はじめに【「戦争神経症」について】
戦地のストレスなどによる精神疾患を総称して「戦争神経症」と言います。その症状は不眠やうつ、幻聴など。または全身が痙攣したり、歩行が困難になるなどの激しい症状が現れたりと様々です。
「戦争神経症」について、始めて注目され出したのは第一次大戦(1914〜1918)のときです。四年間で800万人以上が戦死し、生き残った兵士達の多くが金切り声を上げたり、すすり泣いたり、または金縛りに合ったり、身動き一つ出来なくなったりと「戦闘神経症」を発症しました。
想像でしかありませんが、その体験はまさに地獄絵図でしょう。心的外傷(トラウマ)を引き起こすのも当たり前のことと思われます。日本でも先の大戦で、想像を絶する多くの人々が「戦争神経症」に悩まされたと言います。
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太宰治(だざいおさむ)とは?
昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島修治。(1909~1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。
青森中学、旧制弘前高等学校(現・弘前大学)を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。
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一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。昭和14(1939)年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』『駆込み訴へ』など多くの佳作を書きます。
戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(没年齢38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌が営まれています。
太宰治の故郷・青森県(津軽)にご関心のある方は下記のブログを参考にして下さい。
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短編小説『トカトントン』について
短編小説『トカトントン』は、昭和22(1947)年、月刊文芸雑誌『群像』1月号で発表されます。同年8月5日には筑摩書房による単行本『ヴィヨンの妻』に収録されます。太宰治の妻・美知子は、本作品について次のように語っています。
「二十一年の秋頃、帰京を控へて、金木で書きました。金木で書いた最後の作品ではないかと思ひます。東京に帰つてから、M市居住のHといふ方が尋ねてこられたとき、あの人の手紙からヒントを得て、『トカトントン』を書いたのだと私に語りました」
(「美知子夫人の手記」)
「M市居住のHという方」とは、当時水戸市在住の保知勇二郎のことと言われています。軍務を解かれて帰郷していた保知は、疎開先の太宰にファンレターを何通も送っていて、そのうちの一通に『トカトントン』のトンカチの音のことを書いたと保知は語っています。
「こんどの仕事の中に、いつかあなたの手紙にあったトンカチの音を、とりいれてみたいと思ってゐます。(中略)あなたに少しでもご迷惑のかかるやうな事は決してありませんから。トンカチの音を貸して下さるやうお願ひします。若い人たちのげんざいの苦悩を書いてみたいと思ってゐるのです。」
(「太宰治から保知勇二郎への書簡」昭和21年9月30日付)
保知は『トカトントン』について、「太宰さんの創作とちがって、当時の私は幻聴に悩まされているとは書きませんでした」と述べています。
『トカトントン』あらすじ(ネタバレ注意!)
※ 物語は、復員青年と作家との往復書簡体形式となっています。けれどもその内容のほとんどは、青年から作家への手紙で、作家からの返信は結末の数行だけとなっています。
拝啓。一つだけ教えて下さい。困っているのです。
私は二十六歳です。青森市の寺町に生まれ、中学を出てから横浜の軍需工場に勤め、それから軍隊で四年間を暮らし、無条件降伏と同時に生まれた土地へ帰って来ました。
けれども既に家は焼かれ、現在は青森市から二里(約7.8キロ)ほど離れた海岸の部落の郵便局に勤めています。ここに勤めてから一年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして実に困っているのです。
私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で働いていた時でした。作品を色々読んでいるうちに、あなたが私の中学校の先輩であり、またあなたは中学時代に同じ町内会の豊田さんのお宅にいらしたのだと言う事を知り、胸のつぶれる思いをしました。
そうしてあなたも罹災して生れた土地の金木町に来ているという事を、あなたの作品によって知り、再び胸のつぶれる思いが致しました。それでも私は、あなたの御生家に突然たずねて行く勇気は無く、いろいろ考えた末、手紙を書きしたためる事にしたのです。
※罹災(りさい) 災害をうけること。被災。
教えていただきたい事があるのです。本当に、困っているのです。しかもこれは、私ひとりの問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあるような気がしますから、私たちのために教えて下さい。
