はじめに【渋沢栄一『論語と算盤』を読んで】
誠に恥ずかしい限りですが、遅ればせながら、渋沢栄一の『論語と算盤』を読みました。正直に言うと、『論語』という書(他の儒教の書にも言えることですが)について、難しいイメージでしかなく、避けてきたという感じです。
歴史小説の影響からか、数とおりの言葉だけは知っていましたが、つまり、限りなく真っ白な状態で読み進めたというわけです。「どうせ “ 古い教え ” だろう」と、勝手な先入観を抱きながら・・・。
ところが、文字を追うごとに、「これは聞いたことがある!」「あっ、これも聞いたことがある!」「なんだ、これも孔子の言葉だったのか!」みたいな感じで、想像以上に『論語』が、わたしたちの身近にあるのだと気付かされました。
『論語と算盤』きっかけでしたが、そんな理由で、何冊かの『論語』注釈書を読んでいます。その中で、「学び」について書かれた、現代のわたし達にも通用する言葉を紹介したいと思います。
『論語』現在に生き続ける孔子の教え【学び編!】
孔子(こうし)とは?
孔子(名は丘・字は仲尼)は中国、春秋時代の学者、思想家です。(前551‐前479)
魯の陬(山東省)に生まれますが、幼くして父母を失い、貧苦のなか独学で学問を修めます。
早くからその才徳は知られ、壮年になって魯に仕えます。しかし、のちに官を辞して諸国を遍歴し、十数年間、諸候に仁を説いて回ります。晩年は魯に戻り、弟子の教育に専念します。
儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えます。弟子の編纂になる言行録『論語』は、現在でも世界中で読まれています。
湯島聖堂にある孔子像
『論語(ろんご)』とは?
『論語』は孔子の弟子たちによって編纂された、儒教の経典です。
『大学』『中庸』『孟子』とともに「四書」の一つに数えられています。
その説くところは日常生活に即した実践的倫理であり,孔子の思想を最もよく伝えています。設立に関しては諸説あります。
現在では孔子の弟子たちの伝えた言行録が3系統あったものを孟子の時代に編集して、『論語』の原本とも言うべき『古論語』が成立し、それが漢代までに選択整理されたと考えられています。
『論語』が生まれた時代背景
孔子が生きた春秋時代の中国は、各地で領土を奪い合う、まさに群雄割拠の時代でした。
孔子は、そんな世を憂いて、人間愛としての「仁」、心の主張としての「忠」、そして、親への孝行、年長者への悌順などを説きました。
また、利欲を離れて自己を完成させる「学」の喜びなども述べています。
日本人と論語
『日本書紀』によれば、『論語』が日本に伝わったのは、応神天皇16年、百済から伝来したといわれています。そこから徐々に広まり、平安時代には漢籍の一つとして貴族の間で読まれていました。
その後、日本で儒教が正式な学問として確立したのは江戸時代になってからです。第五代将軍徳川綱吉の時代には、儒学講義の場として湯島聖堂が建立され、近代教育発祥の地とされています。
湯島聖堂
また、諸藩も藩校(藩士を育成するための学校)を建てるなどして、儒学教育に力を入れるようになっていきます。弘道館(水戸藩)や致道館(庄内藩)などが有名です。それだけではなく、庶民の間でも寺子屋などで儒学を学ぶようになっていきます。
明治時代になると徐々に廃れて行きますが、日本資本主義の父・渋沢栄一が『論語と算盤』を刊行したことで、『論語』の存在が、強く日本人の心に印象づけられます。
渋沢は「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と、利益至上主義を諫めながら、企業活動にも『論語』の道徳が必要だと説いています。
孔子のことば【『学び』について15の教え】
1.學而時習之。不亦説乎。
学びて時に之を習う。亦た説ばしからずや。 [学而(がくじ)第一]
「学んで時おり復習する。なんと喜ばしいことではないか。」
学びというものは、ときに苦痛も伴います。他に楽しいことでもあれば、逃げ出したくなります。しかし、その苦痛を乗り越え、学び続けることで豊かな知識になるのです。
2.學則不固。
学べば則ち固ならず。[学而(がくじ)第一]
「学問をすれば頑固でなくなる。」
ときに人は、固定観念で頭でっかちになっていたりします。しかし、新しいことを学ぶことで、自分の狭い価値観を突き破ることができます。
3.君子務本。本立而道生。
君子は本を務む。本立ちて道生ず。[学而(がくじ)第一]
「君子は物事の根本を正すよう努力する。根本が確立すれば、道はおのずから生ずるものである。」
何をするにしても、どうしても一足飛びしたくなるものです。しかし結局は、基礎をつくったり、物事の本質を最初に把握することが、一番の近道なのです。
4.汎愛衆而親仁。則以學文。
汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則ち以て文を学べ。[学而(がくじ)第一]
「仁を具えた人と親交を深め、そうした行いの上に余力があれば、書物を学びなさい。」
人間にとって一番大切なことは他者への誠実な思いやりです。そのことを疎かにして、自分のことだけを考えて、学ぶというのは本末転倒です。人とのつながりを大切にするという基本ができて初めて、学ぶことの意味が生まれるのです。
5.温故而知新。可以爲師矣。
故きを温ねて新しきを知れば、以て師為るべし。[為政(いせい)第二]
「古い事柄に習熟して、新しい事柄の真相を知る。それによって、人の師となることができる。」
時代は移ろいやすく、そのスピードもさらに加速し続けています。しかし「古い」ものは、いつまでも変わらぬ姿でいてくれます。そんな「古い」ものの中から現在にも通じる、新たな価値を見出すことが大事なのです。
