はじめに【劣等感について】
人間誰しもが、欠点のひとつやふたつくらいは持っているものです。
そもそも、他の人間と自分を比べなければ気にならないのでしょうが、一般的な社会生活を送るうえで、そんなわけにはいきません。
特に他人から指摘をされるなどしたら、余計に自分の短所が気になってしまいます。仮に短所を補えるような秀でた長所でもあれば違ってくるのでしょうが、それがない場合は、やがて劣等感を持つようになってくるでしょう。
劣等感とは厄介なものです。
劣等感が強くなると、自分よりも優れている人に妬みを持ちやすくなり、人に対して攻撃的になると言われています。また、劣等感の裏返しから無意識のうちに自慢話が多くなったりすることも。いずれにしても、やがて対人関係上でのトラブルに繋がるでしょう。
劣等感、積もりに積もると被害妄想になる!
劣等感とコンプレックスの違い
恥ずかしながらわたしは、『劣等感』の英訳が『コンプレックス』で、同様の意味を持つものだと、最近までそう思い込んでいました。ところが、実際は意味合いが少し違うようです。
『劣等感』とは、自分が他者よりも劣っているという感情のことです。
一方、『コンプレックス』は怒りや悲しみなどの強い感情、体験、思考などが無意識的に結びついている状態のこと、つまり、『劣等感』は意識的な感情、『コンプレックス』は無意識的な感情と言えます。
このことから、普段わたしたちが日常で話している「容姿にコンプレックスがあるの」「実は学歴にコンプレックスがあってさ」みたいな会話は、自分でも意識している感情であるため、『劣等感』と言ったほうが正しいでしょう。
劣等感が被害意識、そして被害妄想へと
『劣等感』が積もると『被害妄想』を抱きやすくなると言われています。
『被害妄想』という言葉が出てくると、重い精神病ではないかと思われがちですが、この症状は誰にでも起こり得る単純な現象です。
『被害妄想』の原点には『被害意識』というものがあり、結構、簡単に体験ができます。
例えば、両手の人差し指を両耳に入れて、外界の音を遮断し、しばらくそのままでいると、自分を取り巻く世界が一変してくるのが分かります。自分の視野の中で人々がこちらを見て微笑んでいるのが、すべて、自分の悪口でも言っているかのような錯覚に陥ってきます。
これらに共通するのは、自分に欠点、弱点があること、言い換えれば劣等感や自信欠如です。すなわち、自分に自信がない時、人は被害的になるのです。耳をふさいだ状態は『感覚遮断』と呼ばれます。聴覚障害者や視覚障害者は、この意識を乗り越えて生活しています。
お年寄りが被害的になるのも、この原理によっています。昔のようには耳も聞こえないし、視力も低下してきている。身体も思うようには動かない。そんな自分を潜在的に意識しているからこそ、子どもたちやその嫁たちが、自分の財産を狙っているのではないかなどと考えてしまうのです。
これは人間に与えられた一種の防衛本能なのですが、この『被害意識』を頭の中で毎日毎日、繰り返すうちに、訂正不能になると立派な『被害妄想』に発展していきます。
あるいは、こんな体験をした人は多いと思います。例えば、朝礼に遅刻した時のことです。
はるか遠くで誰かがしている内証話が、やっぱり自分の悪口に思えてしまいます。そして、翌日、もう1回遅刻したとしましょう。今度は話をしていなくても、無視されたのかなと疑心暗鬼になっていきます。
あとがき【劣等感を克服するには?】
『劣等感』➝『被害意識』➝『被害妄想』。このプロセスをよく「雪だるま」にたとえるのですが、1日も早く日なたに出してやらないと、どんどん膨らんでしまいます。ちなみに「日なたに出す」とは、人と積極的に「話すこと」を意味しています。
積極的に「話すこと」で、誰にでも欠点や弱点があることを認識できます。それは同時に「自分の不完全さを認める」ことにも繋がります。やがて、「人と自分を比べる」ことの無意味さを理解することになるでしょう。
余談ですが、恋の心理として完璧な人より “ 欠点がある人のほうがモテる ” と。言われます。人によっては短所も魅力的に映ったりするものです。先ずはそんな劣等感のある自分を好きになるところから始めてみませんか。
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