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宮沢賢治『水仙月の四日』あらすじと解説【自然の残虐さと愛情!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【『遠野物語103』雪女のはなし】

 柳田国男の『遠野物語』に雪女のはなしがあります。

小正月の夜、または小正月ではなくとも冬の満月の夜は、雪女が出てきて遊ぶという。子どもをたくさん引き連れてくるという。里の子どもは冬は近辺の丘に行き、そり遊びをして面白さのあまり夜になることがあり。

十五日の夜に限っては、雪女が出るから早く帰れと(いまし)められるのはいつものことである。しかし雪女を見たという者は少ない。
(『遠野物語103』柳田国男)

 今回ご紹介するのは、宮沢賢治の童話『水仙月の四日』です。この物語には雪女ならぬ「雪婆んご」が登場します。『遠野物語』の舞台、岩手県遠野市と、宮沢賢治の生まれ育った花巻市との距離は約50キロメートルです。もしかしたら賢治も雪女の話を聞いて育ったのでしょうか?

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宮沢賢治『水仙月の四日』あらすじと解説【自然の残虐さと愛情!】

宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10(1921)年からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15(1926)年、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8(1933)年9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名付けたことでも知られています。

花巻農学校教諭時代の宮沢賢治

 宮沢賢治の人生を詳しく知りたい方は 宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】、また、宮沢賢治に関係する人々のことを知りたい方は、宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】 を、ご覧になって下さい。

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15(1926)年に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。

   羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

童話『水仙月の四日』(すいせんずきのよっか)について

 童話『水仙月の四日』は、大正13(1924)年に出版された、宮沢賢治の最初の童話集『注文の多い料理店』に収録された作品のひとつです。この童話集は、盛岡市の杜陵出版部と東京光原社を発売元として1000部が自費出版同然に出版されました。

 本書の出版は宮沢賢治が盛岡高等農林時代の1年後輩、近森善一と及川四郎の協力によって実現します。しかし値段が1円60銭と比較的高価だったため、実際に売れたのは、せいぜい30から40部くらいでした。

 このとき賢治が200部を買い取ったとの記録が残っています。ちなみに、もしも1000部が完売していたなら1600円になりますが、当時は家一軒が買えた値段でした。

童話集『注文の多い料理店』収録作品
『注文の多い料理店』(初版復刻昭和52)

『どんぐりと山猫』
『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』
『注文の多い料理店』
『烏の北斗七星』
・『水仙月の四日』
・『山男の四月』
・『かしわばやしの夜』
『月夜のでんしんばしら』
『鹿踊りのはじまり』

『水仙月の四日』あらすじ(ネタバレ注意!)

※物語には、(ゆき)()んご(冬の魔女)、(ゆき)童子(わらす)(雪の妖精)、(ゆき)(おいの)(雪童子のしもべ)という、賢治のオリジナルキャラクターが登場します。

 ひとりの子どもが、赤い毛布(けっと)にくるまって、カリメラ(カルメ焼き)のことを考えながら、雪の中、家路を急いでいました。二匹の(ゆき)(おいの)が、(ゆき)(おか)のほうを歩いています。人間の目に雪狼の姿は見えません。

 けれども雪狼がいっぺん狂い出すと、たちまち吹雪を巻き起こすのでした。雪狼の後ろから(ゆき)童子(わらす)がゆっくり歩いて来ます。「カシオピイア、もう水仙が咲き出すぞ。おまえのガラスの水車(みずぐるま)きっきとまわせ。」

 雪童子は真っ青な空を見上げて、見えない星に叫びました。「アンドロメダ、あぜみの花がもう咲くぞ、おまえのラムプのアルコホル、しゅうしゅと()かせ。」

 雪丘にのぼった雪童子は、雪狼に、栗の木から “ やどりぎ ” の枝を取ってこいと命じます。 “ やどりぎ ” の枝を手にした雪童子は、丘のふもとに眼を落とします。すると赤毛(あかケッ)()を着た子どもが雪道を急いでいました。

 雪童子は笑いながら、 “ やどりぎ ” の枝を、ぷいっと子どもに投げつけます。その枝は子どもの前に落ちました。びっくりした子どもは枝をひろって、あちこちを見まわします。

 雪童子は笑いながら、革むちを一つひゅうと鳴らしました。すると真っ白な雪が一面に落ちてきました。子どもは “ やどりぎ ” の枝を持って一生懸命歩き出します。

 西北の方から少し風が吹いてきました。雪童子は、その風の来る方をじっと見ます。(おいの)どももしきりにそっちを望みました。雪はしだいに強くなり、風は引き裂くように鳴り出します。

 その裂くような、()えるような風の音の中から、「ひゅうひゅうひゅう、降らすんだよ、飛ばすんだよ、今日は水仙(すいせん)(づき)の四日だよ。ひゅう。」と、あやしい声が聞こえてきました。―――(ゆき)()んごがやってきたのです。

