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宮沢賢治『注文の多い料理店』あらすじと解説【自然の私物化!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【宮沢賢治作品との出逢い】

 とある知り合いが、「小学生の息子が家でゲームばかりをしていて困ったものだよ。」と、溜息まじりにこぼしていました。コロナ過ということもあり、街中で暮らす親御さんには、同じような悩みを持つ方も多いと思います。

 わたしの幼少の頃の遊び場といえば、もっぱら野山、そして川や海でした。思えば田舎育ちといった恵まれた環境に身を置いていたものだと思います。そして、天候の悪い日は、近くの公民館(集会場)から借りてきた本を読むことでした。

 宮沢賢治の作品と出逢ったのもその頃で、表紙が手垢で汚れ、タイトルの文字さえも判別つかないような、かなりくたびれた絵本でした。そのなかでも『注文の多い料理店』は、少年期のわたしに強い影響をもたらしたと言っても良いでしょう。

 なにせ―――読後数ヶ月は、山に遊びに行くのをやめていたくらいですから。

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宮沢賢治『注文の多い料理店』あらすじと解説【自然の私物化!】

宮沢賢治とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10(1921)年からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15(1926)年、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。



 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8(1933)年9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名付けたことでも知られています。

 宮沢賢治の人生を詳しく知りたい方宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】、また、宮沢賢治に関係する人々のことを知りたい方は宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】を、ご覧になって下さい。


花巻農学校教諭時代の宮沢賢治

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15年(1926)に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。 若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。


羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

 イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。


『イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

童話『注文の多い料理店』について

 童話『注文の多い料理店』は、大正13(1924)年に出版された、宮沢賢治の最初の童話集『注文の多い料理店』に収録された作品のひとつです。この童話集は、盛岡市の杜陵出版部と東京光原社を発売元として1000部が自費出版同然に出版されました。

 本書の出版は宮沢賢治が盛岡高等農林時代の1年後輩、近森善一と及川四郎の協力によって実現します。しかし値段が1円60銭と比較的高価だったため、実際に売れたのは、せいぜい30から40部くらいでした。

 このとき宮沢が200部を買い取ったとの記録が残っています。ちなみに、もしも1000部が完売していたなら1600円になりますが、当時は家一軒が買えた値段でした。

短編集『注文の多い料理店』収録作品
『注文の多い料理店』(初版復刻昭和52)

『どんぐりと山猫』
・『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』
・『注文の多い料理店』
『烏の北斗七星』
・『水仙月の四日』
・『山男の四月』
・『かしわばやしの夜』
『月夜のでんしんばしら』
『鹿踊りのはじまり』

『注文の多い料理店』あらすじ(ネタバレ注意)

 英国風の身なりをした二人の若い紳士が、お互いに愚痴をこぼしながら、とぼとぼと山奥を歩いていました。二人は猟銃をかつぎ、犬を二匹引き連れています。そうです。狩猟にやって来たのですが、獲物のひとつも得られていなかったのです。



 山奥に入り過ぎたせいか、案内人も途中で姿を消してしまいました。しだいに山は不気味な空気に包まれていきます。すると、連れていた二匹の犬が、急に苦しみだして、ついには泡を吹いて死んでしまいます。

 明らかな異変に直面しているというのに、二人は口々に「千四百円の損害だ」とか、金銭的な損失だけを気にしています。そんな二人も山の異様さには気付いたらしく、宿へ戻ろうとしますが、とうとう道に迷ってしまいました。

 強風が山の木の葉や草を激しく鳴らします。お腹も空いてきます。二人はしだいに心細くなっていきます。そんななか二人は、西洋造りの一軒家を発見するのでした。

 玄関には『西洋料理店・山猫軒』と、記されています。



 途方に暮れていた最中(さなか)ですから、二人は安堵して店内へと入っていきます。奥に進んでいくと扉の上に黄色い文字でこのように書かれています。

 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」
その文字に二人は、「流行っている店なのだろう」と、解釈をします。

 進んでいくとまた扉があります。その扉には赤い文字で「髪をとかして、履き物の泥を落として下さい」と、書いてあります。また次の扉には「鉄砲と弾丸をここに置いて下さい」そのまた次の扉には「金属製のもの、特に尖ったものは、全部ここに置いて下さい」と、あります。



