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太宰治『富嶽百景』【富士という御山になぜ人は魅せられるのか】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【『竜馬がゆく』のなかに描かれた富士山】

 『一富士二鷹三茄子』―――幼少時のわたしにとって、「富士山といえば初夢に見ると縁起がよい」。たったそれだけの印象でしかありませんでした。もっとも、東北の片田舎で生まれ育ったのですから、それは当然のことだったのかもしれません。

 それが中学になると、急に憧れるようになっていきます。それは、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく〈1 立志篇〉』を読んだことがきっかけでした。

 竜馬は剣術修行のため、江戸へと向かう旅の途中、富士山を見ました。その竜馬、ひょんなことから、盗賊の藤兵衛という男を連れ立って歩いています。

 藤兵衛はつまらなそうにまわりを見た。二十年来、この海道を何度も往来している寝待ノ藤兵衛にとって、この眺望は珍しくもなんともない。

 「気のない顔だなあ」

 竜馬は、なおも風の中で目をほそめている。彼の若い心には、潮見坂の海と山と天が、自分の限りない前途を祝福してくれているように思えるのである。

 (富士は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の化身だというが、江戸へゆくおれのために一段と粧いをこらして待っていてくれたにちがいない)

 「藤兵衛、一向に驚かぬな」
 「見なれておりますんで」
 「若いころはじめてみたときは驚いたろう。それともあまり驚かなんだか」
 「へい」藤兵衛は、にが笑いしている。

 「だからお前は盗賊になったんだ。血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなやつにはなるまい。そこが真人間と泥棒のちがいだなぁ」

 「おっしゃいますねぇ。それなら旦那は、この眺望をみて、何をお思いになりました」
 「日本一の男になりたいと思った」
 「旦那」と藤兵衛はむくれて、「それは気のせいでございますよ」

 「あたりまえだ。正気で思うものか。坂をおりればすっかり忘れているにちがいないが、しかし一瞬でもこの絶景をみて心のうちがわくわくする人間と、そうでない人間とはちがう」


『竜馬がゆく〈1 立志篇〉』司馬遼太郎

 この場面を読み、心の踊った読者は多いでしょう。「富士山を始めて見たとき、わたしは実際にどのように思い、感じるのだろうか」と、いつも考えていました。そして、高校自分に太宰治の『富嶽百景』を読んでからは、ますます、富士という御山(おやま)に恋焦がれるようになっていきます。

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太宰治『富嶽百景』【富士という御山になぜ人は魅せられるのか】

太宰治(だざいおさむ)とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島(つしま)(しゅう)()。(1909~1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。

 青森中学、旧制弘前(ひろさき)高等学校(現・弘前大学)を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。

 一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。昭和14(1939)年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』駆込(かけこ)(うった)へ』など多くの佳作を書きます。

 戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(享年38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌(おうとうき)が営まれています。

    太宰治

富嶽百景(ふがくひゃっけい)とは?

 『富嶽百景』は、太宰治の短編小説・随筆です。

 昭和13(1938)年、9月13日、太宰は、井伏鱒二の勧めにより山梨県南都留郡河口村(富士河口湖町河口)の御坂峠にある土産物屋兼旅館である天下茶屋を訪れ、約3ヶ月間逗留しますが、そのあいだに起こったことを小説にしています。

井伏鱒二(いぶせますじ)とは?

   井伏鱒二

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 井伏鱒二(本名・満寿二(ますじ))は昭和から平成にかけて活躍した日本の小説家です。(1898~1993)
広島県深安郡加茂村(現福山市)に、地主の次男として生まれます。学生時代は、早稲田大学英文科や日本美術学校に在籍しますが、どちらも中退をしてしまいます。

 のちに、長い同人誌習作時代を経て、昭和4(1929)年『山椒魚』や『屋根の上のサワン』その他の先品で文壇に認められます。昭和13(1938)年、『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞を受賞します。

 面倒見のよい人柄で知られ、多くの弟子を持ちます。特に太宰治には目をかけ、昭和14(1939)年、山梨県甲府市出身の地質学者・石原初太郎の四女の石原美知子を太宰に紹介し、結婚を仲介しています。

 その作風は、広島における原爆被災の悲劇を日常生活の場で淡々と描いた『黒い雨』で、高みに達します。作品として他に、『本日休診』『漂民宇三郎』『荻窪風土記』などがあります。平成5(1993)年6月24日、東京衛生病院に緊急入院し、7月10日に肺炎のため95歳で死去します。

『富嶽百景』あらすじ(ネタバレ注意!)