昭和二十年八月十五日正午に、陛下みずからの御放送だというラジオを聞かされました。その時若い中尉が、「日本は降参をしたのだ。しかし、われわれ軍人は、あく迄も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、大君におわびを申し上げる。」と話しました。
死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。ああ、その時です。背後のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、私は憑きものから離れたようになり、ぼんやり故郷に帰還しました。
私は、まず一つ小説でも書いて、あなたのところへ送って読んでいただこうと思いました。そうして大いに努力して百枚ちかく書きすすめて、いよいよ完成だという秋の夕暮、銭湯へ行き、お湯にあたたまりながら、最後の章の結び方を考えていました。
そうして天井からぶらさがっている裸電球の光を見上げた時、トカトントン、と遠くからあの金槌の音が聞えたのです。それから自分の部屋に引き上げて、机の上の百枚ちかくの原稿をめくって見て、あまりのばかばかしさに呆れ、それ以後の毎日の鼻紙に致しました。
それから自分に出来る精一ぱいの仕事は、平凡な日々の業務に精励する事だと思いました。その頃ちょうど円貨の切り換え(新円切替)があり、郵便局はてんてこ舞いのいそがしさだったのです。私はほとんど半狂乱みたいに働きました。
※精励(せいれい) 精力を出してつとめ励むこと。
新円切替(しんえんきりかえ)
昭和21(1946)年2月16日夕刻に、幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称。
ところが、切り換え騒ぎも、おしまいという日の朝、トカトントンとあの音が遠くから幽かに聞えたような気がして、もうそれっきり、何もかも一瞬のうちに馬鹿らしくなり、自分の部屋に行き、蒲団をかぶって寝てしまいました。つまり普通の窓口局員になりました。
そうしてそれから、(私の文章には、そうしてそれからが多いでしょう?これもやはり頭の悪い男の文章の特色でしょうかしら)。そうしてそれから、私は、恋を始めたのです。片恋なんです。そのひとは、この海岸の部落にたった一軒しかない小さい旅館の、女中さんなのです。
時田花江という名前です。なんでも、宮城県のほうで戦災に遭って、疎開して来たというのです。花江さんは、なかなかの凄腕だという評判でした。私は少しも信じませんでしたが、花江さんの貯金も決して乏しいものではありませんでした。
まさか、いい旦那がついたから、とも思いませんが、花江さんが貯金しに来るたびに、なんだか胸がどきどきして顔があからむのです。そうして次第に私は苦しくなりました。
部落の人たちはみんな花江さんをねらって、お金なんかをやって、花江さんをダメにしてしまうのではなかろうか。私は、花江さんに一こと言ってやりたかった。鏡花の小説(泉鏡花の『歌行燈』)に出て来る有名な、せりふ、「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」と。
そんな五月のなかば過ぎの頃でした。花江さんから、「五時頃、おひまですか?」と誘われたのです。五時、七、八分まえに私は、家を出ました。橋のたもとに、花江さんが立っていました。「海のほうへ行きましょう。」花江さんは、落ちついてそう言いました。
そして花江さんは、「あたしの貯金の事、へんに思っていらっしゃるんでしょう?」と言いました。私は、「へんに、思っています。」と答えました。すると花江さんは、「あの通帳はね、おかみさんのものなのよ。信じて下さる?」と言いました。
すこし笑って花江さんの眼が妙に光って来たと思ったら、それは涙でした。私は花江さんにキスしてやりたくて、仕様がありませんでした。花江さんとなら、どんな苦労をしてもいいと思いました。
その時、ちかくの小屋から、トカトントンという釘打つ音が聞えたのです。この時の音は、私の幻聴ではなかったのです。海岸の佐々木さんの納屋で、事実、音高く釘を打ちはじめたのです。「わかりました。誰にも言いません。」私はそう言い残して立ち去りました。
貯金がどうだって、俺の知った事か。ひとのおもちゃになったって、どうなったって、ちっともそれは俺に関係した事じゃない。ばかばかしい。腹がへった。そうして私は、またもや、ぼんやりした普通の局員になったのです。
六月にはいってから、私は青森で偶然、労働者のデモを見ました。それまで社会問題や政治問題に就いてどれだけ言い立てても、私たちの日々の暮しの憂鬱は解決されるものではないと思っていたのですが、今までの考えは全部間違っていた事に気がつきました。
若い女のひとたちも、手に旗を持って労働歌を歌っていました。私は胸が一ぱいになり、涙が出ました。ああ、日本が戦争に負けて、よかったのだと思いました。生れてはじめて、真の自由というものの姿を見た、と思いました。
私は、あの風景を死んでも忘れまいと思ったら、トカトントンと遠く幽かに聞えて、もうそれっきりになりました。いったい、あの音はなんでしょう。虚無などと簡単に片づけられそうもないんです。あのトカトントンの幻聴は、虚無をさえ打ちこわしてしまうのです。
ことしの八月に、海岸線の各部落を縫って走破する駅伝競走というものがあって、郵便局が、その中継所となりました。見物していると、一人の選手がよたよたと走って局の前まで来て、ううんと一声唸って倒れました。
選手はほとんど半死半生の危険な状態のようにも見え、顔は真蒼でぐたりとなって寝ている、その姿を眺めて私は、実に異様な感激に襲われたのです。可憐と言えばいいか、とにかく、力の浪費もここまで来ると、見事なものだと思いました。
