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宮沢賢治『オツベルと象』【強欲に憑かれた男の末路】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【金持ちへの憧れ】

 「とにかく金持ちになりたい。」中学の頃のわたしは、ただ漠然と、こんな空想ばかりを抱いていたものでした。貧しい家庭に生まれ育ったというのもあったでしょう。

 ですが、思い起こせば一番の理由は、近所に憧れのお兄ちゃん(二十代半ば)が暮らしていたというのが大きいです。お兄ちゃんの家は代々、漁師の網元をしていました。馬鹿でかい家の敷地に高級車が何台も並べられていました。

 わたしは中学校に自転車で通っていました。およそ20分の道のりです。ですから、雨の日などは1時間以上もかけての徒歩通学です。そのお兄ちゃんは真っ赤なスポーツカーを乗っていました。

 そしてたまに、「おい○○、乗ってくか?」と、声をかけてくれました。
中学校の玄関先にスポーツカーの助手席から降り立ったときの快感といったら例えようもありません。

 同級生たちは羨望の眼差しでわたしを見ていました。そんな優越感に浸りながら「とにかく金持ちになりたい。いや、なる!」と心に決めたものです。

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宮沢賢治『オツベルと象』【強欲に憑かれた男の末路】

宮沢賢治とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896-1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10年(1921)からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15年(1926)、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8年(1933)9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして『イーハトーブ』と名付けたことでも知られています。


花巻農学校教諭時代の賢治

宮沢賢治『よだかの星』を読み、現代のいじめ問題を考えよう!
宮沢賢治『なめとこ山の熊』を読み自然との共存を考える!
宮沢賢治『注文の多い料理店』【自然を私物化する人間の愚かさ】
宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』【身を捨て他者に尽くす精神】
宮沢賢治『永訣の朝』【妹トシからの最期の贈り物】

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15年(1926)に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。


  羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

 イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。


『イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

『オツベルと象』あらすじ(ネタバレ注意!)

……ある(うし)()いがものがたる

 「オツベルときたら大したもんだ。」―――物語はいきなりこの文章から始まります。
それはオツベルが、大金持ちの実業家、しかも大地主だからです。

 オツベルは、学校くらいもある頑丈な小屋に、稲扱(いねこき)器械を六台(ろくだい)も据えつけて、のんのんと唸りを上げて稲を()いています。とは言っても、実際に作業をしているのは十六人の百姓たちでした。

 オツベルはパイプを口にくわえ、両手を背中に組んで、仕事場を()ったり来たりするだけです。こうして上手にお腹を空かせて、昼食時にはビフテキやオムレツなどのご馳走を美味しく頂くためでした。

―――そこへなぜか、白象がやって来ます。

 百姓たちはびっくりしますが、オツベルは知らないフリをします。そしたらとうとう、白象が小屋に上がって来ました。それでもオツベルは、それを素知らぬ顔で見過ごします。

 どうやら白象は、稲扱器械に興味を持っている様子です。オツベルは白象に「ここは面白いかい?」と聞きます。白象は「面白いねえ。」と答えます。

 続けてオツベルは「ずうっとこっちに居たらどうだい。」と言います。白象はけろりとして「居てもいいよ。」と答えます。オツベルの魂胆は見え見えです。白象を使ってお金を儲けようとしているのでした。

 結局、白象は小屋に住み着きます。オツベルは白象に、「時計や飾りをつけてあげる。」と言って、重い鎖や分銅をつけさせます。そして、川から水を汲ませ、森から薪を運ばせ、鍛冶場で炭火を吹かせたりして、こき使います。

 当初は食事に(じゅっ)()(わら)を与えられていたのですが、それが八把、五把としだいに少なくなっていき、今では三把の藁しか与えられていません。それでも白象は一生懸命に働きました。

 しかし、そんな白象もしだいに笑わなくなっていきます。ときには赤い眼をして、オツベルを見下ろすようになりました。ある晩のことです。白象は月を(あお)ぎ見て「苦しいです。サンタマリア。」と呟きます。

