はじめに【木花咲耶姫のこと】
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)―――初めてこの名前を耳にしたとき、わたしは「これほど想像を掻き立てる名前はないだろう。」と、単純に感嘆したものでした。もしも、“ 名は体を表す ” という言葉どおりなら、美しく儚いといった印象でしょうか。
コノハナサクヤヒメとは、日本神話に登場する女神のことで、神話では天孫降臨をしたニニギノミコトに求婚され、のちに結婚をし、三柱の子を産みます。
さて、木花咲耶姫と聞いて、どの花を連想するでしょうか。
わたしはやはり、“ 桜 ” を連想してしまいます。きっとそれはわたし一人ではないでしょう。咲き誇ると頃はもちろんのこと、散ってからも心を躍らせ続けています。
日本人と『桜』【花を愛でるという美しい表現!】
お花見の歴史
奈良~平安時代
日本でのお花見の起源は、奈良時代の貴族の行事からだと伝えられています。しかし当時のお花見といえば、中国から伝来したばかりの “ 梅 ” の鑑賞を指すもので、それが “ 桜 ” に代わるようになったのは平安時代なってからでした。
これは和歌集からひも解くことができ、『万葉集』(奈良時代末期)に詠まれた梅の歌は110首程度もあるのに対し、桜の歌は43首でした。それが『古今和歌集』(平安時代前期)になると、桜が70首に対し梅が18首と逆転しています。
『日本後紀』には、嵯峨天皇が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に神泉苑にて「花宴の節」を催したとあり、平安時代前期であった為、時期的に “ 桜 ” が主役だったと思われ、これが記録に残る花見の初出とされています。
また、紫式部は『源氏物語』の花宴(はなのえん)に、紫宸殿で開催された桜の宴の様子を描いています。現在、お花見の名所として知られる京都・東山も、この頃に誕生したと考えられています。
小野小町(鈴木春信画)
桜にまつわる和歌【奈良~平安時代】
鶯の鳴き散らすらむ春の花 いつしか君と手折りかざさむ
[現代語訳]
鶯が鳴いては散らしているだろう春の花を、早くあなたと手折って髪に挿したいものです。
大伴家持(おおとも の やかもち)『万葉集』
花の色は昔ながらに見し人の 心のみこそうつろひにけれ
[現代語訳]
二人で見た桜花の美しい色は昔のままですが、あなたの心は変わってしまいました。それが残念でなりません。
元良親王(もとよししんのう)『後撰和歌集』
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
[現代語訳]
この世の中に、全く桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう。
在原業平(ありわら の なりひら)『古今和歌集』『伊勢物語』
山桜霞の間よりほのかにも 見てし人こそ恋しかりけれ
[現代語訳]
山桜が霞の間からちらりと見えたように、ちらりとだけ見たあの人のことが恋しく思われるのです。
紀貫之(き の つらゆき)『古今和歌集』
花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
[現代語訳]
桜の花は色あせてしまいました。長雨が降り続く間に。むなしく私もこの世で月日を過ごしてしまいました。物思いにふけっている間に。
小野小町(おの の こまち)『小倉百人一首』
ひさかたのひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
[現代語訳]
こんなに日の光がのどかに射している春の日に、なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。
紀友則(き の とものり)『小倉百人一首』
ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらきの望月のころ
[現代語訳]
願うことには、桜の花が咲いているもとで春に死にたいものです。それも、(釈迦が入滅したとされている)陰暦の二月十五日の満月の頃に。
西行(さいぎょう)『山家集』『続古今和歌集』
西行像(MOA美術館蔵)
鎌倉~室町時代
鎌倉・室町時代には貴族の花見の風習が武士階級にも広がっていきます。それは吉田兼好の随筆『徒然草』にも見られ、兼好法師は、散ってからの桜も趣があると書いています。また、既に地方でも花見の宴が催されていたことが窺えます。
『徒然草』第137段
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。
歌の詞書にも、『花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ』とも、『障る事ありてまからで』なども書けるは、『花を見て』と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、『この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし』などは言ふめる。
[現代語訳]
桜は満開、月は満月だけが見る価値があるべきものなのか。雨の日に月を恋しく思い、簾を垂れて部屋にこもって、春の行方を知らないでいるのも情趣が深い。花が咲く頃の梢であるとか、散って萎れた花びらが舞う庭だとかにも見所がある。
