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太宰治『メリイクリスマス』【東京は相変らず以前と少しも変らない】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【太宰治・随筆『十五年間』】

 太宰治は昭和20(1945)年、甲府に疎開後、津軽の生家へ再疎開しています。太宰はこの疎開先で『十五年間』という随筆を書いています。

私はもう十五年間も故郷から離れていたのだが、故郷はべつだん変っていない。そうしてまた、その故郷の野原を歩きまわっている私も、ただの津軽人である。十五年間も東京で暮していながら、一向に都会人らしく無いのである。

首筋太く鈍重な、私はやはり百姓である。いったい東京で、どんな生活をして来たのだろう。ちっとも、あか抜けてやしないじゃないか。私は不思議な気がした。
(『十五年間』)

 翌年、東京へと戻った太宰でしたが、上京後の第一作は『メリイクリスマス』です。

青空文庫 『十五年間』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1570_34478.html

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太宰治『メリイクリスマス』【東京は相変らず以前と少しも変らない】

『メリイクリスマス』は短編集『グッド・バイ』の中に収められています。

太宰治(だざいおさむ)とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島修治。(1909-1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。

 青森中学、弘前(ひろさき)高校を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。

   井伏鱒二

井伏鱒二『山椒魚』【時代に取り残された者の悲鳴!】

 一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』『駆込(かけこ)(うった)へ』など多くの佳作を書きます。

 戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(享年38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌(おうとうき)が営まれています。

    太宰治

太宰治【他の作品】

太宰治『家庭の幸福』を読みながら官僚(公務員)を考える!
太宰治『善蔵を思う』そしてわたしは、亡き友人を思う。
太宰治『黄金風景』読後、わたしの脳裏に浮かんだこと!
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短編小説『メリイクリスマス』について

 『メリイクリスマス』は太宰治の短編小説で、昭和22(1947)年、『中央公論』1月号に掲載されます。同年8月、短編集『ヴィヨンの妻』(筑摩書房)に収録されます。

 執筆時期は前年の11月から12月の間と見られています。太宰が疎開先の津軽の生家を引き払い、家族と共に東京に到着したのが昭和21(1946)年11月14日ですから、上京後の第一作と言えます。

 戦後、太宰の担当編集者(当時新潮社)の一人だった野原一夫は、『水仙』と『メリイクリスマス』は、秋田富子への「清潔な愛情が生んだ作品である」と述べています。

『メリイクリスマス』あらすじ(ネタバレ注意!)

 「私」の眼に東京は、以前と何も変わっていないように映りました。「私」は一年と三カ月間、津軽の生家で暮らし、十一月の中旬、妻子と共に再び東京へと移住して来たのです。

 十二月の始め、「私」は東京郊外のある映画館へと出かけ、その帰り道、本屋に立ち寄ります。そのときふと入口を見ると、若い女性が驚いた表情で「私」を見ていました。

 「笠井さん。」―――女性は呟くように「私」の名を言い、小さくお辞儀をします。「私」の脳裏に十二、三の少女の姿がよみがえってきます。「私」は、「シズエ子ちゃん。」と、女性の名前を呼びました。

 むかし「私」は、いつもこの娘の母親のところへ遊びに行ったものでした。母親は「私」と同じ年で貴族の生まれです。大金持ちの夫と別れ、わずかの財産で娘と二人、アパート住いをしていました。

 「私」の思い出の中で、この娘の母親は「唯一のひと」でした。男女間の性欲だの恋愛感情を抜きで付き合える唯一の女性だったのです。戦時下にも関わらず、母親のアパートにはいつもお酒が豊富にありました。

 「私」は、いつもこの娘にお土産を持って行き、泥酔するまで飲んで来るのでした。「お母さんは変りないか?」と訊くと、娘は「ええ。」と答えます。「私」は、「これからお母さんと一緒にどこかその辺の料理屋で飲もう。」と、娘に言います。

 その誘いにも「ええ。」と返事をした娘でしたが、次第に元気が無くなっていき、どこか大人びていくように見えます。娘は既に十八歳になっていました。

 「私」は(もしかしたら娘は、母親に嫉妬をしているのでは?)と、考えます。と、同時に(母親とは色情を感じたことがなかったが、この娘とだったら(ある)いは?)と、思います。

 母親と娘は、広島に疎開していました。疎開直後に「私」は母親から絵葉書を貰いましたが、当時生活の苦しかった「私」は返事もできず、五年もの間、母子との消息が途絶えていたのです。

 「私」は、(再会の喜びが、母親と娘、どちらのほうが大きいのだろう)と考え、なぜだか、娘の喜びのほうが純粋で深いもののように感じます。そして「私」はこのように思います。(母から、いやな顔をされたってかまわない。こいを、しちゃったんだから。

