スポンサーリンク

宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』あらすじと解説【自然への畏敬!】

名著から学ぶ(童話)
スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに【岩手の山と宮沢賢治】

 明治42(1909)年、花巻尋常小学校を卒業した宮沢賢治は、岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)に進学します。ちなみに当時歌人として世に知られていた石川啄木も盛岡中学です。啄木の影響もあり、この頃から賢治は歌を詠むようになります。

 鬼越の山の麓の谷川に 瑪瑙(めのう)のかけらひろひ(きた)りぬ

 鬼越の山とは盛岡市に隣接する滝沢市にそびえる山のことです。この歌にあるように、賢治は盛岡に来てから本格的に、岩手山を始めとする岩手の山々を歩き回るようになります。しばしば山中で野宿することもあったと言います。

 今回はそんな賢治の山や自然への想いが見事に描かれた、童話『狼森と笊森、盗森』をご紹介します。

スポンサーリンク

宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』あらすじと解説【自然への畏敬!】

宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10(1921)年からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15(1926)年、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8(1933)年9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名付けたことでも知られています。

花巻農学校教諭時代の宮沢賢治

 宮沢賢治の人生を詳しく知りたい方は 宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】、また、宮沢賢治に関係する人々のことを知りたい方は、宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】 を、ご覧になって下さい。

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15(1926)年に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。

  羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシ

童話『狼森と笊森、盗森』(おいのもりとざるもり、ぬすともり)について

 童話『狼森と笊森、盗森』は、大正13(1924)年に出版された、宮沢賢治の最初の童話集『注文の多い料理店』に収録された作品のひとつです。この童話集は、盛岡市の杜陵出版部と東京光原社を発売元として1000部が自費出版同然に出版されました。

 本書の出版は宮沢賢治が盛岡高等農林時代の1年後輩、近森善一と及川四郎の協力によって実現します。しかし値段が1円60銭と比較的高価だったため、実際に売れたのは、せいぜい30から40部くらいでした。

 このとき賢治が200部を買い取ったとの記録が残っています。ちなみに、もしも1000部が完売していたなら1600円になりますが、当時は家一軒が買えた値段でした。

童話集『注文の多い料理店』収録作品
『注文の多い料理店』(初版復刻昭和52)

『どんぐりと山猫』
・『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』
『注文の多い料理店』
『烏の北斗七星』
『水仙月の四日』
・『山男の四月』
・『かしわばやしの夜』
『月夜のでんしんばしら』
『鹿踊りのはじまり』

『狼森と笊森、盗森』あらすじ(ネタバレ注意!)

※物語は黒板森の(おお)きな(いわ)が、森の由来を「私」に聞かせてくれるといった設定になっています。

 小岩井農場の北に、(おいの)(もり)(ざる)(もり)、黒坂森、(ぬすと)(もり)という松の森が四つあります。ずっと昔、岩手山が何べんも噴火しました。噴火がやっとしずまると草木が生えてきて、今の四つの森ができます。けれども森にはまだ名前がついていませんでした。

 ある日、四人の百姓が、()()(くわ)を持って、この森にかこまれた小さな野原にやって来ます。先頭の百姓が、「どうだ、いいところだろう。畑はすぐ起こせるし、森は近いし、きれいな水も流れている。それに日当たりもいい。」と言いました。

 四人は喜んで背中の荷物をおろし、来た方向を向いて叫びます。「おおい、ここだぞ。早く()お!」すると、三人のおかみさんと、九人の子供がやって来ました。

 四人の男たちは声をそろえて叫びます。「ここへ畑起こして家を建ててもいいかあ。」「いいぞお。」森がいっぺんに答えました。みんなはまた叫びます。「少し木を貰ってここで火を()いてもいいかあ。」「よおし。」森はいっせいに答えました。

 その日、小さな丸太小屋ができます。次の日から男たちは野原の草を起こし、女たちは栗の実を集めたり、松を()って(たきぎ)をつくったりしました。そしてまもなく冬がやって来ます。森は冬のあいだ、一生懸命、北からの風を防いでやりました。

 春になって小屋が二つになります。蕎麦(そば)(ひえ)の種がまかれ、秋には豊作となりました。畑も増えて小屋も三つになります。そんなある日、九人の子供たちの中の、小さな四人の姿が見えなくなったのでした。

