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宮沢賢治『烏の北斗七星』あらすじと解説【戦いのない世界へ!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【宮沢賢治と法華経】

 宮沢賢治の父・政次郎は浄土真宗の熱心な門徒で、「我信念」という仏教講和会の主催者でもありました。このような環境で生まれ育った賢治もまた、幼い頃から仏前に正座して浄土真宗の経を暗誦(あんしょう)していたと伝えられています。

 中学を卒業した賢治は、しばらく実家の家業(質・古着商)を手伝っていたものの、身が入らず、鬱々(うつうつ)とした日々を過ごしていました。そんなとき島地大等が編纂(へんさん)した法華経(ほけきょう)の本『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、体が震えるほどの感銘(かんめい)を受けます。

 後年、法華経系の宗教団体・国柱会(こくちゅうかい)へ入信するなど、法華経への信仰を強めていった賢治でしたが、時代は戦争の波へと飲み込まれていきます。それは法華経信者として殺生(せっしょう)(かい)を守りたい賢治にとって理想とは真逆の時代でした。そんなジレンマを抱えて書いた童話が『(からす)の北斗七星』です。

※殺生戒(せっしょうかい) 仏語。 五戒・八戒・十戒の一。 生き物を殺すこと、特に人を殺すことを禁じる戒律(かいりつ)

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宮沢賢治『烏の北斗七星』あらすじと解説【戦いのない世界へ!】

『鳥の北斗七星』は童話集『注文の多い料理店』(新潮文庫)に収められています。

宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の花巻市に富商の長男として生まれます。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業後は研究生として残り、稗貫郡(ひえぬきぐん)(現・花巻市)の土性調査にあたりました。

 大正10(1921)年からの5年間は、花巻農学校の教師を務めながら『注文の多い料理店』などの童話作品を刊行していきます。けれども全く売れず、父親から300円を借りて200部買い取ったという逸話が残されています。

 大正15(1926)年、花巻農学校を依願退職し、百姓の道を志しますが、賢治の農業は「金持ちの道楽」と、陰口を叩かれたりするなど、その道は険しいものでした。同時期、『羅須地人(らすちじん)協会』を設立し、農業の技術指導や、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上を目指して邁進します。

 しかし、そんな賢治の理想も結局は叶わぬまま、肺結核が悪化し、病臥(びょうが)生活を送るようになります。最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行っていましたが、昭和8(1933)年9月に、急性肺炎により37歳の若さで亡くなりました。

 生前刊行された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』(1924)のみです。『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』など、宮沢賢治の代表作といわれる作品は、死後に刊行され、その多くは現代のわたしたちにも影響を与えてくれています。

 また、作品中に多く登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして「イーハトーブ」と名付けたことでも知られています。

花巻農学校教諭時代の宮沢賢治

 宮沢賢治の人生を詳しく知りたい方は 宮沢賢治『略年譜』【心象中の理想郷を追い求めたその生涯!】、また、宮沢賢治に関係する人々のことを知りたい方は、宮沢賢治『雨ニモマケズ』現代語訳【賢治に影響を与えた人々!】 を、ご覧になって下さい。

羅須地人協会(らすちじんきょうかい)とは?

 大正15(1926)年に、宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾のことです。
若い農民たちに、植物や土壌といった農業と関連する科学的知識を教え、そのほか、自らが唱える「農民芸術」の講義も行いました。

 しかしその活動も、保守的な農民の理解は得られず、翌年には休止してしまいます。この私塾がこの名称で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でしたが、その後も賢治は農業指導の活動を続けます。特に農家に出向いての施肥指導はよく知られています。

   羅須地人協会の建物

イーハトーブとは?

 イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。この造語は賢治の作品中に繰り返し登場します。

 賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章は、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされています。

イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

『イーハトーブ童話 注文の多い料理店』新刊案内のチラシの写真

童話『烏(カラス)の北斗七星』について

 童話『烏の北斗七星』は、大正13(1924)年に出版された、宮沢賢治の最初の童話集『注文の多い料理店』に収録された作品のひとつです。この童話集は、盛岡市の杜陵出版部と東京光原社を発売元として1000部が自費出版同然に出版されました。

 本書の出版は宮沢賢治が盛岡高等農林時代の1年後輩、近森善一と及川四郎の協力によって実現します。しかし値段が1円60銭と比較的高価だったため、実際に売れたのは、せいぜい30から40部くらいでした。

 このとき賢治が200部を買い取ったとの記録が残っています。ちなみに、もしも1000部が完売していたなら1600円になりますが、当時は家一軒が買えた値段でした。

短編集『注文の多い料理店』収録作品
『注文の多い料理店』(初版復刻昭和52)

『どんぐりと山猫』
・『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』
『注文の多い料理店』
・『烏の北斗七星』
・『水仙月の四日』
・『山男の四月』
・『かしわばやしの夜』
『月夜のでんしんばしら』
『鹿踊りのはじまり』

『烏の北斗七星』あらすじ(ネタバレ注意!)