 西の方から連れて来られた三人の雪童子も、皮むちを鳴らして行ったり来たりしています。雪けむりで、どこが丘か空なのか分かりません。聞こえるのは雪婆んごの叫び声と、三人の雪童子のむちの音、そして九匹の雪狼どもの息の音ばかりでした。

 そんな中雪童子は、泣いているさっきの子供の声を聞きます。雪童子はまっすぐそっちへ駆けて行きました。すると、赤い毛布(ケット)かぶったさっきの子供が雪の中に倒れていたのです。「毛布(ケット)をかぶって、うつむけになっておいで!」雪童子は走りながら叫びます。

 けれども子供には、ただの風の音としか聞こえませんでした。子どもは泣きながら起き上がろうとしてもがいています。その時、雪婆んごがやって来て、「おや、おかしな子がいるね。こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの。」と言いました。

 雪童子は、「そうです。さあ、死んでしまえ!」と言い、子どもにわざとぶつかって倒します。そして小声で、「倒れているんだよ。動いちゃいけない。」と囁きます。雪婆んごは、向こうへ飛んで行きました。

 そのうち力つきた子どもは、起き上がろうとしなくなります。雪童子は、赤い毛布(ケット)を上からかけてやりました。「布団をたくさんかけてあげるから。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで。」雪童子はそう言って、雪をたくさん子どもの上にかぶせました。

 「あの子どもは、ぼくのやった “ やどりぎ ” を持っていた。」雪童子は、つぶやきます。「ここらは水仙月の四日なんだから、休んじゃいけない。さあ、降らしておくれ。ひゅうひゅうひゅう。」雪婆んごが、遠くの風の中で叫びます。

 雪は一晩中降り続きました。そして夜明け近くになると雪婆んごは、「あたしはこれから海の方へ行くからね。」と言い残して、東の方へ駆けて行きました。空はすっかり晴れて、雪は青白く光ります。

 雪童子らは互いに挨拶を交わしました。「さっき子どもが一人死んだな。」「大丈夫だよ。眠ってるんだ。」三人の雪童子は九匹の雪狼をつれて、西の方へ帰って行きます。丘も野原も雪でいっぱいでした。

 「夜があけたから、あの子どもを起さなきゃいけない。」雪童子は、走って子どもの埋まっているところへ行きます。「さあ、ここらの雪をちらしておくれ。」雪狼どもは、雪を煙のように飛ばしました。赤い毛布(ケット)の端が雪から出てきます。

 かんじきを履き、毛皮を着た人が村の方から急いでやって来ました。「お父さんが来たよ。眼をおさまし。」雪童子は丘に駆け上がって叫びます。子どもはちらっと動いたようでした。毛皮の人は一生懸命に走って来ました。

青空文庫 『水仙月の四日』 宮沢賢治
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『水仙月の四日』【解説と個人的な解釈】

 先ず、タイトルの『水仙月の四日』についてですが、宮沢賢治の生まれ育った岩手県の水仙の開花は4月です。ですから「水仙月」とは4月と考えられます。

 物語の中で「雪婆んご」は、春の訪れを告げる「大雪」を降らす魔女として登場します。「雪童子」は、しもべの「雪狼」とともにそれを手助けする役目を担っています。

 その中で注目したいのは「雪婆んご」と「雪童子」の、遭難した子どもへの対応の違いです。子どもの命を「とっておしまい」と冷酷に言ってのける「雪婆んご」に対し、「雪童子」は優しさを持って接し、助けています。

 宮沢賢治はこの作品で “ 自然 ” の二面性を訴えたかったのでしょう。自然はときに、人間に対し猛威を奮います。と同時に大地の恵みを人間に与えてくれます。つまり、童話『水仙月の四日』は、自然と人間の関係性を描いた文学作品と考えられます。

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あとがき【『水仙月の四日』の感想を交えて】

 雪国生まれ、そして雪国育ちのわたしも、何度か雪で怖い思いをしたことがあります。少年の頃、家とそんなに離れていない空き地で雪遊びをしていたとき、猛吹雪に襲われ、家に帰ろうとしたものの、気づいたら逆方向に歩いていて、道に迷っていました。

 中学校のスキー教室で、同級生何人かとコースを外れたこともあります。そのときは発見が早かったおかげで危うく難を逃れましたが、もちろん先生から大目玉くらいました。

 そして何よりも恐怖を感じたのは、運転中の「ホワイトアウト」ってやつです。雪で視界が閉ざされ、路肩に積み上げられていた雪の壁に突っ込んで車は大破、命には別条ありませんでしたが、大怪我をしてしまいました。

 わたし事はともかくとして、雪にまつわる事故は後を絶ちません。各地に伝わる「雪女」の伝承は、冬の厳しさや雪の怖さを、子供たちの教えるための一つの教材だったと言えます。宮沢賢治も童話『水仙月の四日』にそんな思いを込めていたのかも知れません。

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