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太宰治『善蔵を思う』そしてわたしは、亡き友人を思う。

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【名聞利養という言葉の意味.】

 先日、とある友人(故人)の三回忌に出席したところ、お寺の住職が『名聞(みょうもん)()(よう)』という、わたくし的にはあまり聞き慣れたことのない、まあ恥ずかしながら勉強不足とでも言いましょうか、四文字熟語が、法話のなかで語られていました。

 法話の内容を端折ると、つまり「故人は生前に名誉欲、または名声欲なるものを(ほっ)せず、まさに『名聞利養』とはかけ離れた、尊い生涯を送られておりました」。と、いうものです。

 確かに友人(故人)は、四十半ばで亡くなる直前まで、色んなボランティア活動に身を置いてきました。けれどもそれは住職の仰ったような綺麗ごとだけじゃなかったことも同時に知っています。

 若かりし頃の友人(故人)はわたしと同様、まさしく『名聞利養』の(かたまり)だったのです。
しかし、誰にでも人生の分岐点というものがあり、そのときふと歩みを止め、新たな道、そして思想を追い求めた結果がボランティア活動だったとわたしは推測しています。

 そんな彼の好きだった作家、太宰治。なかでも頻繁に話題に登場していたのが、短編小説『善蔵を思う』でした。

『名聞利養』 世間の名声を得たいという欲望と、財産を蓄えたいという欲望。▽仏教語。
「名聞」は世俗の評判、「利養」は財産を作り、生活を豊かにすること。仏教の五欲(財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲)のうちの二つ。

出典:三省堂 新明解四字熟語辞典
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太宰治『善蔵を思う』そしてわたしは、亡き友人を思う。


『善蔵を思う』はこのなかに収められている

太宰治とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島修治。(1909-1948)
青森県金木村(現・五所川原市金木町)に生まれます。東大仏文科在籍時、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りし、本格的な創作活動を始めます。

 しかし、在学中から非合法運動に関係をしたり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、精神的に崩壊の一途をたどります。反対に創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。

 1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』など多くの佳作を書きます。戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。享年38歳。


  太宰治

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『善蔵を思う』あらすじ(ネタバレ注意!)

 物語は主人公のD(太宰本人と思われる)が甲府から三鷹に引っ越してきて四日目の昼頃、ひとりの百姓女がひょっこりと庭に現われ、薔薇を購入して欲しいとDに懇願する場面から始まります。

 ※ 太宰治は1939年9月から1948年6月まで三鷹で暮らしています。

 Dは百姓女のことを、「贋物に違いない。極めて悪質の押売りである」と心の中で決めつけます。けれども結局その百姓女から、薔薇を八本合わせて四円で買ってしまい、酷く後悔してしまいます。

 ちょうどその頃、Dのもとに故郷のやや有名な新聞社の東京支局から招待状が届きます。
それは郷里出身の芸術に関係のある方々に向けたものでした。その招待状にDは、出席と返事を出してしまい、後からまたもや後悔してしまいます。

 そして招待された日がやってきます。その頃にはDにも迷いが消え、故郷に於ける十年来の名誉挽回と意気込んで席順の末席に着いたものの、酒をがぶ飲みし、しだいに己の自制を失っていき、自己紹介のときついに醜態を晒してしまいます。



 Dはその夜、あることに気づきます。自分は出世する型ではないことを。そして衣錦還(いきんかん)(きょう)の憧れも捨てなければいけないことも。

衣錦還郷
きらびやかな衣服を着て故郷に帰ることから、立身出世して、故郷へ帰ることのたとえ。

 Dが晴れの舞台で醜態を晒したあくる日、洋画家の友人が三鷹にやってきます。
Dは前夜の大失態について語り、その友人は「故郷なんてものは、泣きぼくろみたいなものさ。気にかけていたら、きりが無い。手術したって痕あとが残る。」と言って慰めてくれます。しかしDにとってはその言葉も慰めになりません。

 しかしそのとき友人は、庭の八本の薔薇を見つけ、意外な事実をDに知らせてくれます。
なかなか優秀の薔薇だと。一本一円以上はするだろうと。Dは百姓女が薔薇を売りに来たときの事の顛末を友人に教えます。

 友人は、「商人というものは、不必要な嘘までくやつさ。どうでも、買ってもらいたかったんだろう。奥さん、(はさみ)を貸して下さい。」と言い、薔薇のむだな枝を(はさ)み取ってくれています。



 Dは百姓女のことを「まんざら、嘘つきでも無いじゃないか。」と思い、物語は次の言葉で締め括られます。

神は、在る。きっと在る。人間到るところ青山。見るべし、無抵抗主義の成果を。私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。


青空文庫 『善蔵を思う』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2278_20022.html

タイトルにおける善蔵とは?

 太宰の同郷の作家、葛西善蔵のことです。
葛西善蔵(1887-1928)の短い生涯はいわゆる破滅型というもので、その作品のほとんどが自らの体験に基づいた[私小説]といったジャンルでした。しかし想像を絶する悲惨な生活のなかでも、それを逆手にとったような葛西の文学には人を惹きつけるところがあります。
代表作『子をつれて』『おせい』『血を吐く』他。


   葛西善蔵

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あとがき【『善蔵を思う』の感想も交えて】

 わたしの年代は、成功を夢見て大都会に意気揚々と出かけて行った人間が多くいました。
それだけ希望の持てる時代だったと言っても良いでしょう。その点、今の若者たちの状況を考えると胸が痛んでしまいます。

 友人(故人)やわたしも、かつては成功を夢見ていた人間です。
勿論、その大部分は失敗し、挫折し、夢を諦めざろう得なくなるのですが、全ては人生の糧となっているでしょう。友人(故人)も挫折したことで違う生き方を見出したのですから。

 さて、『善蔵を思う』のなかに葛西善蔵のことは一字たりとして描かれていません。
太宰は、晴れの舞台に立ったとき、同じ破滅型と言っていい同郷の先輩作家と自分を重ねたのではないでしょうか。

 幸福の感じ方は人それぞれです。
この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
この文章を幾度となく、友人(故人)の口から聞きました。

 生前に面と向かって言えなかったのでここで言います。
     友人(故人)もまた心の王者でした。

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