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ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』あらすじと解説【劣等感!】

名著から学ぶ(海外文学)
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はじめに【覆水盆に返らず!】

 覆水(ふくすい)(ぼん)(かえ)らず」ということわざがあります。
このことわざは、古代中国の周王朝(紀元前1046年頃-紀元前256年)の創建に功績のあった(りょ)(しょう)太公望(たいこうぼう))のエピソードから生まれたものです。

 呂尚がまだ貧しかったころ、読書にばかり熱中しているので、妻は愛想を尽かして、家を出ていってしまいます。けれども後に周の軍師に迎えられ、斉を領地として与えられると、元の妻は復縁を求めてやってきます。

 このとき呂尚は、水の入った容器を傾けて中の水を地面にこぼし、「覆水は定めて収め(がた)し(こぼれた水は元には戻せないものだよ)」と言って、復縁の意志がないことを示したといいます。
(出典:故事成語を知る辞典)

 このことわざは本来、夫婦関係について使うものですが、最近では、広く「取り返しがつかない」という意味で用いる方が一般的になっています。ともかく夫婦に限らず、人間関係というものは、非常に壊れやすいものです。

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ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』あらすじと解説【劣等感!】

ヘルマン・ヘッセとは?

 ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse)は、20世紀前半のドイツ文学を代表する詩人・作家です。(1877年7月2日-1962年8月9日)

 ヘルマン・ヘッセは1877年、ドイツ南部ハーデンヴュルテンベルク州カルフに生まれます。難関とされるヴュルテンベルク州立学校の試験に合格し、14歳のときにマウルブロンの神学校に入学します。けれども半年で退学してしまいます。

 その後、様々な職に就きながら執筆活動をしていきます。1899年に処女詩集『ロマン的な歌』を自費出版し、1904年には小説家としてデビューします。1912年からはスイスに移り住みますが、公然と戦争批判を行い新聞や雑誌からボイコットを受けます。

 戦後、重度の精神的な病に苦しみながら、作品『デミアン』を執筆します。以降の作品には、現代文明への強烈な批判と洞察、精神的な問題点などが多く描かれていて、この作品群がヘッセを、ドイツ文学を代表する作家に押し上げます。

 1923年、スイス国籍を取得します。1946年、ヘッセは、ノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞します。そして1962年、43年間を過ごしたモンタニョーラの自宅で死去します。(没年齢85歳)他に代表作として『車輪の下』『春の嵐』などがあります。

ヘルマン・カール・ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』あらすじと解説【心の悲鳴に耳を!】

短編小説『少年の日の思い出』について

 『少年の日の思い出』は、1911年6月6日に、ミュンヘンの雑誌『青年』に、タイトル『DasNachtpfauenauge』(クジャクヤママユ)として発表されます。

 20年後に改稿し、題名を『Jugendgedenken』(少年の日の思い出:高橋健二訳)に変え、1931年8月1日、ドイツの地方新聞に短編小説として掲載されます。

『少年の日の思い出』が始めて掲載されたドイツの地方新聞

 日本では、昭和22(1947)年に高橋健二訳が、文部省の『中等國語』に採用されて以来、現在の検定制度に至るまで70年間以上も、国語の教科書に掲載され続けています。『少年の日の思い出』は、日本で最も多くの人々に読まれた外国文学作品のひとつと言えます。

 ちなみに不思議なことですが、『少年の日の思い出』の原文『Jugendgedenken』は、ドイツで出版されたヘッセの作品集にも『全集』にも収録されておらず、ドイツ語圏ではほとんど知られていないようです。

『少年の日の思い出』あらすじ(ネタバレ注意!)

 私は訪れていた客に、「蝶の採集を始めた。」と言います。その客が見たいと言うので、私は収集した自慢の蝶を披露します。すると客は「もう結構!」と不快そうに言い、自分も少年時代は熱心な蝶の収集家だったと私に告げます。

 そして客は、私に非礼を詫びつつ、「けれども残念ながら、その思い出を台無しにしてしまった。」と、自分自身の過去について告白を始めたのでした。

―――僕(客)が蝶の採集を始めたのは八歳か九歳の頃でした。
最初は流行りに流されていただけでしたが、十歳ぐらいになるとすっかり、この趣味のとりこになってしまいます。

 美しい蝶に出会った時の興奮や、荒々しい欲望の入り混じった気持ちは、その後の人生の中でも感じられることはありませんでした。

 両親は何一つ道具類を買ってくれなかったので、採集した蝶は、ボール紙の箱に保管していました。僕にとっては宝物です。けれども、仲間たちは立派な標本箱を持っているので、僕は宝物を自慢することができませんでした。

 そんなある日、僕は珍しい青いコムラサキを採集して標本にします。このときばかりは誇らしい気持ちになり、せめて隣の少年にだけは見せたくなりました。隣の少年とは、中庭の向こうに住む、学校の先生の息子・エーミールです。

 エーミールは完璧な模範少年でした。彼の標本の美しさはまるで宝石のようです。僕はそんな彼を妬ましく、そして憎んでもいました。エーミールにコムラサキを見せると、その希少性は認めたものの、次々と欠陥を指摘されたのです。それから僕は二度と、エーミールに標本を見せなくなりました。

 それから二年後、エーミールが貴重なクジャクヤママユを(さなぎ)から羽化させたといった噂が広がります。本の挿絵(さしえ)でしか見たことのないその蝶は、僕が熱烈に欲しいと思っていた蝶でした。僕はその蝶を一目見たさにエーミールの家を訪ねます。けれども留守でした。