 みんなは、あちこち探しましたが、子供たちの姿は見えません。そこでみんな一緒に叫びます。「だれか(わら)しやど知らないか。」「知らない。」森はいっぺんに答えました。「そんだらさがしに行くぞお。」「()お。」森はいっせいに答えました。

 みんなは農具を持ち、一番近い(おいの)(もり)に行きます。すると森の奥の方で(おいの)が九匹、焚き火のまわりを踊り歩いていたのでした。近くへ行くと、いなくなった四人の子供が火に向かって焼いた栗や初茸(はつたけ)などを食べています。

 そこで、声をそろえて叫びました。「狼どの、童しやど返してけろ。」狼は森のもっと奥へ逃げて行きます。子供たちを連れて帰ろうとすると、「悪く思わないでけろ。栗だの、うんとご馳走したぞ。」と狼の叫ぶ声が聞こえました。みんなは家に帰ると、(あわ)(もち)を作ってお礼に狼森に置いて来ました。

 翌年の春になると子供が十一人になり、馬も二頭増えます。この年も豊作で、みんなは喜びました。ところが霜柱(しもばしら)の立った寒い朝のことです。すべての農具が消えていたのです。みんなは一生懸命探しましたが見つかりません。

 それで仕方なく一緒に高く叫びます。「おらの道具知らないかあ。」「知らないぞお。」森はいっぺんに答えました。「探しに行くぞお。」「来お。」森はいっせいに答えました。先ず一番近い狼森に行きましたが、狼が九匹出て来て、「無い。」と言います。

 それから西の方の(ざる)(もり)に行きました。森の奥へ入って行くと、一本の(かしわ)の木の下に大きな笊が伏せてあります。それを開けて見ると、消えた農具とともに山男が、「バア!」と言って出て来たのです。

 大人たちは山男に、「これからいたずら()めてけろよ。」と言いました。農具を持って帰ろうとすると、山男は、「おらさも粟餅持って来てけろよ。」と叫び、森のもっと奥へ走って行きました。みんなは家に帰ると、粟餅を作って狼森と笊森に置いて来ました。

 次の年、野原はすべて畑になり、馬も三頭になります。この年も豊作でみんなの喜びも大変なものでした。どんな大きな粟餅を作っても大丈夫だと思ったからです。ところがやっぱり不思議なことが起こったのでした。納屋の中の粟が全部無くなってしまったのです。

 みんなはがっかりして叫びます。「おらの粟知らないかあ。」「知らないぞお。」森はいっぺんに答えました。「探しに行くぞお。」「来お。」森はいっせいに答えました。先ず狼森へ行きます。けれども狼が九匹出て来て、「ここに粟なんて無い。」と言いました。

 今度は笊森へ行きます。すると山男が出て来て、「おらは取らないよ。粟をさがすならもっと北に行って見たらよかべ。」と言いました。みんなは今度、このはなしを「私」に聞かせた黒板森の入口へ行き、「粟を返してけろ。」と言いました。

 黒板森は声だけで答えます。「明け方、真っ黒な大きな足が、空を北へ飛んで行くのを見た。」黒板森は粟餅のことを一言も言いませんでした。みんなはもう少し北の方の(ぬす)(もり)へ行き、「さあ、粟返せ。」と怒鳴ります。

 すると森の奥から、真っ黒な手の大男が出て来て、「おれを盗人(ぬすっと)だと言うやつは、みんな叩き潰してやる。」と怒鳴り返して来ました。みんなは恐ろしくなって逃げ出そうとします。すると、「いやいや、それはならん。」と(おごそ)かな声が聞こえて来ました。

 見るとそれは岩手山でした。盗森の黒い男は頭を抱えて地に倒れます。岩手山は静かに言いました。「盗人は盗森だ。おれはたしかにそれを見届けた。粟はきっと返させよう。盗森は自分で粟餅を作りたくてたまらなかったのだ。はっはっは。」

 男の姿は見えなくなります。家に帰ったら、粟はちゃんと納屋に戻っていました。そこでみんなは笑って粟餅を作り、四つの森へ持って行きます。それから森はみんなの友達でした。そして毎年、冬の始めに粟餅を貰うようになります。

 けれども「時節がら、粟餅もずいぶん小さくなったが、これもどうも仕方がない。」と黒板森の巌がおしまいに言いました。

青空文庫 『狼森と笊森、盗森』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1926_17904.html