6.學而不思則罔。思而不學則殆。
学びで思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。「為政(いせい)第二」
「学んでも考えなければ、物事の本質が明確にならない。考えても学ばなければ、独善的で危険である。」
学ぶということは、先生の教えや情報を、そのまま鵜呑みにすることとは違います。疑問を持ったり、思考を巡らすことで、学びは深まるのです。
7.知之爲知之。不知爲不知。是知也。
之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。「為政(いせい)第二」
「知っていることは知っていることとし、知らないことは知らないこととする。これが知るということだ。」
自分の知識こそがいつも正しいと思い込んでいる人がいます。果たして本当に「全てを知っているのでしょうか?」それは勘違いで、知識に完全というものはありません。自分の無知さを認めることで、真の知性が磨かれるのです。
8.敏而好學。不恥下問。
敏にして学を好み、下問を恥じず。[公冶長(こうやちょう)第五]
「鋭敏で学問を好み、目下に質問することを恥じない。」
年齢や身分が上だというだけで、自分より若い人や部下を軽視することがあります。しかし、もしかしたら、知識や教養において、自分よりもずっと先の道を歩んでいるのかもしれません。つまり、年齢の壁はないものと考えるべきです。
「一緒に同じ学問をしても、同じ進路を行くことができるわけではない。」
哀しいかな。わたしの場合は、いつも遅れをとっていました。それは学びの姿勢に問題があったのです。何を学ぶかは重要です。しかし、どのように学ぶかはそれ以上に重要です。
9.知之者不如好之者。好之者不如樂之者。
之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。[雍也(ようや)第六]
「物事を知る者は、これを好む者には及ばない。好む者は、これを楽しむ者には及ばない。」
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、大好きなら、難しいことでも、たちどころに覚えてしまいます。そのうえで、学びを楽しむ心があるのなら、最大の原動力になるでしょう。
10.可與共學。未可與適道。
与に共に学ぶべきも、未だ与に道に適くべからず。[子罕(しかん)第九]
「一緒に同じ学問をしても、同じ進路を行くことができるわけではない。」
哀しいかな。わたしの場合は、いつも遅れをとっていました。それは学びの姿勢に問題があったのです。何を学ぶかは重要です。しかし、どのように学ぶかはそれ以上に重要です。
11.雖多亦奚以爲。
多しと雖も亦た奚を以て為さん。[子路(しろ)第十三]
「(暗誦している詩の数が)多いといっても、何の役に立つであろう。」
学ぶということだけで自己満足をしている人がいます。しかし、そこに目的がなければ意味がありません。学びを「どう活かすか。」で、人生が豊かになっていくのです。
12.古之學者爲己。今之學者爲人。
古の学者は己の為にす。今の学者は人の為にす。[憲問(けんもん)第十四]
「昔の学者は自分のために(学問)した。今の学者は人に知られるためにする。」
「自分はこんなに勉強しているんだ!」と、意識の高さをアピールする人がいます。それはただの承認欲求です。学びとは人にアピールするものでなく、自分の成長と周りの人を豊かにするためのものです。
13.脩己以安人。
己を脩めて以て人を安んず。[憲問(けんもん)第十四]
「自分を修養して人を安心させる。」
自分の知識欲を満たすだけの学びでは、本当の豊かさに繋がりません。学ぶことの本質は、得た知識をもとにして、人や社会に貢献することです。
14.有教無類。
教え有りて類無し。[衛霊公(えいれいこう)第十五]
「(人の価値は)教育の優劣によるのであって、生い立ちの優劣によるものではない。」
他者に接するとき、家柄や生い立ちなどの背景で見がちです。人の優劣は才能や生い立ちではなく、その人の人格によるものです。
15.衆惡之。必察焉。衆好之。必察焉。
衆之を悪むも必ず察す。衆之を好むも必ず察す。[衛霊公(えいれいこう)第十五]
「大衆が憎むものも必ず調べるし、大衆が好むものも必ず調べる。」
ネットによる情報、新聞記事、本に書かれていることが全て正しいとは限りません。周囲の意見に振り回されることなく、自分で調べ、確かめる習慣こそが、本質を見抜くのです。
あとがき【 “ 仁者(じんしゃ)” とは?】
『論語』の教えをざっくりとひとことで言うと、「人は “ 仁者 ” であるべき!」と、説いています。では、“ 仁者 ” とはなにか?
『精選版 日本国語大辞典』によると、「①仁の徳を備えている人。孔子、または儒教の説く「仁」を実践する人。また、仁の道に到達した人。仁人。② 情け深い人。博愛の人。」と、書いています。
ちなみに「仁」とは、他人に対する親愛の情のことで、これは道徳や倫理において、わたしたちの最も大切な規範であると言えるでしょう。ところが残念なことに、今を生きる人々(わたしを含め)は、そのことを疎かにしているような気がします。
学問に限らず、学び続けることで、人生は切り拓かれていきます。たまには温故知新の気持ちを持って『論語』などの古典に触れてみるのも、豊かな人生を送るうえで、ひとつのヒントになるのかも知れませんね。
脳と心、刺激と訓練で成長を!!【中高年からの学び】
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