もうおれは死んだと小十郎は思います。そして、青い星のような光がそこらいちめんに見えました。「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」。

―以下原文どおり―

 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや(しん)の星が緑や(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。

 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん()になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。

 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように()()えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。


青空文庫 『なめとこ山の熊』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1939_18755.html

なめとこ山

 物語の舞台、なめとこ山(ナメトコやま)は、岩手県花巻市の西方、岩手郡雫石町との境にある奥羽山脈に属する標高860mの山です。

マタギについて

またぎ
 青森,岩手,秋田,宮城,新潟などの山中で、古い猟法を守って狩りを行う人々を指して呼ぶ語。又鬼などの文字をあてることもあり、アイヌ語で狩猟者をマタンギというので、これから転じた語という説もあるが、名称の伝播は逆に日本語から移ったものらしい。

『世界大百科事典』(平凡社)

 マタギについて、作家、司馬遼太郎の言葉を借りて、少し詳しく説明します。

 (前略) たとえば、山に入るとき、渓流に酒をそそいで山の神に感謝する。山に入れば俗世間のことばをつかわず、五百語もあるという “ 山ことば ” をつかう。

 山中で食事をするとき、山菜やキノコを採るが、決して根ごとには採らない。マタギの人達は、狩るべき獲物はすべて山の神の所有物と考えており、人間はそのおすそわけを頂戴するのだという。

 猟法をとりまく作法や思想は古神道に似、またアイヌの自然観にも似ている。(後略)


街道をゆく41『北のまほろば』

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あとがき【『なめとこ山の熊』の感想を交えて】

 小十郎の獲っていた熊の胆のことを漢方では「(ゆう)(たん)」と呼びます。熊の胆嚢(たんのう)をよく干したもので、万病に効くといわれ、日本では古くから民間薬として用いられてきました。

 熊の胆はとても貴重であり、本来は高値で取引きされていたようです。小十郎は熊捕りの名人でしたから、儲けることは容易かったと思われます。けれど、小十郎はそうしませんでした。自然の摂理をわきまえていたのです。

 乱獲をしていたら、やがて、なめとこ山に熊はいなくなります。
小十郎を含むマタギの人々、いや、かつての日本人は、人間の分というものをわきまえていたのだと思います。自然との共生、共存の道を幼いころから学べる土壌があったのです。

 熊が山の神の所有物であるなら、小十郎もまた山の神の所有物でした。
だから、熊たちも小十郎を崇めていたのでしょう。また、この物語は、労働というものの残酷な現実も教えてくれています。

 とりわけ、環境問題を語るにしても、綺麗ごとばかりじゃないのが現実なのです。

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