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宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』あらすじと解説【本当の精神?】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【お国言葉について】

 方言のことをあえて「お国言葉」と言わせてもらいますが、それは個人的にそのほうが、どこか温かみを感じるからです。そもそも方言と呼ばれるようになったのは、明治時代以降のことです。

 それ以前は各地域に領主がいてその土地を統治していました。つまりは日本の中に多くの国家が存在し、それぞれが「お国言葉」を使用していたのです。

 ところが、明治維新を経て、新政府が中央集権国家を目指すようになると、それに伴い、学校教育や軍の中で標準語の普及を押し進める必要性が出てきました。結果、「お国言葉」は廃れていき、地方でも標準語が使われるようになっていきます。

 現代では方言のことを “ 訛り ” と揶揄する風潮もあります。けれども、「お国言葉」が存在するからこそ地方色がより鮮明に感じられるのではないでしょうか。

 わたし自身も東北の生まれで、東京で就職した頃は言葉に多少のコンプレックスを持っていました。それがいつしか気にならないようになっていきます。

 なぜなら宮沢賢治を通して「お国言葉」の温かみを知ることができるようになったからでした。つまりは、童話『鹿踊りのはじまり』のおかげと言えます。

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宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』あらすじと解説【本当の精神?】

宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10(1921)年からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15(1926)年、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8(1933)年9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名付けたことでも知られています。

 宮沢賢治の人生を詳しく知りたい方は 宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】、また、宮沢賢治に関係する人々のことを知りたい方は宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】を、ご覧になって下さい。

花巻農学校教諭時代の宮沢賢治

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15年(1926)に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。

   羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

『イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

童話『鹿踊りのはじまり』(ししおどりのはじまり)について

 『鹿踊りのはじまり』は、大正13(1924)年に出版された、宮沢賢治の最初の童話集『注文の多い料理店』に収録された作品のひとつです。この童話集は、盛岡市の杜陵出版部と東京光原社を発売元として1000部が自費出版同然に出版されました。

 本書の出版は宮沢賢治が盛岡高等農林時代の1年後輩、近森善一と及川四郎の協力によって実現します。しかし値段が1円60銭と比較的高価だったため、実際に売れたのは、せいぜい30から40部くらいでした。

 このとき賢治が200部を買い取ったとの記録が残っています。ちなみに、もしも1000部が完売していたなら1600円になりますが、当時は家一軒が買えた値段でした。

童話集『注文の多い料理店』収録作品
『注文の多い料理店』(初版復刻昭和52)

『どんぐりと山猫』
『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』
『注文の多い料理店』
『烏の北斗七星』
『水仙月の四日』
・『山男の四月』
・『かしわばやしの夜』
『月夜のでんしんばしら』
・『鹿踊りのはじまり』

『鹿踊りのはじまり』あらすじ(ネタバレ注意!)

 北上川の東側から移住してきた()(じゅう)は、小さな畑を開いて、(あわ)(ひえ)を作って暮らしていました。あるとき嘉十は、栗の木から落ちて膝を痛めてしまいます。そこで嘉十は、西の山の温泉へと湯治に出かけることにしました。

 その途中、嘉十は、持ってきた(とち)と粟の団子を食べ始めます。ところが歩き疲れたせいか、何やら空腹を感じない嘉十は、「ほら、鹿、来て()!」と、野原に栃の団子を残して出発しました。

 けれども、少し行ったところで嘉十は、休んだ場所に手ぬぐいを忘れたことに気が付きます。そこで引き返してみると、六匹の鹿が静かに歩いて、栃の団子の方へと向かっているようでした。嘉十はすすきの影に隠れ、その様子を覗き見します。

 六匹の鹿は、栃の団子の周りを輪になって回り始めました。ところが、鹿たちが気にしているのは栃の団子ではなくて、どうやら嘉十が忘れてきた手ぬぐいのほうらしいのです。

 嘉十は自分の耳を疑います。それは―――なんと、鹿の言葉が聞こえてきたからでした。
「生ぎものだがも知れないじゃい。」鹿たちは何やら手ぬぐいの正体について、議論しているようです。

 そのうち一匹の鹿が輪から離れて、恐る恐る手ぬぐいに近づいて行くと、飛び跳ねて、逃げてきました。その鹿は「やっぱり生ぎものらし。」と、みんなに教えます。それから鹿たちは、一匹ずつ交代で近づき、その正体を突き止めようとします。

 当初は警戒していた鹿たちも、次第に大胆になり、手ぬぐいに鼻を押し付けたり、舌を出して舐めてみたりしました。そして六匹目の鹿はとうとう口にくわえ、「こいづあ干乾びたなめくじだな。」と、結論づけます。

