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『スローライフ&ミニマリスト』の先駆者、鴨長明の暮らし!

古き良き日本の再発見
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はじめに【ミニマリストについて】

 最近、雑談のなかで『ミニマリスト』という言葉を聞く機会が増えました。そんなこともあってか、本屋に立ち寄ったとき、無意識のうちに関連本の一冊を手に取っていました。

 読み進めていくと、なんだか不思議な感覚になっていきます。それは、わたしの幼少時代の暮らしそのものだったからです。勿論、現代の『ミニマリスト』の生活様式からお洒落さを取り除いたものですが・・・。

 まあ、わたしの場合、突き詰めて言えば、貧乏暮らしでした。欲しくても買えないのですから必要最小限の暮らしになります。その頃は正直、惨めなものでした。友達を家に連れて来ることなんて到底できません。

 そんなわたくしごとは置いといて、天変地異の多い我が国では、昔から一部の権力者を除いて『国民総ミニマリスト』だったと言えます。そのなかで、どうしてもひとりの随筆家を想像せざるを得ませんでした。

『ミニマリスト』とは?



 持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。

 物を持たずに暮らす人の意味では、2010年前後から海外で使われるようになり、その後日本でも広まったと見られる。何を持ち何を持たないかは人それぞれだが、少ない服を制服のように着回したり、一つの物を様々な用途に使ったりするほか、誰かと共有したり借りたりすることで、自分が所有する物を厳選している点が共通している。

 少ない物で豊かに暮らすという考え方自体は、環境問題の深刻化などを背景に以前からあった。近年は、物だけでなく多くの情報が流通する中で、たくさんの物を手に入れても満たされなかったり、多くの物に埋もれて必要な物が見えなくなったりして生きづらさを感じる人たちが増え、自分にとって本当に大事な物を見極めて必要な物だけを取り込むことで楽に生きたいと共感が広がっているようだ。

 必要な物だけを持つミニマリストの思想は、10年頃から流行した整理法「断捨離(だんしゃり)」などにも通じる考え方と言える。
(原田英美 ライター/2015年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
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『スローライフ&ミニマリスト』の先駆者、鴨長明の暮らし!

鴨長明(かものちょうめい)とは?

 鴨長明は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人、随筆家です。(1155?-1216)

 賀茂御祖(みおや)神社(下鴨神社)の禰宜(ねぎ)、鴨長継の次男として京都に生まれます。応保元年(1161年)従五位下に叙せられますが、父・長継が没した後は後ろ盾を失い、跡目争いに敗北してしまいます。



 琵琶を中原有安に、和歌を(しゅん)(えい)に学び、その才能は多才であったため、後鳥羽上皇の和歌所設置のときには、寄人(よりうど)に選ばれます。

 元久元年(1204年)、かねてより望んでいた河合(ただす)神社の禰宜の職に欠員が生じたことから長明は就任を望み、後鳥羽院から推挙の内意も得ます。

 しかし、同族の鴨祐兼(すけかね)の反対もあり実現しませんでした。これを機に、50歳のときに出家をします。法名を(れん)(いん)と号し、日野の外山に隠棲(いんせい)しました。

 建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は、日本の三大随筆のひとつとして有名ですが、他にも歌論書『無名抄(むみょうしょう)』、説話集『発心集(ほっしんしゅう)』、歌集として『鴨長明集』といった作品が残されています。

『方丈記(ほうじょうき)』とは?

 『方丈記』とは、鴨長明による鎌倉時代の随筆です。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられています。

 鴨長明は晩年、京の郊外・日野山(日野岳、京都市伏見区日野)に一丈四方(方丈)の小庵をむすび隠棲しましたが、庵に住みつつ当時の世間を観察し、書き記した記録であることから、自ら『方丈記』と名付けました。



 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の書き出し文は有名ですが、仏教的な無常観と深い自照性をもち、隠者文学の代表とされ、その文章は和漢混淆(こんこう)文の完成形とも評価されています。

『方丈記』に記された鴨長明の暮らしぶり

 鴨長明が隠遁生活を送るようになったのは五十歳の頃のようです。理由は、世の中を襲う度重なる災害や、権力争いなどの欲にまみれた人間社会から、言わば逃れるためでした。

 京都府伏見区にある日野山(日野岳)の奥深くに庵を結び、簡素な暮らしを実践します。庵について長明は『方丈記』のなかでこのように書いています。

 その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。

[現代語訳]
 その家のありさま、世間の常識から離れている。広さはわずかに一丈四方[ざっと三メートル四方]で、高さは七尺[二メートルちょっと]にも満たない。場所を思い定めているわけではないので、土地を所有して作ってはいない。土台を組み、簡単な屋根を葺いて、材木の継ぎ目ごとに、掛け金をかけてある。もし、気にいらないことがあったら、簡単に他の場所へ移そうと思うからである。その改築することには、どれほどの面倒があろうか。