田舎の駈けっこで、タイムも何も問題にならん事は、よく知っているでしょう。けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめられなくてもいいんです。無報酬の行為です。ほとんど虚無の情熱だと思いました。
私は、局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、何か脱皮に似た爽やかさが感ぜられ、これだと思ったとたんに、やはりあのトカトントンが聞えるのです。もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞こえてきます。
新聞を熟読しょうとすると、トカトントン、仕事のことで名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。
「人生というのは、一口に言ったら、なんですか」と私は伯父に、ふざけた口調で尋ねてみました。「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」案外の名答だと思いました。ふっと私は、闇屋になってもうけた時のことを考えたら、すぐトカトントンが聞えて来ました。
教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、ご返事を下さい。
やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。しかし、トカトントンだけは、ウソでないようです。読みかえさず、このままお送り致します。敬具。
―以下原文通り―
この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。
拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。
マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。
※叡智(えいち) 深遠な道理を知りうるすぐれた知恵。
※霹靂(へきれき) 急に雷が激しく鳴ること。
青空文庫 『トカトントン』 太宰治
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『トカトントン』【解説と個人的な解釈】
手紙の差出人は、敬愛する同郷の作家に、「トカトントン」という幻聴からの救済を求めています。けれどもその文章は、自己紹介や自分に起こった出来事の告白に終始し、どこか切迫した緊張感が見られません。挙句、「たいがいウソのようです。」と内容を取り消す始末です。
察するに作者は、わざと文章を散漫させ、手紙の差出人の「神経衰弱」を表現したように思います。とは言え、その内容は当時の世相を色濃く反映させています。復員兵や戦災者、淫売婦のこと、さらには新円切替の騒動や、民主化を象徴する労働者のデモなどです。
終戦を告げる玉音放送が、幻聴のきっかけとなるわけですが、この時差出人は、「死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。」と語ります。当時の軍人はもとより、そう思った国民も多かったことでしょう。
それ以降差出人は、自分を奮い立たせようとする度に、この幻聴を聞くようになっていきます。そして「この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。」とすがったものの作家の返信は、「気取った苦悩ですね。」と、素っ気ないものでした。
さらに作家は、「真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。」と青年に言います。つまり、「あれこれと物事を考えるよりも勇気を持って現実と向き合うべきであろう。」と、自己救済しか方法のないことを伝えているのです。
そして「マタイ福音書」の一節、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」を添えていますが、これには色んな解釈があるでしょう。
個人的には、「虚無を気取っているうちはまだ余裕がある。もっと醜態をさらけ出しなさい。そして、死をも恐れぬ勇気を持ったときこそ、君の幻聴は止む筈だ。」と、叱咤激励しているような気がします。
あとがき【『トカトントン』の感想を交えて】
作者・太宰治が、物語のモデルとなった保知氏に、「若い人たちのげんざいの苦悩を書いてみたいと思ってゐるのです。」と語っているように、当時「戦争神経症」で悩む若者が多くいたことでしょう。そしてほとんどが、その傷を抱えたまま生涯を終えていったのでしょう。本当に胸が痛みます。
しかしながら、「幻聴」「幻覚」というものは、戦争を経験していない現代人でも起こり得るものです。統合失調症やPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような「心の病」でもその症状は現れます。
当然ながら「心の病」なのですから、作中の某作家の言う「マタイ福音書」の一節など何の役にも立たないことと思います。そもそも “ 身を殺して霊魂を殺せる ” ような強い人間は「心の病」に罹らない筈なのですから・・・。
ですからこう思うのです。作者は、戦後思い描いていた社会に適応できずに苦しみ、「神経衰弱」に陥っていた自分自身に宛てて、返信したような気がするのです。つまり『トカトントン』という作品は、自分から自分に宛てた往復書簡のような気がしてなりません。考え過ぎでしょうか。
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