 鹿たちは大喜びで、手ぬぐいの周りを回りながら、歌っては踊り出しました。そして嘉十の残した栃の団子をみんなで分け合います。鹿たちはやがて一列になり、太陽を拝むようにして立ったのでした。嘉十はその一部始終を、すすきの陰に隠れて見ています。

 すると今度は、鹿たちが一匹ずつ歌を披露していきます。それからまた輪になって、激しく踊り出しました。この様子を見ていた嘉十は心を奪われ、思わず自分も鹿になったような気がして「ホウ、やれ、やれい。」と、叫びながら飛び出してしまいます。

 と、同時に、鹿たちは驚いて、一斉に逃げ去ってしまいました。嘉十は、苦笑いをしながら手ぬぐいを拾い、西に向かって歩きはじめたのです。―――わたしはこのはなしを、秋の風から聞いたのでした。

青空文庫 『鹿踊りのはじまり』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43760_17902.html

伝統舞踊・鹿踊り(ししおどり・しかおどり)について

 鹿踊りは、江戸時代の南部氏領(盛岡藩陸奥国領)、および、伊達氏領(仙台藩・一関藩の陸奥国領、および、宇和島藩伊予国領)、つまり現在の岩手県、宮城県、そして愛媛県宇和島市周辺で受け継がれている伝統舞踊のことです。

 由来については諸説あり特定できませんが、起源伝承に念仏踊りと共通するところが多く、発生の原点は念仏踊りで、伝承の経路には山伏修験者が介在していたとする意見が一般的なようです。

『鹿踊りのはじまり』【解説】

 『鹿踊りのはじまり』は、「私」が「秋の風」から聞いた物語という形式になっています。そして「私」の語る物語の主人公が嘉十です。タイトルのとおり、岩手県花巻に伝わる「鹿踊り」を題材としていて、「鹿踊りのほんとうの精神」がテーマとなっています。

 童話集の広告ちらしには、『鹿踊りのはじまり』について次のように書かれています。

まだ(わか)れない(おお)きな愛の感情です。すゝきの花の向ひ火や、きらめく赤褐の樹立のなかに、鹿が無心に遊んでゐます。ひとは自分と鹿との区別を忘れ、いつしよに踊らうとさへします。
(『注文の多い料理店』鹿踊りのはじまり広告文)

 宮沢賢治の童話には、異空間で人間と動物が遭遇する作品が多いですが、この物語も同様の設定です。では、テーマとなっている「鹿踊りのほんとうの精神」とはどのようなものなのでしょうか。

 鹿たちは、栃の団子を食べようとします。けれどもその横には手ぬぐいが置かれていました。そこで[鹿たち]と[罠かもしれない正体不明の物体]との格闘が始まります。

 やがてこの格闘に勝利を収めた鹿たちは、(かて)(栃の団子)を得て、歓喜の舞を踊ります。そして太陽を拝むように一列に並んで、順番に賛歌を披露していきます。最後の一匹が歌を終えると、鹿たちは激しく踊り出します。

 自然に生きる動物たちにとって、食料というものは、いわゆる天からの恵みに他なりません。ですから鹿たちは、太陽や自然に感謝を表し、歌や舞を捧げたのです。その姿に嘉十は心を打たれます。きっと自然への畏敬の念が感じられたからでしょう。

 その姿は、人間たちが忘れているものでした。感動した嘉十は(自分も鹿になったような気持ちになり)飛び出してしまいます。けれども鹿たちは一斉に逃げ去り、嘉十は(人間と動物たちとの世界は違う)という現実を突き付けられます。

 つまり「鹿踊りほんとうの精神」とは、自然からの恩恵といった「生命の源」を、わたしたち人間に、感謝し忘れぬよう、舞を通し伝承してきたものとわたしは考えます。

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あとがき【『鹿踊りのはじまり』の感想を交えて】

 物語を通して「私」によって語られる登場人物の会話はすべて、宮沢賢治の故郷、岩手県花巻地方のお国言葉が用いられています。この言葉が、物語にいっそう味わい深さを与えているのはご承知の通りです。

 そしてこのお国言葉が、賢治の手にかかると、まるで音楽のように、リズミカルで美しい旋律を奏でているかのように感じるのですから不思議なものです。読者もいつの間にか、嘉十と同じような気持ちになり、鹿たちを見守ってしまいます。

 お国言葉の持つ温かみや地域性を活かして効果的に取り入れた文学作品はいくつも出ています。けれども、わたしが知らないだけかもしれませんが、宮沢賢治のような温もりを感じる作品に出会ったことがありません。

 ともかくとして、どうか地方色を無くさないためにも “ 訛り ” などと馬鹿にせず、「お国言葉」を大事にする文化を目にしたいものです。

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