歌の詞に『花見に参ったのに、早くも散り過ぎていて』とか、『支障があって、花を見ることができず』などと書くのは、『花を見て』と言うのに劣っているのだろうか。花が散り、月が傾くのを恋しく慕うのは習いであるが、特にあわれの感情を知らない人は、『この枝も、あの枝も散りに散っていて、すでに見所がない』なんて言ってしまうものだ。
吉田兼好(『前賢故実』 菊池容斎画 明治時代)
戦国~江戸時代
安土桃山時代になると、豊臣秀吉が行った大がかりな花見が世間を賑わせます。『吉野の花見』(1594年)は、大坂から奈良の吉野山に、1000本もの桜を移植したたうえに、徳川家康や前田利家などの有力武将らを5000人も招きました。
『醍醐の花見』(1598年)では、京都の醍醐寺に700本の桜を移植し、1300人を招いたことが記されています。そして花見の風習が広く庶民にまで広まるのは、江戸時代の中頃になってからだと云われ、8代将軍・徳川吉宗が花見を奨励したことが背景になっています。
将軍吉宗は庶民の行楽のための桜の名所を江戸の各地につくります。王子駅近くの飛鳥山や墨田川の川沿い、品川区の御殿山などが有名ですが、そこで催された花見の宴では身分を問わず無礼講が許され、江戸庶民は花見を心待ちにするようになっていきます。
江戸時代末期には、エドヒガン(江戸彼岸)とオオシマザクラ(大島桜)の雑種が交雑してできたソメイヨシノ(染井吉野)が植木職人により開発され、その後、日本各地に植えられていくようになっていきます。
桜にまつわる和歌・俳句【江戸時代】
敷島の大和心を人問わば 朝日ににほふ山桜花
[現代語訳]
日本人の心とは何でしょうかと人が問うならば、朝日に照り映える山桜の花(と答えよう)。
国学者・本居宣長(もとおりのりなが)
いざ子ども山べにゆかむ桜見に 明日ともいはば散りもこそせめ
[現代語訳]
さあ子どもたちよ、山のあたりに桜を見に行こう。明日行くなんて言っていたら散ってしまうよ。
良寛(りょうかん)
良寛
散る桜 残る桜も 散る桜
[意味]
どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。
良寛(りょうかん)
世の中は 桜の花に なりにけり
[意味]
世の人は栄華を楽しんでいるが、私は世の人について行けない。淋しいものだ。
良寛(りょうかん)
糸桜 こやかへるさの 足もつれ
[意味]
糸桜を眺めて、これはまあ(何としたことか)、帰る際に足がもつれる。
松尾芭蕉(まつお ばしょう)
ゆき暮て 雨もる宿や 糸ざくら
[意味]
行き暮れて、あわてて一夜の宿を求めたら雨漏りのする宿だった。「まぁ、庭の糸桜がきれいだから許すとするか」
与謝蕪村(よさ ぶそん)
与謝蕪村(呉春作)
明治時代~現代
明治に入ると、桜が植えられていた江戸の庭園や大名屋敷は次々と取り壊され、桜も焚き木とされるなどして、江戸時代に改良された多くの品種も絶滅の危機に瀕してしまいます。しかし、この事態を憂いた高木孫右衛門という植木職人が残った桜を集め、自宅の庭に植え替え保存しました。その桜の数は、80種類以上であったといわれています。
その後、孫右衛門は荒川堤の桜並木の造成に協力します。この桜並木は新たな桜の名所として、庶民の間に定着していきました。こうした植木職人の尽力により、78種が植栽された荒川の桜は各地の研究施設に移植され、品種の保存が行なわれます。そして全国へと広がっていき、現在に至っています。
桜にまつわる和歌・俳句【明治時代~現代】
清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みな美しき
[現代語訳]
清水に行こうと祇園を通り過ぎると、桜が咲き誇る朧月夜。今夜すれちがう人々は、誰もみな美しく見えました。
与謝野晶子『第一歌集・みだれ髪』
与謝野晶子
いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみの ちりそめぬれば五月はきたる
[現代語訳]
薄黄色の桜が最後なのだろう。かなしくも散り始めてしまうと5月がくるのだなぁ。
北原白秋
から山の風すさふなり古さとの 墨田の櫻今か散るらん
[現代語訳]
乾いた山から風が吹きすさんでいる。ふるさとの隅田の桜も今にも散ろうとしているのでしょう。
正岡子規
観音の 大悲の桜 咲きにけり
[意味]
観音様をおまつりしたお堂の境内の桜が、みほとけの深い慈しみのお心のおかげだろうか、美しく咲きそろったことであるよ。
正岡子規
正岡 子規
あとがき【桜の名所について】
日本各地には桜の名所があります。その中でも、吉野山(奈良県)の山桜、弘前城公園(青森県)のソメイヨシノ、そして高遠城址公園(長野県)のタカトオコヒガンザクラは「日本三大桜の名所」と呼ばれています。
また、「日本三大桜」として、三春滝桜(福島県)、神代桜(山梨県)、淡墨桜(岐阜県)が有名です。どこもかしこも、わたし自身、一度は見に行きたいと思っている桜の名所です。だからと言って、簡単に行けるわけではありません。
ところが、日本という国は親切で、色んな場所で桜を見ることができます。近所の公園、河川敷、街路樹などでの、桜を鑑賞することができます。本当に幸せなことです。
こんなご時世ですし、自分ひとりだけの桜の名所を見つけるのも悪くないかも知れません。それが、まだうら若き桜の木だとしても、今後は成長を見届けることができます。そして、春の訪れを一緒に祝ってくれます。
ともかくとして、日本人に生まれて良かったと、しみじみ感じている今日この頃です。
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