 (からす)義勇(ぎゆう)艦隊(かんたい)は、雪の田んぼの上に並んで仮泊(かはく)をしていました。艦隊長でもある鳥の大尉(たいい)、そして年寄りの鳥の大監督も立ったまま動きません。そのうち夕方になると大監督が号令をかけます。「演習始めい、おいっ、出発!」

※仮泊(かはく) 艦船が一時的に停泊すること。仮の宿泊。仮眠。

 艦隊長の鳥の大尉が真っ先に飛び上がると、部下が十八(せき)、順々に飛び上がって行きます。続いて戦闘(せんとう)艦隊(かんたい)が三十二隻、次に大監督の大艦長、二十九隻の巡洋艦(じゅんようかん)、二十五隻の砲艦(ほうかん)が飛び上がりました。(もり)のすぐ近くまで行くと大監督が、「大砲撃てっ!」と号令しました。

 艦隊は一斉(いっせい)に、「があがあがあがあ」、大砲を撃ちます。しばらくすると大監督が、「分れっ、解散!」と言いながら列を離れて杉の木の大監督官舎(かんしゃ)に降りました。他の艦隊も自分の営舎へ帰ります。けれども鳥の大尉は一人、西の方の、さいかちの木に行きました。

 さいかちの木の枝には、大尉の許嫁(いいなずけ)が待っていました。許嫁は一番声のいい砲艦です。大尉は許嫁に翌日の山鳥(やまがらす)との戦闘のことを話し、心配する許嫁に、「もしも自分に何かあったら他へ嫁に行ってくれ。」と告げました。

 その夜許嫁は、大尉が山烏に殺される夢を見て驚いて眼を覚まします。そして烏の間でマジエル様と呼ばれている北斗七星に向かって祈るのでした。一方大尉は、眼が()えて眠れません。「おれはあした戦死するのだ。」

 大尉もまた美しいマジエルの星を仰ぎながら祈ります。(ああ、明日の戦いでわたしが勝つことがいいのか、山烏が勝つのがいいのか、それはわたしに分かりません。ただあなたのお考えのとおりです。)

 明け方、ふと遠い北の方から、かすかな声が聞こえてきました。鳥の大尉は夜間(ナイト)双眼鏡(グラス)を手に取ってその方向を見ます。すると一本の栗の木の(こずえ)に、敵の山烏が止まっていたのでした。

 「非常招集、非常招集!」大尉は部下の駆逐艦十八隻を率いて突貫(とっかん)しました。山鳥はあわてて北の方へ逃げようとしますが、大尉と部下の(へい)曹長(そうちょう)が一突きくらわせます。山鳥は雪の上に冷たく横たわりました。

※突貫(とっかん) 突き通すこと。突き通ること。転じて、(無理をしてでも)一気にしとげること。敵の戦線を突き破る猛攻撃をすること。また、突撃。

 この日、観兵式(かんぺいしき)が行われます。大尉が戦闘の報告をすると、大監督は大尉に、少佐への昇進を告げます。大尉は、十九隻に囲まれて殺された敵の山鳥を思い出して涙をこぼしました。

※観兵式(かんぺいしき) 旧軍隊で行なわれた陸軍礼式の一つ。

 大尉はマジエルの星のいるあたりの青空を仰ぎ、祈りました。(ああ、マジエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません。)

 許嫁の砲艦は、始終きらきら涙をこぼしていました。明日からまた大尉と一緒に演習できるのが嬉しいのです。砲艦長は横を向いて見逃していました。

青空文庫 『烏の北斗七星』 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43755_17660.html

『烏の北斗七星』【解説と個人的な解釈】

 童話集『注文の多い料理店』の刊行にあたり配布されたチラシの解説文では『烏の北斗七星』について「戦うものの内的感情です。」と書かれています。つまり当時の世界情勢、特にシベリア出兵などを背景に、カラスの生態を重ねて書かれた作品と想像できます。

 物語の中で、カラスの集団が艦隊に置き換えられていますが、当時の日本ではまだ戦闘機よりも戦艦が主力部隊と見なされていたからでしょう。ちなみに大尉の属する義勇艦隊とは、平時は商船として海運会社が運用している船舶を、戦時には自発的に軍艦として供与し、それらを艦隊に編成したものです。

 言わば反戦童話としての意味合いが強い作品ですが、それはトルストイやチェーホフなどのロシア文学に親しんでいた賢治にとって、ロシアの革命勢力が心の底から憎むべき存在ではないという賢治自身「内的感情」とも言えるのかも知れません。

シベリア出兵
大正7(1918)年~大正11(1928)、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアが、チェコスロバキア軍救援の名目の下に、ロシア革命に対する干渉のためシベリアに出兵した事件。連合国軍の撤兵後も日本だけが駐兵したため国際的威信を失墜し、大正11年に撤兵した。

出典:精選版 日本国語大辞典
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あとがき【『烏の北斗七星』の感想を交えて】

       宮沢賢治(生家)

 宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』で、主人公のジョバンニが親友のカムパネルラに向けて「みんなの(さいわ)いのためならば僕のからだなんか百ぺん()いてもかまわない。」という台詞がありますが『烏の北斗七星』にも同様のニュアンスの場面があります。

 物語の終盤、大尉がマジエル(北斗七星)に、(どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません。)と祈る場面です。

 賢治が感銘を受けたという法華経の本『漢和対照 妙法蓮華経』には、「仏が死後の世界のみならず、現世にこそ存在し、人々に励ましを与えている。」といった教えが説かれています。

 賢治は多くの作品に、この教えを反映させています。もしかして賢治自身、現生に存在するという仏と一体になろうとしていたのでしょうか。

宮沢賢治【他の作品】

     宮沢賢治自耕の地(下ノ畑)

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