 『方丈記』というタイトルは、この庵に由来しています。家の大きさは三メートル四方と、とても小さなものでした。

 とりわけ、現代風に言うと移動可能なトレーラーハウスのような感じでしょうか。どんな建物なのかは次のように書いています。

 いま日野山の奧にあとをかくして後、東にかりの日がくしをさし出して、柴折りくぶるよすがとす。南、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには北の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、そばに普賢をかき、前に法華経を置けり。東の際に蕨のほとろを敷きて、夜の床とす。

 西南に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置けり。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。仮の庵のありやう、かくのごとし。

[現代語訳]
 今、日野山の奥に痕跡を隠して住むようになってからは、東に三尺余りの庇をさしかけて、柴を折って燃やす落ち着き場所とする。南は、竹の縁側を作り、その西閼伽(あか)棚を作り、北に寄せて、衝立を隔てて、阿弥陀仏の絵像を据え置き、そばに普賢菩薩の絵像をかけ、前に法華経を置いている。東の端に、蕨の穂がほおけたものを敷いて、夜の寝床とする。

 西南に竹の吊り棚を取り付けて、黒い皮を張ったかごを三つ置いている。そして、和歌や音楽の書物、往生要集のような抜き書きを入れている。そのそばに、琴と琵琶をそれぞれ一つ立てている。世間でいう折り琴、継ぎ琵琶がこれである。かりそめの庵の様子は、このようである。


   方丈庵(復元)下賀茂神社

 まるで趣味部屋の中を居住空間にしているようです。隠れ家的な感覚なのでしょうか。それにしても憧れます。そんな生活を送っていた鴨長明でしたが、どのような心境だったか次のように書いています。

 大かた此所に住みそめし時は、あからさまとおもひしかど、今までに五とせを經たり。假の庵もややふる屋となりて、軒にはくちばふかく、土居に苔むせり。おのづから、事のたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、やごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。

 ましてその数ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。ただかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。

 がうなはちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるるが故なり。我またかくのごとし。身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、ただしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。

[現代語訳]
 だいたい、この場所に住み始めた時は、ほんのしばらくのことと思っていたのであるが、今はもう、五年を経過してしまった。仮の庵も次第に住みなれた所となって、軒には朽ちた落ち葉が厚く積もり、土台には苔が生えている。たまたま何かのついでに都の様子を聞くと、この山に引きこもっているようになって以後、高貴な人がお亡くなりになった話もたくさん耳に入ってくる。

 まして、ものの数にも入らない人の類は、全て知り尽くすことはできない。たびたびの火災で滅んだ家は、また、どれほどであろうか。ただ、仮の庵だけが穏やかで、何の恐れもない。面積は狭いとはいっても、夜寝る床があり、昼座る場所もある。我が身一つを宿らせるのに不足はない。

 やどかりは、小さい貝殻を好む。これは身の程を知っているからである。みさごは、荒磯に住む。つまり、人を恐れているからである。私もまた、これと同じである。身の程を知り、世間を知っているので、野心を持たず、あくせくしない。ただ静穏であることを望みとし、不安がないのを楽しみとしている。

 鴨長明の生きていた時代と現代、そう変わりがないようです。まさに不安こそが人間にとって最大の障害と言えるでしょう。


青空文庫 『方丈記』 鴨長明
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あとがき【『貧の思想』について】

 ミリマリスの “ 必要最小限の物だけで豊かに暮らす ” といった思想は、鴨長明を始め、西行法師、吉田兼好、良寛和尚、その他大勢の文人、思想家、または宗教家などが追求してきた『(ひん)の思想』に、通じるものがあると思います。

 豊かさとは物ではなく心の要素が大きいという考えも同じです。ただひとつ、現代との違いは、「お洒落さ」を求めていないところでしょうか。その部分は時代が違うのですから仕方がありません。それはスローライフにおいても同様です。

 ただ、形から入り過ぎると、どこかで心に歪が生まれます。鴨長明の場合は琴や琵琶、そして文芸といった心の拠り所(よりどころ)がありました。必要最小限の物だけで暮らすにしろ、自分にとって大切な何かは必ず、近くに置いておくべきだと考えます。

 いずれにしても、生活様式を考えられるということは、心だけじゃなく金銭的にも豊かだからです。そのことを忘れてはいけません。―――強いられた貧困においては、ぎりぎりの衣食住を賄うのに精一杯なのですから。

良寛の『九十戒語』から日本人の言葉を今一度考える!

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