 道すがら「私」が母親の話題を持ち出すたびに、娘は元気が無くなります。「私」は(ひどい嫉妬だ)と感じます。ですから「私」は、恋人同士がするような映画のはなしや、ロマンチックな台詞を口にしながら娘のアパートへと向かいました。

 娘は、バラック作りのひどいアパートに住んでいました。「私」は廊下から「陣場さん!」と、母親の苗字を呼びます。すると娘は、いきなり泣き出してしまいました。
実のところ―――母親は、広島の空襲で亡くなったと言うのです。

 亡くなる間際のうわごとで「笠井さん」の名前も出たと言います。母親が亡くなったことを言いそびれた娘は、どうしたらいいか分からず、とにかくアパートまで案内して来たと言います。―――嫉妬でも、恋でも無かったのです。

 母親はうなぎが好きでした。「私」と娘はそのまま引き返し、うなぎ屋の屋台へと行きます。奥のほうで紳士がひとり飲んでいました。そこで「私」は、うなぎの串焼き三皿とコップ酒を三つ頼み、娘に「僕はこれから飲むから付き合ってくれ。」と、言いました。

シズエ子ちゃんは(うなず)き、二人はそれっきり、何も言いませんでした。「私」が黙々と飲み進めていると、奥の紳士がうなぎ屋の主人を相手に騒ぎ始め、つまらない冗談を言い続けています。二人はにこりともせずに、師走(しわす)近い人の流れを見ているだけでした。

 すると紳士は突然、外を歩くアメリカの兵士に向けて、「ハロー、メリイ、クリスマアス。」と、大声で叫んだのです。「私」は思わず噴き出してしまいました。二人は真ん中に置かれた皿のうなぎに箸をつけます。

 そして「私」は、このように思うのでした。―――東京は相変らず。以前と少しも変らない。

青空文庫 『メリイクリスマス』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/295_20170.html


『メリイクリスマス』【創作の背景と解説】

 シズエ子とその母のモデルは、林聖子と実母の秋田富子(洋画家・林倭衛の夫人だった人)です。ちなみにシズエ子と笠井が出会う場面も事実を元にしています。林聖子は三鷹駅前の書店で太宰と再会したときのことを自書で次のように回顧(かいこ)しています。

レジを離れようとしている男の人と向き合う形となった。私は魔法をかけられたようになった。「太宰さんの小父さん」といいかけて、あわてて「小父さん」の言葉を呑み込んだ。
(中略)
それから半月ほどして、着物姿の太宰さんがわが家に来られた。そして、懐から『中央公論』新年号を取り出し、ひどく真面目な顔をして、「これは、ぼくのクリスマスプレゼント」といった。
(林聖子の回顧録)

 また、太宰の妻・美知子は「太宰の『メリイクリスマス』は、T子さんとその娘S子さんのイメージから書いた小説だが、『メリイクリスマス』を書いた頃、T子さんは病床に存った。」と述べています。

 このような背景から『メリイクリスマス』は、事実を元に太宰が脚色を加え、創作したものと考えられます。物語の舞台と思える東京都三鷹市も空襲を受けましたが、他の地域に比べると被害が少なく、都心で焼け出された人たちが多く流入し、戦前よりも活気を帯びていたものと思われます。

 つまりは物語の主人公・笠井が言うところの東京とは三鷹のことを指し、悲しみを抱えながらも戦後復興へと向かう人々の逞しさ、そして戦前と変わらぬようにアメリカ人に向けて「ハロー、メリイ、クリスマアス。」と言い放つ、日本人のお人好しぶりと言うべきか、諧謔(かいぎゃく)さを描いた作品と言えるでしょう。

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あとがき【『メリイクリスマス』の感想を交えて】

 冒頭で随筆『十五年間』のことを書きましたが、そこで太宰は「故郷はべつだん変っていない。」と述べています。そして『メリイクリスマス』の末尾(まつび)は「東京は相変らず。以前と少しも変らない。」と、閉じています。

 そこに戦争という歴史を消し去りたい作者の心理状態を垣間見ることができます。人々は大きな戦争を体験したのですから、そんなわけがありません。明らかに変化があった筈です。このことは作者も知りつつ「以前と少しも変らない。」と書いているのでしょう。

 物語の主人公・笠井も、映画を見て本屋に行き、恋をするといった、戦前と変わらぬ行動を取っています。けれども親しかった女性の死を知るという現実に直面しながらも「東京は相変らず。以前と少しも変らない。」と、矛盾に満ちた物語の終わり方をしています。

 ここからは個人的な解釈ですが、作者のみならず当時の人々は「以前と少しも変らない。」と、自分の胸に言い聞かせて生きていたのだと思います。辛い現実から目を背ける手段だったのでしょう。

 ともかくとして、ときに現実から目を逸らすことも必要です。
―――ハロー、メリイクリスマス!

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