 これを聞いたオツベルは、それまで以上に白象をこき使いました。さすがの白象も、とうとう限界がきます。藁も食べず月に向かって「さようなら、サンタマリア。」と言いました。

 「おや、何だって?さよならだ?」月が白象に訊ねます。そして、「仲間へ手紙を書いたらいい。」とアドバイスをくれます。「筆も紙もない。」と言うと、いつの間にか白象の目の前に、筆記用具を持った子供が立っていました。

 白象はさっそく「みんなで出て来て助けてくれ。」と、手紙を書きます。子供はその手紙を象の仲間たちに届けます。手紙を受け取った象の議長は「オツベルをやっつけよう!」と高く叫びました。

 象たちは「グララアガア!」と雄叫びをあげて、一斉にオツベルの(やしき)へと突進します。象の集団の襲撃に気付いてもオツベルは決して慌てません。百姓たちに「門をしめろ。かんぬきをかえ。」などと、的確な指示を出して励まします。

 ところが、百姓たちはみんな降参をし、逃げ出してしまいました。番犬は気絶してしまいます。象の集団は邸を取り巻きました。そして「グララアガア」と叫びながら塀を乗り越えようとします。

 オツベルは六連発のピストルを発射します。けれども象の厚い皮は(たま)を通しません。「グララアガア」五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来ます。オツベルは下敷きになり、くしゃくしゃに潰れてしまいました。こうして白象は助け出されました。

―以下原文通り―
 「まあ、よかったねやせたねえ。」
みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。

 「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」
白象はさびしくわらってそう云った。

 おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。


青空文庫 『オツベルと象』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/466_42316.html

『オツベルと象』の解説

 宮沢賢治の『オツベルと象』は、大正15年1月1日発行の『月曜』創刊号に発表された作品で、現在に至るまで小学校・中学校・高等学校の教科書教材として取り上げられています。

 物語は、白象や沙羅双樹が出てくることから、東南アジアが舞台だと想像できます。

 『オツベルと象』のサブタイトルに「……ある牛飼いがものがたる」と、あることから、牛飼いが誰か(子供?)に物語を語って聞かせている作品構造になっています。

 ですから、物語が「おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。」で結ばれているのは、一見違和感がありますが、つじつまが合っていると言えます。

 それと結末に、白象がさびしくわらう場面がありますが、これは「いくら悪人とはいえ、殺すことはなかったのに。」とでも言いたげな複雑な感情を表現しています。言わば、宮沢賢治の宗教観が垣間見えた場面と言えるでしょう。

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あとがき【『オツベルと象』の感想を交えて】

 さて、赤いスポーツカーのお兄ちゃんに憧れていたちょうどその頃、わたしは『オツベルと象』を始めて読みました。そして、ある出来事を境に、お兄ちゃんへの憧れがいっぺんに吹き飛んでしまったのです。

 それは、下校時に友達の家に寄ったときのことでした。友達は漁港の近くに住んでいました。すると、どこからか、まるで雷のような怒号が聞こえてきます。わたしと友達がそっちの方向を見ると、お兄ちゃんが鬼のような形相で立っています。

 そして、自分の父親ほどの年齢の漁師さんを、まるで子供でも叱るかのように怒鳴り散らしていました。わたしはショックのあまり、友達の家に寄らずに帰りました。

 それからです。お兄ちゃんの赤いスポーツカーに乗らなくなったのは。どこか、お兄ちゃんとオツベルを重ねて見ていました。そして、オツベルのような最期を迎えないよう、祈ったものでした。

 それから数年が経ち、わたしが高校生のときでした。網元の家が破産したのは・・・。お兄ちゃんは街から姿を消しました。そして心から、「やっぱ、金持ちにならなくていいや。」と、思ったものです。

 ともかくとして『オツベルと象』は、資本社会の現実を、最初に教えてくれた作品と言えます。

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