『狼森と笊森、盗森』【解説と個人的な解釈】

 童話『狼森と笊森、盗森』は、それぞれ四つの森に名前がつけられた経緯と、粟餅が供えられるようになったいきさつが語られ、その粟餅が「最近小さくなったが仕方ない」という、黒板森の巌の言葉で閉じられます。

 最初に森にやって来た人間たちは、何をするにしても森の許しを得てから行動しています。けれども時間が経つにつれ、森や自然の有難みを忘れがちになります。そのつど森たちは災いを起こし、人間たちに警笛を鳴らします。

 そして人間たちは毎年、粟餅を森に供え、自然の恵みへの感謝を忘れないよう努めるようになるのですが、これは収穫祭を意味するのでしょう。

 『注文の多い料理店』の広告チラシには、『狼森と笊森、盗森』について、「人と森の原始的な交渉で、自然の順違二面が農民と与へた永い間の印象」だという解説文が書かれています。

 「人と森の原始的な交渉」―――先人たちは現代に生きるわたしたちよりも何倍も何十倍も、森や自然を敬ってきました。それはわたしたちが忘れている気持ちと言えるでしょう。

 つまり宮沢賢治は、歴史的に大事にされてきた「人と森の原始的な交渉」が、近代になって希薄になったと、童話『狼森と笊森、盗森』を通して訴え、また同時に嘆いているような、そんな物語と個人的に解釈しています。

スポンサーリンク

あとがき【『狼森と笊森、盗森』の感想を交えて】

 作中に登場する狼森、笊森、黒坂森、盗森はいずれも小岩井農場のそばにある実在の森です。狼森には実際に近くまで行ったことがありますが、入植した人たちの姿を想像することができました。

 『狼森と笊森、盗森』を読むと、宮沢賢治が常に意識していたと思われる人間と自然との調和、そして共生はもちろんのこと、入植し開拓した人々苦労も感じ取ることができます。

 今は多少なりとも災害や凶作へのセーフティーネットがあります。けれども昔の人にとって災害や凶作はイコール「死」でした。常に自然と対話をし、感謝の気持ちを表す必要があったでしょう。

 ともかくとして、わたしたちは、自然の恵みを頂くということに、もっともっと感謝をしなければなりませんね。

宮沢賢治【他の作品】

(童話)
宮沢賢治『よだかの星』あらすじと解説【いじめの残酷さ!!】
宮沢賢治『なめとこ山の熊』あらすじ【自然との共存を考える!】
宮沢賢治『注文の多い料理店』あらすじと解説【自然の私物化!】
宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』あらすじ【人に尽くす精神!】
宮沢賢治『オツベルと象』あらすじと解説【強欲男の末路!!】
宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』あらすじ【卑屈からの脱却!】
宮沢賢治『やまなし』あらすじと【〈クラムボン〉という造語!】
宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』あらすじと解説【本当の精神?】
宮沢賢治『雪渡り』あらすじと解説【人を嫉まぬ純粋な心!】
宮沢賢治『土神ときつね』あらすじと解説【偽りの代償!!】
宮沢賢治『どんぐりと山猫』あらすじと解説【馬鹿が一番偉い!】
宮沢賢治『紫紺染について』あらすじと解説【偏見や差別!!】
宮沢賢治『虔十公園林』あらすじと解説【本当のさいわい!!】
宮沢賢治『猫の事務所』あらすじと解説【いじめ絶対だめ!!】
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』あらすじと解説【本当の幸福とは?】
宮沢賢治『風の又三郎』あらすじと解説!【異質な存在の排除!】
宮沢賢治『月夜のでんしんばしら』あらすじと解説【影の功労者!】
宮沢賢治『烏の北斗七星』あらすじと解説【戦いのない世界へ!】
宮沢賢治『水仙月の四日』あらすじと解説【自然の残虐さと愛情!】

(詩作)
宮沢賢治『永訣の朝』全文と解説【妹・トシからの贈り物!!】
宮沢賢治『松の針』『無声働突』全文と解説【妹・トシの最期!】
宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】
宮沢賢治『青森挽歌』全文と解説【妹トシの面影を探し求めて!】

宮沢賢治『春と修羅』序・全文と解説【心象スケッチの意図!】
宮沢賢治『春と修羅』全文と解説【賢治はどうして修羅なのか?】

コメント

タイトルとURLをコピーしました