 二人は、「奥にはきっと偉い人が来ているのだ。案外僕らは貴族とお近づきになれるかも知れないよ」と、ことごとくを好意的に解釈をして、「クリームを顔や手足にすっかり塗ってください」といった、少し首をかしげるような指示にも忠実に従い、次々と扉を開けていくのでした。

 すると、今度の扉には「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」と、書かれています。

 二人はぎょっとして、顔を見合せました。そして、これまでの不可思議な指示の意図を察します。全ては二人を料理にするための下準備だったのです。西洋料理店というのは、来た人に食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして食べる店を意味していたのです。



 あまりの恐ろしさに、二人は後ろの扉を開けて逃げ出そうとしますが、扉は少しも動こうとしませんでした。奥の扉の鍵穴からは青い目玉がふたつ、こちらを覗いています。二人の身体はガタガタと震え、ついに揃って泣き出してしまいました。

 前の扉の向こうからは、「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます」といった声が聞こえてきます。恐怖のあまり、二人の顔は、まるで紙くずのように、くしゃくしゃになってしまいました。

 そのときです。後ろの扉を突き破って、死んでいたはずの二匹の犬が突如現れ、奥の扉へと飛び込んで行きました。扉の向こうから「にゃあお、くゎあ、ごろごろ」という声が聞こえ、気付いたときには屋敷が煙のように消えていました。



 二人は、寒さに震えながら、草の中で立っています。辺りには上着や靴、財布やネクタイピンが散らばっています。犬が戻って来ました。そこに、「旦那あ、旦那あ」と、案内人が駆けつけて来ました。二人はやっと安心します。

―以下原文通り―

 そして猟師のもってきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。

青空文庫 『注文の多い料理店』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43754_17659.html

『注文の多い料理店』【解説と個人的な解釈】

 『注文の多い料理店』のテーマとして「自然と人間との関わり」「西洋化していく都会人への警笛」、この二つがあげられます。

 先ず「自然と人間との関わり」については、賢治が作品を通し、一貫して訴えていることです。山村に暮らす人々は、常に自然を敬い、恵みには感謝を忘れませんでした。

 けれども自然は、無慈悲にも冷害や干害などをもたらします。農業技師として尽力していた賢治にはそのことが痛いほど分かっていました。

 こうして真剣に自然と向き合っている人々がいるなか、東京から二人の英国風の紳士がやって来ます。二人の紳士は、狩猟といった娯楽をするために自然へと立ち入ります。身なりからいってもお金持ちなのでしょう。

 紳士たちはそもそも生き物の生命などに関心がありません。それは引き連れて来た猟犬も同じで、失えば金の損害としか考えていませんでした。そんな紳士たちが、次から次へと衣類や靴まで脱がされ、しまいには山猫に喰われそうになります。

 童話『注文の多い料理店』が出版される以前の日本は、日清・日露戦争、そして第一次世界大戦と立て続けに勝利してきました。また「大正デモクラシー」の時代でもありました。

 その後、大戦特需の好景気バブルははじけ、社会的には不況に陥り、農民は困窮に喘ぐことになります。しかしその中でも経済的に潤っていた人たちがいました。二人の紳士は、そんな人たちなのでしょう。

 結局、二人の紳士は助かりますが、恐ろしさのあまり紙くずのようになった顔のシワは東京に帰った後も戻りませんでした。それは「西洋化していく都会人への警笛」のように受け取ることができます。

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あとがき【『注文の多い料理店』の感想も交えて】

 宮沢賢治の作品は、人間と自然の境界がおぼろになり、異界で不思議な動植物に出会うといった設定が多いようです。『注文の多い料理店』も同様の設定です。

 最初に読んだとき、子供ながらも、登場人物の二人が英国紳士気取りで嫌な感じを受けました。そして読み進みながら、「この二人に天罰が下りやがれ!」と、思ったものです。その感覚は大人になってからも変わりませんでした。

 けれども、あるときふと考えたことがあります。それはわたしが、ビュッフェスタイルの食事をしたときでした。貧乏性ゆえか、気付いたときには、食べきれぬほどの料理を取り皿によそっていたのです。

 もしかしたら、前にも同じようなことをして、食べきれずに捨てていたのかも知れません。わたしは自分が恥ずかしくなりました。天からの恵みを粗末にするなら、英国紳士気取りの二人となんら変わりがありません。

 『注文の多い料理店』という作品は、都会に住んでいるブルジョア層への皮肉と言えるでしょうが、この皮肉は豊かになったわたしを含めた現代人、全ての人間に言えることです。

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