はじめに【ひと、もの、かねを地域内循環】
地域コミュニティのあり方については、行政及び各関係団体、そして研究者や有識者などのあいだで様々な議論が取り交わされてきました。
具体的な政策も施行され、なかには成功例も報告されています。
しかしながら成功例と言っても、地域活動を活性化するための仕組みづくりまでです。
地域で仕事をつくり、収入を得ることで、ひと、もの、かねを地域内循環させなければ、本当の意味での成功例とは言えないでしょう。
そこで前回は、日本古来から伝わる地域コミュニティのかたちを、もう一度考えてみようと思い、『結い』について書きました。
人々のこころとこころを繋いで結ぶ!【『結い』を考える】
が、日本には、『結い』のほかにも、『もやい』や『講』といった相互扶助の仕組みがあったのをご存知でしょうか。
こころの支えと安心は地域から!【結い・もやい・講】
『結い』についてのおさらい
『結い』とは労力を提供しあって互いの暮らしを支えあうコミュニティの姿でした。
ここで言う「労力」は、こんにち「労働」と呼ばれているものとは大分違っています。
第一に、ここには報酬がありません。将来自分も手助けしてもらえることが期待できるだけです。
第二に、『結い』で支え合うのは生産だけではなく、家の保全や冠婚葬祭にもかかわり、集まった人々の食事の仕度も含まれます。「労働」というよりは「仕事」に近く、生活のさまざまな局面での「働き」、市場経済システムでは対価が与えられないものまでも評価されていました。
『結い』を助け『結い』に助けられることは、協働態の成員にとって権利でもあり義務でもありました。
『もやい』~物と労働を融通しあう
『もやい』とは、互いに労働や資材を出し合って一つの仕事をする共同労働のことです。
古くから漁村などでこの制度は取り入れられていて、共同出資して船を造ったり、その出資金を基に地曳網を経営し、漁獲物を分配したりしていました。
『もやい』も、地域コミュニティ内での相互扶助を目的としている点では『結い』と同じですが、その性質は全く異なります。
『結い』のおさらい部分で、『結い』は、市場経済システムでは対価が与えられないものまでも評価されると言いましたが、一方『もやい』の場合、市場経済システムでの対価のみの相互扶助活動といったかたちでした。
そうです。こんにちの「労働」と近いのかも知れません。
ついでに言うと『もやい』は、共同労働だけでなく,共同施設や共有財産を持つこともあります。
『講』~心も物も融通しあう
もともと『講』は、信仰にもとづく人びとの集まりでした。
経典の講義を意味する仏教の用語は、中世から近世にかけて、地域社会や職人集団が民俗信仰にかかわる年中行事を開き、親睦を深めながらお互いに助け合うものへと広がっていきます。
『講』は、地蔵講や二十三夜講というかたちで、こんにちでも地域社会のなかに残っています。
たとえば、集落のお婆さんたちが少しずつ食べものを持ち寄って、地蔵や月を拝みながら語らい、ささやかな宴で心を癒すといったものです。
これらの『講』は、お婆さんたちの悩みも楽しみも共有し、心の支えとなっています。
これが変じて、わずかなお金を積み立てながら、あるいは共有の田畑を耕しながら、共有財産をもち集落の事業に充てたり、物品を必要とする家に順繰りに融通するということも行なわれるようになりました。地域のお金を必要な場所に再投下するのです。
『講』が少しずつお金を貯めて、何年に一度かは代表を伊勢詣でに送る、ということもありました。
代参する者は籤引きなどで決められ、講を代表して行くわけだから、護符を買って持ち帰り、皆に配らなければなりません。が、旅は当然物見遊山をともない、籤に中った者が観光を楽しむという側面も持っていました。
無尽講(頼母子講)もこの延長線上にあります。
お金を積み立てながら宴会などの楽しみを催すが、時に困っている構成員に順繰りに貸すこともあります。
『講』はコミュニティの銀行のようなものでした。
じっさいに、のちの相互銀行はここから誕生しています。
あとがき【共存共栄の意識を最大限に!】
『結い』『もやい』『講』と、日本で古くから受け継がれてきた、協働態(共同体)について書いてきました。
いずれにしても地域コミュニティのあり方を考えたとき、ひとりひとりが “ 共存共栄の意識を最大限に持つ ” ことが重要になってくると思います。
月並みですが、相田みつを氏の言葉を借りると、
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる 」です。
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