 昭和十三年の初秋、主人公の『私(太宰治)』は甲州の御坂(みさか)(とうげ)にある天下茶屋にやって来ます。この茶屋には師匠の井伏鱒二も逗留していて、それを頼ってのことでした。

 師匠の許しを得て逗留することになった主人公は、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合わなければいけなくなります。御坂峠から見た富士山は、富士三景の一つにも数えられているのですが、主人公にとっては、あまり好ましいものではありませんでした。

 ある日、主人公は、御坂峠を引きあげることになった井伏氏のお供で、甲府に行くことになります。それは甲府で、主人公がお見合いをする予定になっていたからです。お見合いの席で、主人公は相手の顔を見ることができません。

 そんなとき、井伏氏が「おや、富士。」と呟いて、額縁に入れられ、壁にかけられていた富士山頂噴火口の写真に気付きます。主人公も身体を捻じ曲げて、その写真を見ます。(真っ白い睡蓮(すいれん)の花に似ている)それが主人公の感想でした。



 そして、また身体を捻じ曲げて、戻すときに、相手の娘さんの顔をちらりと見ます。このとき主人公は(多少の困難があっても、この人と結婚したいものだ)と、心に決めます。それと同時に、(あの富士は、有難かった)と、思いました。

 井伏氏はそのまま東京に帰ります。主人公は御坂の茶屋へと戻り、あまり好かない「富士三景の一つ」と、ひとりで向き合いながら、仕事を進める毎日になります。そんななか、新田という二十五歳の文学青年が、主人公を訪ねて、峠の茶屋にやって来ます。

 主人公はこの文学青年と仲良くなります。それから新田はいろいろな青年たちを連れて来るようになります。ある日、青年たちに誘われて、主人公は、麓の吉田という町に行きます。その夜の富士山は青く透き通るようで、まるで(りん)が燃えているようでした。

 ある日の朝、茶屋の十五歳になる娘さんが、「お客さん!起きて見よ!」と、大声で主人公を起こします。廊下に立って娘さんの指をさした方向を見ると、富士山の山頂に雪が積もっています。主人公は(御坂の富士も、馬鹿にできないぞ)と、思います。



 「御坂の富士は、これでも、だめ?」と、娘さんは言いました。主人公が日頃から「こんな富士はだめだ」と、言っていたのを気にかけていたのでしょう。その日、主人公は、山を歩き回り、月見草の種を両手いっぱいに取ってきて、それを茶屋の背戸(せど)に撒きました。

 月見草を選んだのには理由があります。主人公は三日に一度の割合で、河口湖畔の河口村に、バスに乗って、郵便物を受け取りに行くのです。御坂の茶屋は山中の一軒家であるため、郵便物が配達されないからでした。

 バスに揺られて、峠の茶屋に引返す途中、六十歳くらいの女性が、「おや、月見草。」と、路傍(ろぼう)の一箇所を指さしながら言いました。主人公はそのとき(けなげにすっくと立っていたあの月見草は良かった。富士には、月見草がよく似合う)と、思ったからです。



 朝に、夕に、富士山を眺めながら、仕事をしていた主人公でしたが、遅々として仕事は進みません。ただ陰鬱(いんうつ)な日々を送っているだけでした。その頃、主人公の結婚話も頓挫(とんざ)しかけています。実家からの金銭的支援が期待できないからでした。

 そこで主人公は、単身、甲府に行って、事の次第を洗いざらい打ち明けることにします。例え縁談を断られたとしても仕方が無いと、覚悟のもとでした。主人公の事情を聞いた先方のお母さんは「ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さを、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」と、笑顔で言ってくれました。

 主人公の目頭は熱くなります。そして、(この母に、孝行しよう)そう決意するのでした。バスの発着所までの道すがら、娘さんは、主人公に「富士山には、もう雪が降ったでしょうか。」と、訊ねます。しかし前方を見ると、甲府からでも富士山が見えるのです。主人公は、おかしな娘さんだと思います。



 甲府から戻ってからも、主人公は、仕事をする気が起きません。ただ無駄な時間を過ごしているだけでした。そんななか結婚話だけは好転していきます。ある先輩の好意で、お宅を借りて、貧しくとも厳粛な結婚式を挙げることになったのです。

 十一月に入ると、富士山はその全容の三分の二まで雪をかぶってしまいました。その姿を眺め、主人公は山を下る決意をします。山を下る前日、御坂峠に、若い知的な娘さんが、二人でやってきます。



