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太宰治『黄金風景』読後、わたしの脳裏に浮かんだこと!

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【少年の頃の後悔】

 とある本に “ 男の子が好きな子に意地悪をするときの心理状態 ” なるものが掲載されていました。優しくするのが照れくさくて反対の行動に出てしまう、単純に関心を引きたいから、困ったときのリアクションが見たいがため、などなど。

 わたしにも心当たりがあります。小学校4年のときだったでしょうか。なぜかしら隣の席の子が気になって、事あるごとにちょっかいを出していました。思えばあれが初恋というものだったのでしょう。

 泣かせたこともありました。恨めしそうな眼差しで睨まれたことも。ところが、夏休みも終わり、二学期になると、隣の席は空席になっていました。家庭の都合で転校して行ったのです。

 その子の面影は、もはやわたしの記憶の中でぼんやりとしたものになっています。けれども、あのときの恨めしそうな眼差しだけは今もはっきりと脳裏にこびり付いています。一度も謝らなかった後悔とともに。

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太宰治『黄金風景』読後、わたしの脳裏に浮かんだこと!


『黄金風景』は短編集・きりぎりすのなかに収められている

太宰治とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島修治。(1909-1948) 青森県金木村(現・五所川原市金木町)に生まれます。東大仏文科在籍時、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りし、本格的な創作活動を始めます。

 しかし、在学中から非合法運動に関係をしたり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、精神的に崩壊の一途をたどります。反対に創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。

 1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』など多くの佳作を書きます。戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。享年38歳。


  太宰治

太宰治『家庭の幸福』を読みながら官僚(公務員)を考える
太宰治『善蔵を思う』そしてわたしは、亡き友人を思う。
太宰治『燈籠』に見るささやかな希望の燈火と、大きな暗い現実
太宰治『富嶽百景』【富士という御山になぜ人は魅せられるのか】
太宰治・新釈諸国噺『貧の意地』【例え貧しくとも心は豊かに!】
太宰治・新釈諸国噺『破産』【倹約ストレスが浪費へと!】

『黄金風景』エピグラフ(書の巻頭に置かれる句、引用、詩)について

海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて
  ―プウシキン―

 このエピグラフは、ロシアの詩人、A・S・プーシキンが書き上げた最初の物語詩、『ルスラーンとリュドミーラ』の「序詩」からの引用です。

 ―以下序詩―

入江には緑の樫の木、樫は黄金の鎖を巻き
昼も夜も学者猫は鎖をめぐってぐるぐる回る
右に回れば歌をはじめ、左に回れば物語を語る

そこは、神秘の地、森の精がうろつき、人魚が木の枝に座る
そこは、見知らぬ小道に、知られぬ獣の足あと
そこは、鶏の足の上の小屋は、窓も扉もなく建つ

そこは、妖怪の満ち溢れる森と谷、そこは、夜明けに波が打ち寄せる
人気のない砂丘の岸辺に、30人の美しい勇士たちは、清らかな水から列をなしてともに進むのは海の教官

そこは、通りかかる王子が、いかめしき王を微笑ませる
そこは、人々の前を雲の中に、森を越え、海を越えて、魔法使いが英雄を連れてくる
そこは、暗闇の中王女は嘆き悲しみ、猛々しい狼は忠実につかえる

そこは、臼にはいったバーバ・ヤガー(ロシアの鬼婆)が、よたよたと歩きゆく
そこは、黄金の上に不死身の魔王カシチェイが生き絶え絶えとなる
そこは、ロシアの魂が・・・そこはルーシが香るところ!

そこは、私が住んで、蜜を飲んだところ
海のほとりに緑のかしを見て、その下に座って、学者猫は自分の物語をわたしに語った


アレクサンドル・プーシキン

プウシキン(プーシキン)とは?