 ところが僕がドアノブを回すと入口は開いています。どうしてもクジャクヤママユを見たい僕は、思わず留守の部屋に忍び込んでしまいました。そして、展翅板(てんしばん)の上にその蝶を発見します。それは挿絵で見るよりも、はるかに美しく素晴らしいものでした。

※ 展翅板(てんしんばん) 昆虫標本作りに無くてはならない道具。蝶や蛾の羽を広げて固定させるもの。

 僕はこの蝶を手に入れたいという衝動に駆られます。そして、生まれて初めて盗みを犯してしまったのです。部屋を出るとメイドが階段を上ってきました。その瞬間、僕は恐ろしい不安に襲われ、思わず蝶をポケットにねじ込んでしまいます。

 罪の意識から、僕は部屋に引き返して、蝶を元のところに戻そうとします。けれども、クジャクヤママユは―――ポケットの中で壊れていたのでした。もはや修理をしても元には戻らない状態です。僕は泣きそうになり絶望します。

   クジャクヤママユ

 僕は家に帰ると、このことを母に報告します。母は悲しみながらも僕の苦しみを察し、弁償と謝罪を提案します。けれども謝罪は通用しないと確信する僕は、行く決心がつかないでいました。そんな僕に母は「今日のうちに行きなさい!」と背中を押します。

 こうしてエーミールの家を訪ね、僕は蝶を見せてもらいます。そこにはクジャクヤママユを元通りに修理しようと努力した形跡が見て取れました。けれどもその努力が徒労に終わったことも明らかです。

 そんな蝶を目の前にしながら、僕はありのままを告白します。するとエーミールは、怒鳴りつけるかわりに舌打ちをし、「そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と、皮肉を込めて言い放ったのでした。

 僕は弁償として、おもちゃや標本をすべて譲ることを提案します。けれどもエーミールは「結構だよ。君の集めたやつはもう知ってる。それに君が蝶をどのように取り扱っているかを、今日また見せてもらったし。」と冷淡に拒絶します。

 プライドを傷つけられた僕は、この瞬間、彼の喉もと目がけて飛びかかりそうになります。しかしその気持ちを押しとどめながら、彼の、軽蔑の視線に耐え続けるしかありませんでした。

 そのとき僕は、一度壊れてしまったことは、二度と元通りにはならないと悟ります。母がそっとしておいてくれたことが、せめてもの救いです。僕は、暗がりの中、蝶の標本を一つ一つ、指で粉々に押し潰したのでした。

『少年の日の思い出』【解説と個人的な解釈】

 物語で、「僕(客)」は、自分の過去について告白していきますが、そこに見られる大部分は「少年時代の劣等感」についてです。

 経済的な理由で満足な道具類が与えられず、自分の標本が他の仲間たちよりも劣ること。一方でエーミールは、先生の息子で自分の部屋を持っていて、しかも素晴らしい標本の技術を持っていること。

 それでも「僕」は蝶を愛し、例えみすぼらしくても自分の標本は宝物でした。そんなとき、コムラサキという珍しい蝶を採集します。「僕」の劣等感は、その蝶をエーミールに見せ、賞賛を得ることで解消される筈でした。

 しかし、賞賛どころか、欠陥を指摘されるはめに陥ります。この出来事でエーミールへの劣等感を増長させた「僕」は、エーミールに憎しみの感情すら抱くようになっていきます。

 二年後、そのエーミールが「僕」にとっての憧れの蝶、クジャクヤママユを羽化させたというのですから、内心穏やかではいられません。この感情が「僕」に盗みを犯させ、さらには蝶を破壊するといった取り返しのつかない事態を招きます。

 その後、謝罪をする「僕」にエーミールは怒りもせずに「君はそんなやつなんだな」と、軽蔑の眼差しを向けるだけでした。ここで「僕」の劣等感は最高潮に達し、宝物であったはずの自分の蝶を粉々にしてしまいます。

 大人になった「僕」は「思い出を台無しにしてしまった。」と後悔しているものの、どこか自分自身を正当化しているところがあり、あたかもエーミールに原因があるのだと言っているかのようです。けれども全ては「僕」の劣等感が引き起こした事態といえるでしょう。

劣等感、積もりに積もると被害妄想になる!

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あとがき【『少年の日の思い出』の感想を交えて】

 過去を思い起こせば、誰でもひとつやふたつ、思い出したくない苦い思い出はあるでしょう。わたしの場合はひとつやふたつどころではありませんが・・・。

 ともかくとして、記憶に残っている以上、苦い思い出と言えども、抱えて生きてゆかなければなりません。「いつか笑い話になる」といいますが、決してそうはならない思い出もあります。

 けれども、過去を打ち明けるとことで心が楽になる場合もあります。
『少年の日の思い出』の「僕」も、懺悔の意味をこめて「私」に語ったのでしょう。それによって救われたかどうかは分かりませんが。

 この過去の一件から「僕」は、一度壊れてしまったことは、二度と元通りにはならないと悟ります。つまりは大人への階段を上る過程において大きな教訓を得るのです。

 そもそも人間とは過ちを犯す生き物です。反省も大事ですが、その過ちから何を得るかのほうが重要です。

―――とは言うものの、「覆水盆に返らず」としても、元通りになるように努力するほうが、苦い思い出を消す最善策でしょう。それが一番難しいことなのですが・・・。

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