 茶屋の椅子に座り、お茶を啜っていた主人公に、そのうちの一人が近づいて来て、カメラのシャッターを押して欲しいと頼みます。主人公は機械というものが苦手でした。しかも、華やかな娘さんからの頼みです。主人公は、ひどく狼狽してしまいます。

 娘さんの差し出すカメラを受け取った主人公は、震えながらも平静さを装って、レンズを覗きます。真ん中に大きい富士、その下に小さい()()の花ふたつ。二人は揃って、赤い外套(がいとう)を着ています。二人は抱き合うように寄り添い、真面目な顔になっています。

 主人公は、それが可笑しくて、カメラを持つ手が震えてしまいます。そこで主人公は二人の姿をレンズから外して、ただ富士山だけを収めてシャッターを切ります。富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。「はい、うつりました。」

―以下原文通り―

 「ありがたう。」ふたり声をそろへてお礼を言ふ。うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない。

 その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿(ほおずき)に似てゐた。

青空文庫 『富嶽百景』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html

井伏鱒二が語る『富嶽百景』創作秘話

 『富嶽百景』については一箇所だけ私の訂正を求めたい描写がある。それは私が三ツ峠の頂上の霧のなかで、浮かぬ顔をして放屁(ほうひ)したといふ描写である。私は太宰君と一緒に三ツ峠に登つたが放屁した覚えはない。

 それで太宰君が私のうちに来たとき抗議を申し込むと、「いや、放屁なさいました。」と噴き出して、「あのとき、二つ放屁なさいました。」と、故意に敬語をつかふことによつて真実味を持たさうとした。

 ここに彼の描写力の一端が窺はれ、人を退屈させないやうに気をつかふ彼の社交性も出てゐるが、私は当事者として事実を知つてゐるのだからこのトリックには掛からない。

 「しかし、もう書いたものなら仕様がない。」と私が諦めると、「いや、あのとき三つ放屁なさいました。山小屋の爺さんが、くすツと笑ひました。」と、また描写力の一端を見せた。一事が万事といふことがある。

 しかし山小屋の爺さんは当時八十何歳の老齢であつた。(中略)爺さんの連添ひは、壁に掛けてあつた富士山の写真を取りはづして来て、それを崖の端の岩に立てかけた。

 このとき私が放屁したと太宰君は書いてゐる。しかし爺さんは八十幾歳で耳が全然きこえない。くすッと笑ふ筈がない。

(『太宰治全集』[筑摩書房]月報 一九五五・十~一九五六・六)

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あとがき【『富嶽百景』の感想も交えて】

 わたしが実物の富士山を見たのは、高校の修学旅行、新幹線の車窓からでした。そのときは運悪く雨模様で、薄墨色の山が微かに見えただけでした。それから二年後、成人になったわたしは、富士山を見るだけのために河口湖に行きました。

―――果たして一体、何を感じるのだろう。
 ところが、わたしの実感といえば、確かに感動はしたものの、それは情けないくらい、普通のものでした。期待が多過ぎたのかもしれません。いつの間にか、わたしの富士山像は巨大なものになっていたのでしょう。

 さて、『富嶽百景』のなかの主人公は、ときには駄々をこねてみたり、またときには甘えてみたりと、まるで母親にすがりつく幼児のように、富士山に接しているような気がします。自分の思いどおりにならないのが腹立たしいのです。

 「富士を、白扇さかしまなど形容して、まるでお座敷芸にまるめてしまっているのが、不服なのである。富士は、熔岩の山である。あかつきの富士を見るがいい。こぶだらけの山肌が朝日を受けて、あかがね色に光っている。私は、かえって、そのような富士の姿に、崇高を覚え、天下第一を感ずる。」

『富士に就いて』太宰治

 自然というものは、人の心が映し出すものです。置かれた境遇、またはそのときの感情次第で捉え方も変わります。ましてや富士山の場合は遮るものがなく、四方から眺望でき、四季折々、その角度で様々な表情を見せてくれます。

 太古の昔から、信仰の対象であった富士山。
『富嶽百景』の主人公は、“ 自分の思いをあらたにする覚悟 ” で富士山の見える御坂峠の茶屋にやって来ます。ある意味、富士という御山に救いを求めていたのでしょう。

 富士という御山―――それは、わたしたちにとって母なる山です。魅せられ、求めてしまうのは自然の摂理とも言えるのかもしれません。

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