ロシアの詩人。ロシアのリアリズム文学の確立者。由緒ある貴族の家庭に生まれ,リツェイ (貴族子弟のための学校) の学生時代からその才能を文壇に認められ,卒業後外務省に勤務するかたわら『自由』 Vol’nost’ (1817) などの詩によって革命の必要性を表明,そのためにコーカサスへ追放された。『コーカサスのとりこ』 Kavkazskii plennik (1820~21) ほかの叙事詩で,虚偽と不正に満ちた封建的現実への抗議と自由への強い主張をし,37歳で決闘に倒れるまで,国民性,思想性,現実性に貫かれた文学を創造し続けた。代表作『エブゲーニー・オネーギン』『大尉の娘』『スペードの女王』,短編集『ベールキン物語』。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

『黄金風景』あらすじ(ネタバレ注意!)

 物語の前半は主人公の私(太宰本人)が子供の頃を回想しています。そして後半は「一昨年」という、少し前の出来事を振り返るといった二部仕立ての構成になっています。

 子供の頃の主人公は、よく女中をいじめていました。特にお慶という女中には厳しく当たります。お慶はどこかのろくさく、主人公にとっては妙に(かん)に触る存在でした。

 主人公はお慶に、酷い言葉を浴びせたり、または嫌がらせのような作業を命じて、失敗でもしようものなら、いちいち怒鳴ったりします。そんな日常の中、主人公はとうとう、お慶を蹴るといった暴挙に出てしまいました。



 主人公はお慶の肩を蹴ったつもりでした。しかしお慶は右の頬をおさえ、「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」と、うめくように言います。そのときはさすがに主人公も嫌な気がしましたが、その後もお慶をいびり続けました。

 そして物語は「一昨年」の設定に移ります。その頃の主人公は、千葉県の船橋で療養生活を送っていました。ある日そんな主人公の元に、ひとりの警官が戸籍調べのために訪ねてきます。その警官は主人公の顔を見て、「あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか?」と、言います。



 実は主人公と警官は同郷だったのです。そして、「お慶がいつもあなたのお噂をしています」と話します。主人公はすぐに呑みこめなかったのですが、警官との会話の中で、ひとりの女中に対しての悪行がはっきりと思い出され、座に耐えかねてしまいます。

 警官は主人公に、「かまいませんでしょうか。こんどあれを連れて、いちどゆっくりお礼にあがりましょう」と、告げて帰っていきます。

 それから三日後のことです。主人公も思い悩むことがあり、海に出ようと玄関を開けたら、そこにお慶の家族が立っていました。主人公は激しく動揺して、逃げるように家を飛び出してしまいます。

 そのまま三十分ほど町をふらついて家に帰る途中、海辺で遊ぶ、お慶親子の姿を目撃します。警官はお慶に、「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」と、言います。



 お慶は誇らしげな声でこう応えます。
 「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」。

―以下原文通り―
 私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。


青空文庫 『黄金風景』 太宰治https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2257_15061.html

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あとがき【『黄金風景』の感想も交えて】

 太宰治はプーシキンやチェーホフなどのロシア文学作家にも影響を受けています。
『海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて』というエピグラフの持つ意味は読者それぞれが感じることとして、わたしはこの物語を通して、人間の “ 勝ち負け ” に対する基準について考えてしまいます。

 太宰は自分とお慶の置かれた状況を見て「負けた」と言ったのでしょう。しかしそれは、かつての自分が勝者であったかのようです。太宰は生涯、身の上の裕福さ、特権階級意識に疑問を持っていましたから、もしかしたらそれは自分に対する皮肉なのかもしれません。

 ともかくとして、人生において何をもって勝利とするのか、基準は人それぞれです。
 巷でよく耳にする『勝ち組・負け組』とは一般的に経済力や地位・名誉のことを指しています。けれども、お慶親子のように家族の仲睦まじさこそが勝利に値すると考えます。

 さて、わたしが子供の頃に虐めていた女性がその後にどうなったのか、風の便りによると、とある地方都市の市議会議員になり、『男女平等』と『虐め問題の撲滅』に奔走しているようです。

ーーー負けた。

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